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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第88回 「ドラクエX」

01 恋愛のアポリア

 ずっと疑問に思っていたことがある。人を好きになることは人生最大の喜びの一つではあるけれど、どうしても後に「本当に自分のことが好きなのか」とか「他の人ともデートしているのではないか」とかいうネガティブな感情が生まれてくる。嫉妬とか、羨みとか、自分のイヤな面も見えてくる。別れた後は思い出したくないことばかり。ほとんどの恋愛がそういう経過をたどるのはみなさんもご存じのとおり。果たしてそうなるのは必然のことなのか。

 火に近づけばやけどしてしまう、しかし、近づかなければ何も得られない。なんとかこのアポリアを解決する手段はないものだろうか。すべてが幸福な終わりを示すような人間関係は築けないのだろうか。このところずっとそんなことばかり考えている。まあ、とてもそう簡単に解決法が見つかるとは思えないのだが。

02 ドラクエX

 ところがつい最近になってヒントになるようなことにいくつか遭遇した。それもロールプレイングゲームをやりながらである。そのゲームは「ドラクエ(ドラゴンクエスト)X」。自分でもまさかオンラインゲームにこれほど熱中するとは思わなかった。ずっとゲームが好きで、自分でもゲームを作ったりしたこともあるのだが、オンライン、つまり、知らない他人と一緒に遊ぶとなると、ちょっとためらいが生まれていた。FF(ファイナル・ファンタジー)だってオンラインになってから一時の勢いは影を潜めてしまったし、ドラクエXがオンラインになると聞いたときは「ドラクエよ、おまえもか」という心境だった。

 なにしろドラクエは他のゲームとは違って、これまであらゆるゲームのなかで特別な位置を占めてきた。販売本数を見てみよう。1986年に初めて登場したときからⅨまでの推移は以下のとおり。

Ⅰ 150万本
Ⅱ 240万本
Ⅲ 380万本
Ⅳ 304万本
Ⅴ 280万本
Ⅵ 320万本
Ⅶ 410万本
Ⅷ 360万本
Ⅸ 415万本

 これはまさに怪物的な数字である。たとえば400万本というのは日本国民の約30分の1がプレイしていることになる。一家で何人もが遊ぶとしたらその比率はさらに上がるだろう。ところが、それほど驚異的な人気を誇ったドラクエの新作が出たのにもかかわらず、ファンが熱狂して徹夜で並んだとか、買ったばかりのドラクエを強奪されたとかいうおなじみのニュースが聞こえてこない。たしかに8月いっぱい、つまり発売1か月で約55万本というのだから、これまでと比べたら惨敗といってもいい。しかし、よく考えてみるとオンラインでもっとも売れたFFの55万本にわずか1か月で追いついたのだから、さすがドラクエと言うべきかもしれない。もともとオンラインはそんなに急激に売れるアイテムではない。時間をかけて売れ行きを伸ばしていく(課金して長く遊ばせる)のが従来のやり方なのである。今度のドラクエXを遊ぶには1カ月1000円支払わなければならない。もし30万人が遊んだとして毎月3億円が任天堂に入ることになる。これまでのように400万本売れなくても十分採算が取れるというわけである。

 もともとオンラインで遊ぶためには見知らぬ他人とともにゲームを進めなければならない。そんなの邪道だと思っていた。それではストーリーを自由自在に読む楽しみが奪われてしまう。自分の戦略がどこまで通用するのかわからない。しかし、敬遠していても仕方がない。ようやく8月終わりになって、いよいよドラクエXに取りかかることにした。すでにゲームそのものは発売日(8月1日)に手に入れてあった。さて、いったいどういうことになるのだろうか。どうしたら赤の他人とチームを組んだり、一緒に戦ったりできるのか。だれが自分を仲間に誘ってくれるのか。

