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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第81回・生きるチカラ

01 生きるチカラ

 ようやくというか、『偶然のチカラ』を書いてから3年かかって、『生きるチカラ』(集英社新書)が出ることになった。こんなペースで仕事をしていたら、いつまでたっても先に進まない。しかし、競馬も、マージャンも、カジノも、女の子らとの飲み会も、気まぐれな旅も、どれもこれもやめられないから、どうしてもそんなペースになってしまう。さらに、新しいことにはなんでも好奇心を持ってしまうので、余計まともな仕事ができなくなる。

 そんなわけで、今年もあっという間に半年が過ぎてしまった。上海、ベトナム、香港、マカオ、インドネシアと旅し、そして、国内の聖地を中心にその何倍も旅を続けてきた。もし6月のナイル上流調査が流れなかったら、本など一冊も仕上がらなかったに違いない。いつまでこんなことをしていられるのかわからないけれど、こんな調子で好きなことだけやって人生の最後まで突っ走っていけるのだろうか。

『生きるチカラ』で考えたことは、まず「あらゆる選択には間違いが含まれている」ということだった。たとえば、好きな人がAさんとBさんと二人いて、どちらかを選ばなければならないというケースを考えてみよう。もしAさんを選んだら、Bさんと一緒の人生は二度と得られなくなるわけだし、たとえBさんを選んだとしても、後になって自分の選択に疑問を持つこともあるだろう。いずれの場合でも、それでよかったのかどうかは検証不可能ということになる。しかも、いくら後悔してもやり直すことはできない。つまり、あらゆる選択には誤りが含まれていると考えるべきであって、絶対に正しい選択というものは存在しないということになる。

 となると、人生に対する考え方も変わってくるはずで、自分が行った選択をいまさらくよくよ考えても仕方がないということになる。だれもがみんな問題を抱えている。人生の道筋にはたくさんの失敗が地雷のようにばら撒かれており、それを踏まないように慎重に振舞っても、どこかでは必ず出会わなければならないとなると、失敗そのものを肯定する生き方がむしろ必要となってくるのではないか。そう、「ふりかかった災難こそが人生のきっかけ」ということである。

 だれの身にも降りかかる災難は、その人がどう生きるべきか考える磁石の針のようなもので、災難は災難でも、ただそこから脱け出せればいいというものでもない。何も考えずそこをスルーしてしまうと、人生はまったく味も素っ気もないものになってしまう。つまり、災難はただの災難ではないのである。それによって初めて人生が立ち上がる契機となるもので、それなしにはすばらしい人生など存在し得ないことになる。

「生きるチカラ」とは、その人がもっとも大きなダメージを受けたときに動き出すチカラで、ほとんど機能しないほど微弱なこともあれば、それまでの人生が一変してしまうほど強力なこともある。その働きを見つめながら、生きるとはどのようなことなのか改めて考えてみたいと思ったのである。

02 阿蘇

 そういうわけで、ナイルに行けなくなった6月に鹿児島、熊本と講演する行事があって、絶好の機会だから阿蘇に登ってみようということになった。阿蘇の中岳あたりまでゆっくり歩いて、かつての古坊中という阿蘇信仰が盛んだった往時を偲びたいと思ったのだった。

拝ヶ石巨石群にて(1)
拝ヶ石巨石群にて(1)(撮影/編集部)

 ところが、なんと戦後最大というか、ものすごく激しい集中豪雨が続き、強風荒れ狂い、土砂崩れ頻発する天候で、阿蘇調査どころではなかった。傘を差しても全身濡れねずみで、靴のなかまでぐちゃぐちゃと水が音をたてるような事態。もちろん観光客の姿などひとりも見えなかった。ぼくはそんなことには慣れているけれど、同行してくれた編集のK氏はよく平気でつきあってくれたものである。さすがにかつてあの石鎚山の最難所であるアイガー北壁のような絶壁を一緒に登った仲である。少々のことではへこたれない。

