集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


11-6 (1) フラメンコ・ダンサーわりさや憂羅さんを送る

わりさや憂羅さんへのお弟子さんたちの献舞(撮影筆者) わりさや憂羅さんへのお弟子さんたちの献舞(撮影筆者)

 わりさや憂羅さんを紹介してくださったのは、冤罪事件の弁護で名高い故・倉田哲治弁護士だった。だから1980年代のことだ。と言うのは、僕が倉田弁護士と知り合ったのは、司法記者クラブに在籍していた時だから多分1985年頃だ。倉田さんは酒を愛し、多趣味の人だった。取材が終わると「君、時間ある?」といろいろなところへ連れて行ってくれた。ある日、赤坂の小さなフラメンコ・バーに同行した。そこで週に一度ステージに立っていたのが憂羅さんだった。それ以来、機会があれば、ステージやリサイタルにうかがったりした。アントニオ・ガデスに夢中だった頃である。憂羅さんの踊りもまた華やかでありながら壮絶で、媚を売るようなタイプの踊りではなかった。言ってみれば、日本人のフラメンコであった。舞踏がそうであったように。憂羅さんは今年の2月25日に闘病生活の末、永眠された。享年61歳。「送る会」の案内状がいきなり届いて衝撃を受けた。「送る会」には300人ほどの人々が集っていた。会場では途中『ある闘牛士の死』を踊る憂羅さんの映像が上映された。僕にとっては、この『ある闘牛士の死』と、後年の『鳥の歌』のステージが忘れられない舞台だ。なぜ僕は一人で憂羅さんのステージを見に行ったのだろうか? やはり心の空白を満たしてくれえるものを求めていたのだろう。そして必ず力強い何ものかを得て帰っていったのだ。送る会ではお弟子さんたちの献舞が披露され、呼びかけ人のひとりである大野慶人さんのマリオネットによる献舞もあった。大野さんは「憂羅さんは、フラメンコの何かを革命していた人なんですね。それもスペインの人にはできないことをね」と話した。パートナーでもあった詩人の中村文昭さんと会場で少しだけ話をして帰途についた。思い出を2つだけ記しておこう。NYのニッティング・ファクトリーで公演をした時の記録フィルム上映会でのこと。憂羅さんの出番の前のバンドが約束を破ってどんどん時間を押して公演を続けているのに怒りをあらわにした憂羅さんの表情。本当に僕も見ていて腹が立った。もうひとつ。故・永山則夫の葬儀が有志たちによって都内で営まれたことがあった。法務省によって死刑が執行されたあとのことだ。彼のことにずっと関心をもって取材を続けていた僕は、その葬儀に参列した。するとその場になんと憂羅さんがいた。ひとはどこかで必ずつながっている。俗世はあまりに狭い。憂羅さんのご冥福を祈らずにはいられない。ちからに満ちた、すてきな踊りをありがとうございました。


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