集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


11-12(1) ピナは奇跡だった

(C)2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION© 2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION

 あのピナ・バウシュをヴィム・ベンダースが映画化するという話は、僕がまだニューヨークに住んでいた頃だから、2009年の初め頃から聞いていたが、ピナが突然亡くなってしまったので、正直、映画の方はもう成立しなくなったのだろうと思っていた。今回、ベンダースが困難を乗り越えて完成させた映画「Pina」をみて、ああ、もうピナ・バウシュの新作をみることは二度とできないのだな、との絶対的な喪失感を新たにしてしまった。これが正直な気持ちなので仕方がない。映画の方は、最新の3D技術を駆使して、ピナとブッパタール舞踏団の躍動感をそのまま映像化しようと試みている。その試みはそれなりに奏功しているようにも思えるが、何しろ映画よりも、映画の扱っている現象=作品そのものが言いようのないほどすさまじくて、前記のような感想が残ってしまったのだ。ピナは奇跡だった。来日した際の彼らの舞台はほとんど見ていた。見るたびに、すさまじいほどに存在を揺さぶられる衝撃を受け続けてきた。そう、ピナは奇跡だった。
 日本以外の場所でも、たとえばロシアのモスクワで(1993年「春の祭典」「コンタクトホーフ」)みたときは、最高会議ビルに戦車から砲弾が撃ち込まれたモスクワ騒乱のさなかだった。「舞台」と「現実」が奇妙にシンクロしていたのを昨日のように覚えている。あるいは、ニューヨークのブルックリンのBAMシアターで、客席のひとつにぽつんと座って自作の舞台をみていたピナの姿を覚えている。作品は、最晩年の「Bamboo Blues」だった。近年では、神奈川・新百合丘の劇場で、舞台が水浸しになったり、石壁がいきなり倒壊した後に演じられる作品(「フルムーン」と「パレルモ、パレルモ」)を見たりして度肝を抜かれていた。だが、千代田区隼町の国立劇場を泥だらけにしたあの「春の祭典」は突出していた。今回の「Pina」でも、この部分の映像に映し出されたダンサーたちの息遣いは尋常ではなかった。「発情」という言葉を思い出してしまった。舞台の上で舞踏で「発情」すること。「カフェ・ミュラー」の痙攣的な動きと同一動作の反復の不条理。演劇とダンスの融合。ああ、本当にピナの新作がもう見られないのか。
 映画をめぐって語る時、映画そのものの持続を伝えたい場合と、映画が扱っている素材・テーマの方を伝えたい場合がある。「Pina」の場合は残念ながら後者だ。でも、それで何が悪い? ピナは奇跡だった。
 おそらく、ピナの精神はこれからも〈ピナのこどもたち〉によって受け継がれていくだろう。先駆者たちに続く者たちは、誰でもみな、こどもたちだ。アントニオ・ガデス舞踏団もまだ続いている。寺山修司の戯曲は何度も再生している。そのようにして、ピナは生き続けていく。

 

『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
2012年2月25日よりヒューマントラスト有楽町、新宿バルト9ほか全国順次3D公開


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