集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


12-02(1) ユートピア運動の敗北劇―――「十一匹のネコ」

舞台を走り回る11匹のネコたち(カーテンコール後に筆者撮影)舞台を走り回る11匹のネコたち(カーテンコール後に筆者撮影)

 今年は、故・井上ひさしさんの生誕77年にあたる。それにちなんで井上演劇のフェスティバルが通年で行われる。本当に楽しみだ。その第一弾が『十一匹のネコ』だ。今回の台本は1971年のテアトル・エコー版が採用されている。ひさしさんが36歳だった当時の初期戯曲だ。今回の演出は長塚圭史。ずい分前に見た時(1989年に改作された新版)と今回とでは印象が全然違う。1971年版は、ひさしさんが時代の何に怒っていたのか、時代のなかで何をめざしていたのかという時代状況との強烈な緊張感がみなぎっていて、それがまた、現在の日本の状況と見事にシンクロしているのだ。ラストが以前みたバージョンとは違うのだが、それを記す野暮はもちろん避けよう。どちらが好きかも人によって異なるだろう。にしても、ラストは強烈だった。11匹の野良猫たちの旅は、ユートピアをめざす運動=長征と言ってもよい。だから、それぞれが強烈な個性の持ち主の猫たちに、レーニンやトロツキーを擬す人もいるだろうし、毛沢東と周恩来を擬す人だっているだろうし、あるいはチェ・ゲバラとフィデル・カストロを擬す人だっているだろう。いやいや、幸徳秋水や大杉栄、重信房子や丸岡修といった名前を思い浮かべる人だってこの世界にはいるかもしれない。演劇とはそのようなものだ。僕自身は、ユートピア運動を終わらせるのは何者なのかを根源的に考えるという意味で、テアトル・エコー版の方を好む。
 役者さんたちがいい。みんな生き生きしている。面構えも身のこなしもいい。リーダー役のにゃん太郎の北村有起哉が特にいい。おかま猫のにゃん八の木村靖司もいい。そして、非転向を貫いた、にゃん十一の山内圭哉がとりわけいい。コスチュームもいい。音楽もいい。ひさしさんとネコと言えば、NHKの人形劇番組「ひょっこりひょうたん島」のトラひげ、ひょうたん島のあとを継いだ「ネコジャラ市の11人」があった。熊倉一雄さんや藤村有弘といった鬼才たちが声優で出演していた。あの人形劇空間そのものが一種のユートピアだった。今のテレビ空間にあのような自由と創造の空間があるだろうかを自問してみる。さらには、今の演劇の新作群に、あのような大衆性と夢と、現世に対する切り込みが込められた演劇が存在しているか。猫グッズをまた買ってしまった。2月に大阪で公演があるようだから、大阪の皆さんにぜひお勧めしたい。橋下劇場政治よりこっちの方がずっと面白いですよ、と。

 


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