 しかし、どれも杞憂だった。ゲームが始まり、出撃せんと門に向かうと、みんなが声をかけてきてくれる。「レベ上げ行きませんか」「僧侶の方いませんか」「猫島行きませんか」とそれぞれが自分の目的を言い合っている。そして、いきなり誘われる。もちろん拒絶してもいいのだけれど、せっかく誘ってくれたのだからついイエスと答えてしまう。これでもう仲間の誕生だ。自分から誘うのも同じようにする。相手のデータは画面上に出てくる。簡単なプロフィールも。戦士レベル15、一緒に楽しく戦っていきたいです。得意技はナントカ斬りです…みたいに。「モギタテ小学生」「おとぼけナース」なんていうプロフィールを書く欄もある。一応、男女キャラはわかるがキャラはそのまま性別を表すとは限らない。年齢その他はもちろん全くわからない。

03 チャット

 それ以降、自分ではけっこう時間を見つけてやってきたほうだが、毎日6時間ずつやってまだレベル35だから、そんなに熱心なゲーマーとは言えないだろう。最初はいつものようにスタートして、ボスを倒しながらゲームを進めていくものだと思っていた。ところが始めてみるとやたらに相手のボスが強くて、これまでのように一直線でストーリーをクリアしていくわけにはいかないことがわかる。課金制オンラインならではの仕組みだ。さらに、女子キャラの参加が多いのも意外だった。なりすましでしょうと意地悪くアドバイスしてくれる女性もいるけれど、もちろんいないとは言わないけれど、たしかに女子キャラがやたらと戦いに加わってくる。なんだかいつもと様子が違っているのだ。

 オンラインではみんながお互いに会話を楽しむことができるし、一緒に踊ったり、あいさつしたり、座り込んだりもできる。会話でよく使う言葉は既にインストールされていて、「ありがとう」とか「よろしくお願いします」とか「OK」などかなり自由に選択できる。ただ、それだけではなくキーボードを使うとさらにきめ細かい会話を楽しむこともできる。アクロバットのように移動し戦闘しながらしゃべりあったり、ジャンプしたり、「レベ上げあとどのくらいですか?」みたいなことも話すし、ジョークを言い合ったり、お互いのプライベートなことまで話すようになる。もちろん注意書きには「プライベートなことは言わないように気をつけてください」と書かれているが、知り合いの女子のなかには携帯のアドレスを教え合ったりする子もいる。「ぜったい大丈夫そうな人だったから」と言うけれど本当に大丈夫なんだろうか。

 もともと一緒に共通の敵と戦うわけだから親しくなるのは当たり前。お互いに助け合ったり、かばいあったりするうちに、やっぱりちょっと別れがたくなったりする。一応50万人も参加しているわけだから、いったん別れてしまえば、もういつ会えるかわからない。しかし、そういう時のために「フレンド申請」という手がある。これからもずっと友だちでいてくださいと申し込むのだが、200人まで登録できるのでそんなに深い意味があるわけではない。よっぽどのことがなければフレンド申請を断られることはない。いったんフレンドになると何十万人がゲームをしていても、フレンドがどこにいるかはお互いにわかるようになっている。しかもゲームに参加しているならいつでもチャットができる。

 さらに、だれかが戦っているそばに行ってチャッチャッチャと応援する(単に近くに寄っていってAボタンを押すだけ)と、戦っているグループの力が増大する「応援」というシステムもある(相手は必ず「ありがとう」と答えてくれる)。ただそれだけのことだが、なんの利害関係もないグループ同士がお互いに邪魔し合うというのではなく、応援し合うというのが、最初はとても新鮮だった。そうやって自分のレベルを上げてボスを倒し、どんどん巨大な敵との対決に進むことになる。ここまではある程度想定内だった。しかし、オンラインのおもしろさはここからだ。

 このゲームではキーボードを使いながらずっとチャットを続けることができる。戦うだけが目的ではなく、いろいろと会話を交わすうちにお互いの性格がいろいろとわかってくる。相手は画面上のキャラで、女子キャラはみんなそれぞれかわいくて魅力的だ。与えられる情報は限られている。それが余計におもしろい。一緒に戦っている女の子が「明日部活があるのでそろそろ落ちます」(「落ちる」とはやめること)なんて言いだすと、こちらもびっくり。部活! もしかして中学生? 彼女は、他のメンバーが「これから夜勤なので落ちます」と言ったときも、とたんに「夜勤って何ですか?」と質問して、みんなの笑いを誘ったのだった。パーティ・リーダーがあまり話をせず、一目散に敵に向かって倒し、さらに次の敵へと向かうということもある。そういうのはたいてい男子の特徴で、もしかしたら小学生の男の子?とか思うこともあるけれど、真偽はわからない(わからないままのほうがおもしろい)。

