集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


11-12(2) 左手のピアノの意志

終演後の舘野泉(左端)とヤンネ舘野(その隣) 筆者撮影終演後の舘野泉(左端)とヤンネ舘野(その隣) 筆者撮影

 その日曜日の午後はとてもいい天気だった。上野公園のなかを徒歩で東京文化会館まで向かう道沿いに、なぜか警察官の姿が多いような気がした。コンサートは、フィンランド在住のピアニスト舘野泉と子息のヤンネ舘野のデュオ・リサイタルと銘打ったものだった。舘野父子のコンサートを聴くのはこの日が初めてだった。石田一郎という日本人作曲家の「ヴァイオリン・ソナタ第2番」が最初に演じられた。平原あゆみのピアノとヤンネ舘野のデュオ。何とモダンな曲調か。フランスのドビュッシーの影響を強く受けフランス音楽の造詣が深いという石田のこの曲に魅かれた。秋田出身の石田と舘野泉は個人的にも親交があったそうだ。その後、舘野泉が登場して世界初演だという平野一郎の「精霊の海」。休憩をはさんで今日のコンサートは当たりだったなあ、と思っていたら急に会場がざわついている。みると、休憩中に何と皇后・美智子妃がひとりで会場に現れた。驚いた。警護がもちろんついているが、出迎えのおそらくフィンランド大使夫妻と挨拶を交わして席についた。休憩後からはずっと舘野泉が登場し、左手のみの演奏を続ける。9年まえに右半身麻痺に陥り、その後の彼の左手のみのピアノ演奏については知識としては知ってはいたが、その力強さにあらためて驚いた。勇気を与えられる。谷川賢作の「スケッチ・オブ・ジャズ2」は3人のジャズプレイヤーへのオマージュの形式をとっていた。ガトー・バルビエリ、マル・ウォルドロン、マッコイ・タイナーの3人だ。これも世界初演。3人のジャズの曲調をよく掴んだ内容の演目でとても楽しめる。おしまいに、チェコの作曲家、エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲 作品23」が演奏された。ユダヤ人である彼は、1938年にナチスの迫害をのがれてアメリカに亡命した。とても抒情性の強い曲で、このころにはすっかり聴いていた僕もいい気持になっていて「これは運がいいぞ、来てよかったな」と思っていた。アンコールには短いものをやります、というヤンネ舘野の説明で「四季」の冬・第2楽章が奏でられた。これからも聴きたいピアニスト、ヴァイオリニストに出会うことができた。ちょっと遅すぎたかもしれないけれど。万雷の拍手に送られて皇后が退出していった。天皇陛下の健康がすぐれないなかで、この日はいい演奏に接しておそらくとてもいい気持になっていたのに違いない。帰途、公園からは警官たちの姿は消えていた。


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