 それでも、そんな事態をも予測して、前日に熊本市内の拝ヶ石(おがみがいし)巨石群に出かけておいたのは幸運だった。調査というのは、しばしば当初の目論見とは別のところで収穫があるものである。そこは熊本市の中心部からすぐ西に見える金峰山のカルデラの外輪に位置しており、熊本日日新聞のH部長の案内で拝ヶ石のふもとまでたどり着いたものの、ぼくら以外はだれもそこから先へ進もうとはしなかった。地元の人々によれば、そこは絶対入ってはいけない場所とされており、いわゆる癖(くせ)地、呪(のろ)地のたぐいのようである。そこでは磁石がきかないとか、携帯電話が通じないとか、地元ではさまざまなウワサが広がっていた。

 たしかにそこは異様なところだった。そこから阿蘇を拝んだために「拝ヶ石」と呼ぶようになったというわけで、つまり、それ自身聖域というよりも遥拝所であって、それを表示するために磐座(いわくら)が配されているといったところではないかと思われた。翌日から大雨になるかもしれないという予報もあったので、とにかく拝ヶ石巨石群だけでも回っておきたいと思ったわけだが、想像以上に興味深い場所だったので、ぼくらは撮影し、メモをとり、ようやく安心して阿蘇山中の宿へと向かって車を走らせることになったのだった。

拝ヶ石巨石群にて(2)
拝ヶ石巨石群にて(2)(撮影/編集部)

 そして、その翌日のことである。朝起きるなり、窓から外を覗くと大雨で景色がにじんで見えている。これでは阿蘇に登っても何も見えないだろうとは思ったが、もはや引き返すこともできない。ぼくらは敢然と宿を飛び出した。車はまったく視界がきかない白い霧のなかをひたすら頂上に向かって進んでいく。何も見えないだけではなく、次第に雨足も強くなる。「本当ならこの右側一帯に草千里が広がっていて…」とか「このあたりが米塚で…」とタクシーの運転手は気の毒そうに説明する。いつしか中岳の火口まで到着するが、ものすごい風雨で飛ばされそうになる。

 阿蘇へは何度も来たことがある。押戸石や鍋ヶ滝などさまざまな角度から阿蘇を見てきたが、これほど何も見えない阿蘇は初めてだった。これではいかんというわけで、阿蘇から白川水源(八王神社)を通って、幣立神宮まで車を走らせることにした。以前にも訪れたことはあるのだが、幣立神宮はまったく不思議なところで、ちょっといかがわしくもあり、魅力的でもあり、なんと形容していいのかわからない場所である。

阿蘇中岳
阿蘇中岳(撮影/編集部)

 しばらく宮司のお話をうかがっていたら、その話のなかに、「高千穂といってもいろいろだけど、天岩戸神社の西本宮だけはちょっと別格かも…」という一節があり、これは行かないわけにはいかないという気になった。以前に高千穂を調査したときには、天岩戸神社には寄らず、そのとき最大の目的地だった秋元神社へと一目散に向かってしまったのだった。そもそも天岩戸神社なんて、名前を聞いただけで行きたくなくなるような神社ではなかろうか。しかし、まあそんなわけで、さらに口蹄疫で大変な思いをしている宮崎まで足をのばし、高千穂の天岩戸神社まで出かけていったのだから、何十年ぶりの豪雨というのに、われながら執念深いことである。

 西本宮入口の社務所のようなところで、もしご神体の天岩戸が見たければ申し出るようにとの貼り紙を見て、それほど期待せずにお願いし、しばらく待たされると、まだ若い神職(のタマゴ)らしき若者が「めんどうくさいなあ」という感じでやってきた。しかし、それはこちらの思い過ごしで、単に観光客を相手にそういう対人関係の仕事をするのが苦手な若者のようだった。

 普通の観光客は西本宮の拝殿の前で手を合わせて終わりなのだが、彼はその拝殿の右にある戸を開いてぼくらを内部へと導いてくれた。歩きながら、彼はいろいろ説明してくれるのだが、もちろんそんなことはこちらの専門なので、彼の今後のことも考えて、「内容はいいけれど、説明のしかたが一本調子で心がこもっていない」とか「もっと相手のことを考えてしゃべったほうがいい」とか注意すると、困ったような顔をした。なんてうるさい客だと思ったことだろう。