 また、相手はもしかしたら30代か40代の主婦かもしれないと思うこともある。たとえば、戦いの最中に疲れて宿屋に入る時など「一緒の部屋じゃないのが残念(^-^)/」とか言ったりする。いわゆる出会い系サイトみたいな側面もなきにしもあらずだけれど、本当に入るわけじゃないのでそれはそれでいい。ゲームの世界で毎日6時間も会っていると、とても他人とは思えなくなってくる。そして、そうした関係性が次第にどんどん気持ちよくなってくる。オンラインおそるべし!

04 ゲームから時代が見える

 もしオンラインをやらなかったら自分はずっと偏見を抱いたままだったと思う。なんという変化。どうしてオンラインについて公にその魅力を指摘する人がいなかったのか。途中でオフラインに戻ってみるとあまりに殺伐としていてつまらない。もちろんオンラインでも他人と組むのが苦手という人のためにサポ(サポート)という仕組みがある。自分と同じくらいのレベルのメンバーをサポとしてお金を払って呼ぶことができるのだ。そうすれば、自分が中心で戦って、サポは従順にそれに従うというこれまでと同じかたちが出来上がる。それでもかまわない。ただし、ちょっと強い敵にはなかなか通じない。やはり、生きたメンバーと組んで進まないと楽しみは半減する。

 単調な戦いが続いて退屈しても、会話で遊ぶことができるし、(EXILEのように)ダンスを踊ったり、みんなでゲームしたりすることも可能だ。本当によくできている。ある程度仲良くなると使う言葉も似てくる。笑いを意味する「ふw」はもちろん、さまざまな省略語が出てきて一体感を高めてくれる。冒険初期に出会ってわけもわからないままフレンドになった人を「幼なじみ」と呼んだりするのも好ましく、ストーリーが進んでから再会すると妙な親近感を抱いたりする。「ピクニック」といって、その名のとおりゲームの最中に野原(あくまでも画面上の)でピクニックするのだが、本人たちも本当に何か食べながらするのが楽しい。広い野原にみんなで座って、「ちょっとヨーグルトとってくる」「サラダなう」とか言いながらのどかに過ごす。同じものを食べるとより一体感が高まる。よく似たものに、みんなで「かくれんぼ」するというのもあるし、地図上の端から端まで探検する「ハイキング」というのもある。その様子はもはや従来のドラクエとは別のゲームとしか思えないだろう。

 いったいどうしてそういうことになったのか。もちろんそれには女子の参加が大きく影響しているように思われる。先日、ドラクエ内の国勢調査というのが発表されたが、それによると、男子キャラと女子キャラの比率は65%対35%。これをどう理解するかということだが、ドラクエⅨの時から国勢調査が導入され、その時は男子キャラと女子キャラの比率は77・5%対22・5%だったから、ずいぶんと様変わりしたものである。

 つまり、いまやドラクエXは戦闘系のゲームからコミュニケーション系のゲームに変化を遂げつつあるということであろう。みんなが協力して共通の目的に向かって進むというのは女子にとっても望むところであり、単なる戦闘の繰り返しよりも、みんなでわいわい騒いだりするほうを好むのはむしろ彼女らの特質とも言えるだろう。

 この調査によると、人気職業は戦士30%、僧侶20%、武闘家15%、魔法使い14%、旅芸人7%の順だった。ただし、これはあくまでもスタートして2か月の数字。この後、転職したりするので数字は大きく変わりそう。もともと攻撃系の職業が人気のはずなので、僧侶の20%は意外だった。どちらかというと人々を助けたり応援したりすることを好ましいと思う人が多かったということだろう。

 巨大な敵を倒すという共通の目的があるうちは、お互いにケンカしたり、言い争ったり、いじわるを仕掛けたりすることもない。これまでぼくが経験した会話で不愉快になったことは一度もない。むしろ、これはこっそり聞いてしまったのだが、中年の男たちが「これまで浮気したことが一度もないんだけど、あなたはどうですか?」「それはちょっとここでは言いにくい話題ですが…」とかやり取りしているのを聞いてほのぼのとした気分になったこともある。

