集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


12-04(1) 松井冬子展をみにゆく

(撮影・筆者)(撮影・筆者)

 ハンス・ベルメールとかレオノール・フィニーという画家の名前が何度か思い浮かんだ。横浜美術館の松井冬子展をみながらだ。松井冬子の存在はこれまで人づてに何度も聞いていたけれど、作品をまとめてみるのは今回が初めてだった。「きっと金平さん、あれ好きになりますよ」と言われていたのだ。経歴をみて意外に思ったのは、松井冬子という人物が「刻苦勉励の人」であるということだった。女子美を出て、いったん会社勤めをしてから、東京芸大の日本画専攻に進み、さらには博士号まで取得してしまうという刻苦勉励の経歴が、本人のポートレイトのイメージと何だか乖離している印象を勝手に受けてしまったのだ。何言ってんだか、自分でもよくわからないが、とにかくこれは作品とは無関係のことがらである。作品がすべてである。でもこの文章は、批評ではなくてもっと緩いエッセイの類なので許されたし。作品群に著しく影を落としているオブセッションと言うと、草間彌生のドットのことを思い出すが、松井のオブセッションの出自も、自身の美しい容貌や肉体、それにともなうある種の体験と無関係ではあるまい。美と醜の同置。生と死の同置。外部と内部の同置。皮膜。無垢と汚穢の同置。希望と諦念の同置。エロスとタナトス。腐食。作品の構成要素となっているテキストが重要だ。それらの単語、文言、文章が、描かれた作品の一部をなす。悲劇的なものだけが美しい。不幸な者とだけわかりあえる。滅亡していくものだけが真実だ。
 全く別の文脈で、もうひとりのアーティストの名前を思い出した。マリーナ・アブラモーヴィチだ。アブラモーヴィチが、苦痛を表現に変えていくときには、必ず動的・攻撃的なものへと転化していたが、松井の場合はそれとは全く逆で、苦痛にはあくまで受動的なまま、そこに静的に提示されているのだ。
「九相図」と題された作品群は、人間が死んでから死体が徐々に腐敗していく過程を描いたものだが、そのなかの作品『應声は体を去らない』『四肢の統一』には特に引き込まれた。前者の女性の死体を覆う雪のような美しい白は、蛆(うじ)であり、見開かれたままの目が死をものがたっている女性の顔の、上半分がその蛆に覆われている。美しい。後者の、すっかり骨と化した女性の頭蓋と背骨のみの型は、まるですべてを削ぎ落とした後の昆虫のようにもみえる。無常感を超越してしまったバランス。よくも『四肢の統一』などという見事なタイトルをつけたものだと思う。
 僕らのいるこの国のこの時代の病と、松井の営為はどこかで深く共振しているような気がする。だからこそこれだけ多くの観客をひきつけているのだろう。

 


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