 そんなこんなで、いよいよ拝殿の裏側にあたる場所にくると、彼は川の向こうの原始林を指さして、「あちらが天岩戸です」という。彼が指さした方向を見ると、そこには巨大な原始林のなかにちょうど女陰のように巨大な裂け目が姿を現わしており、それはこちらをびっくりさせるに十分な光景だった。すぐに直観したのは、天岩戸とは龍神(水の神)信仰となんらかの関係があったのではないかということだった。すぐに室生寺の裏にひそむ龍穴など、多くの地で聖域として祀られている川の対岸にぽっかりあいた洞窟を連想させた。「ちょっと岩がくずれていますが、あれが天の岩戸で、神職であろうとも近づくことが許されていません」という。もちろん撮影禁止で、せっかくの光景をここでみなさんにお見せすることができないのが残念だ。

 天岩戸神社の拝殿の左側から外に出ると、ぼくらを案内してくれた神職の男の子は一礼して去っていった。あれっ、これってボランティアだったの? なんだか言いたいことを言って悪かったなあ、とちょっと反省した(すいません)。それにしても雨がそぼ降る神社ほどすてきな光景はない。せっかくだから天岩戸神社の東本宮まで車を走らせることにした。

 そして、東本宮も想像以上にプリミティブですばらしいところだった。このあたりは観光客にまみれた一角で、よくあるスタンプラリーでもやっていそうなところだと誤解していたが、やって来てみれば、だれひとりいない厳かな場所だった。もちろん集中豪雨という背景があったにせよ、そこは原始的なものをそのまま残している神社であった。すこぶる居心地もよかった。せっかくだからさらに高千穂を秋元神社に向かって南下してみたいとも思ったが、もうそれで十分という気もしてきて、ようやくぼくらは帰途についたのだった。

03 熊野倶楽部

弊立神宮参道
弊立神宮参道(撮影/編集部)

 それから二週間後のこと、7月はじめになって、今度は熊野市にある熊野倶楽部で講演することになった。熊野倶楽部とは三重県が後援している体験型リゾート施設で、ちょうど一年前に完成したばかりだった。広大な敷地のなかにさまざまな工房があり、熊野古道などをめぐりプログラムも充実しており、スタンダードならばおいしい料理もついて1万5千円くらいから泊まれる。ここはぜひともお勧めしたい。

 しかし、せっかくのリゾートなんだからと思っても、ひとりでは遊ぶに遊べない。一緒にイベントに出演する熊野古道センターの花尻薫先生、2007年度ミス日本グランプリの萩美香嬢とは、それぞれ顔見知りでもあるし、せっかくだから、午後の講演の前に、午前中いっぱいをつかって、三人で熊野市にある花ノ窟(はなのいわや)、産田(うぶた)神社、大馬(おうま)神社をまわろうと提案したら、お二人とも快諾してくれた。案内してくれるのはいつものように三重県の平野さん。なぜその三つを選んだかというと、花尻先生から「かつては、花ノ窟、産田神社、大馬神社を総称して有馬三山と呼んでいたらしい」と聞いたからである。もちろん、それは熊野三山のもじりなのだろうが、そういわれるからには、それらしきつながりでも見つからないかと改めて思ったのだった。

弊立神宮社殿
弊立神宮社殿(撮影/編集部)

 朝9時に出発して、まずはイザナミの墓所とされている花ノ窟だが、萩美香さんにとっても、熊野古道語り部の総元締めでもある花尻先生の解説付きというのが贅沢このうえない。ただし、この日も雨模様。車から降りたら全身ずぶ濡れになる。それでもぼくらはめげなかった。だいたい雨になると人影が少なくなるし、騒がしい声が聞えないのがいい。この巨大ではあるがただの岩壁が、どうしてこれほどまでに大きな信仰を集め続けてきたのか。なぜイザナミの墓がこんなところにあるのか。