 先日、ある女の子が「わたし、これまで(ドラクエで)定番だった【あぶない水着】が着たい」と公式サイトに投稿して、あっというまにコメントが100を超えたことがあった。「あぶない水着や神秘のビスチェみたいな性別限定装備って、今作はないのでしょうか。前作にあった物が大人の事情とかで無くなるとしたら、すごく悲しいです…」。 

 それに対して、ある女の子は「水着系には賛成ですけど、暑さの残ってるうちに出してくれないと、見てるだけで寒い季節になっちゃいそう(^_^;)」と応じているし、男の子は「【ぱふぱふ】と同じで、あぶない水着もドラクエ名物の一つ。ぜひ欲しいですねぇ」とコメントしている。こういうブログでの会話がゲームの最中にやたらと楽しくかわされるわけだから、女子ファンが特別に増えたのも理解できるだろう。

05 恋愛そのものも変化しつつある

 というわけで、こうしてゲームをやってみて、仮想の結びつきについて改めて考えてみた。これまでわれわれは人間同士の結びつきには普遍的なものがあって、それは時代によってそう簡単に変化するようなものではないと考えてきた。しかし、このところ、その考え方は間違っているのではないかと思うようになった。相手を死ぬまで愛し続けるような恋愛や涙ながらに手を握り合うような友情はいまの時代にはそぐわないものではないのか。相手に恋い焦がれて待ち伏せするようなことはかつてはごく普通のことに思われたが、いまや気持ち悪いストーカーとか言われるようになったし、男同士一緒に涙を流したりしたらすぐにホモだと疑われる。これまでだったら疑う方が悪いと思ってきたが、どうもそうではないかもしれない。

 おそらく世間が狭いうちはそういうこともあっただろう。狭いなかでは人間同士の関係もつい濃くなりがちだったが、しかし、TwitterやFacebookやミクシィで自由に知らない人とも結びつくようになったこの時代には、それにふさわしいもっとポピュラーな結びつきがあるのではないか。

 これまで人と人を結びつけるのは、学校、会社、家族のような社会的な制度や慣習であった。しかし、いまや学校、会社、家族の結びつきが弱まって、それぞれが自分の所属を求めるようになって、その重要性はますます増しているように思われる。一つのコミュニティにどっぷり浸かってしまうと、そこに居場所がなくなるともうおしまいだ。いじめや精神的な不調や自殺率の高さはそれと無縁ではなかろう。「同時進行でいろいろなコミュニティに浅く広く所属できる現代の方が、たまたま生まれた家族や場所などに人間関係が完全に依存してしまう社会よりも、フェアであるともいえる」(古市憲寿、「ブルータス」2012年9月15日号)。このことはぼくが以前から強調してきた「複数の生」を生きることが幸せの秘訣だという考え方ともつながってくる(『生きるチカラ』集英社新書参照)。

 恋愛も、友情も、親子愛も、師弟愛も、それらすべてが大きく変化しつつある。一人に思いのすべてを賭けるというのではなく、あたかもドラクエの「フレンド」のように幅広く好意にあふれた結びつきが求められているのではなかろうか。ドラクエにかつてないほどの女子の参加が見られるのは、彼女らがそうした時代の変化に敏感だからではなかろうか。彼女らは、実際の世間ではだいたい外見や容姿で判断されがちなのが、ここでは人柄こそがみんなに好感を持たれるかどうかの決め手となる。それもまた好ましい。ちょっとした言葉の端はしにその人が出る。教養というのではない。生まれ育ったその人なりの生き方が表れる。

 もちろん恋人や配偶者がいらないというのではない。ただ、あまりに重たい関係は時代にそぐわないということである。恋人や夫(妻)がいてもいい。ただ、それとはまったく交わらない別のフレンドをいっぱい持つこと―ドラクエXをやりながらもっとも好ましい結びつきがほのかに見えてきたような気がしたのだった。


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。宗教人類学者。1972年東京大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、ミルチャ・エリアーデらのもとで研究する。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。1970年代から現在まで、世界各地で宗教人類学調査を続けている。『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』『賭ける魂』他。

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