 今回はじめて知ったことだけれど、熊野本宮大社での祭事の際、はじめに花ノ窟の方角を向いて、有馬の歌を二度繰り返すという慣例があると聞いて、やはりこのあたり一帯は熊野信仰にとって特別な場所だったのではないかという思いが甦ってきた。

 さらに、すぐ近くの産田神社の場合でも、「崇神天皇の夢見により、ここにお祭りされていた神様を熊野に遷したのが、熊野本宮大社の始まりだった」という口伝が残されており、こちらは一見したところ質素このうえないのだが、そう聞くとなんだかスリリングな匂いがしないでもない。なにしろ、ここには神社の原型となる「神籬(ひもろぎ)」の跡が見つかっている。どれほど古いか見当もつかない神社なのである。

 このあたりで雨足がひどくなり、かなり山際を入り込んで大馬神社に着くころになると、すでに豪雨といってもいいくらい雨が激しくなっていた。たとえ雨男と指弾されてもいいけれど、阿蘇でも豪雨、熊野でも豪雨、いくらなんでも雨を呼びすぎないか。しかし、大馬神社にはこれまで幾度か来たことがあるけれど、これほどみごとにくっきり輪郭の鮮やかな大馬神社は初めてだった。滝も雨音とまじりながら大きな音をたてており、神々しい空気がいっぱいに広がっていて、しばらくここにいたいと思わずにはいられなかった。

 もしこちらが熊野の信仰を語る上で欠かせない場所だとなると、きわめて興味深いことがいくつか明らかになってくるのだが、ここではそれについて述べるのは控えておこう。ぼくらはそれから熊野市文化交流センターへと戻り、午後からの公開講演をなんとか無事にやり遂げたのだった。日が落ちて、熊野倶楽部に戻ったときには、もう心身ともにぐったりだった(深夜3時からのワールドカップ準決勝を朝まで見ていたことも影響していた)。生ビールをぐびぐび飲んで、おいしい料理をつまんで、ひとりで露天風呂に入り、その夜はずっと熊野の空を見つめて過ごすことになった。

04 気まぐれな旅

 まったく不信心な人間だったのに、20代はじめにちょっとした偶然で宗教学などという辛気くさい学問を専攻することになり、いまやこうして毎週のようにどこかで聖地の調査をし、人々の信仰について考えている。まったく不思議なことである。

 熊野倶楽部での講演の翌日の早朝、ぼくはひとり熊野を離れたにもかかわらず、ちょっとした気まぐれで、いまだ東京からはるか離れた地を彷徨している。7月11日は参議院選挙投票日であり、不祥事続発の大相撲名古屋場所の初日であり、さらにワールドカップ決勝オランダ対スペイン戦が行われることになっている。おそらくそれまでに東京には戻れないだろう。

 しかし、こうして気まぐれな旅を続けていなければ、『生きるチカラ』などという大上段に振りかぶったタイトルの本など書かなかったかもしれない。失意の日々のない人生はない。これまでにも、困難に出会うたび、自分のなかにわけのわからない力がわいてくるのを感じていた。それこそ平常時には気づかない「生きるチカラ」の正体なのではないか。もしかしたら、それなしには人は何もなし遂げられないのではないか。そう、人は、大きく落ち込んだところからではないと大きくジャンプすることができない生き物であるに違いないのである。

 もうすぐアジアのどこかへと出かける予定になっている。戻ったらすっかり秋になっているだろうか。それとも、またもや蒸し暑い夜に悩まされることになるのだろうか。いずれにせよ、一寸先が闇だからこそ人生は楽しい。そう思いつつ、いつも知らないうちに闇のほうに自分の身体を預けてしまうのだった。

 

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○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。宗教人類学者。1972年東京大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、ミルチャ・エリアーデらのもとで研究する。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。1970年代から現在まで、世界各地で宗教人類学調査を続けている。『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

生きるチカラ

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