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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第80回・スピードは人間の一番大切なものを奪っていく

01 目的のない旅

 内田百閒に『特別阿房列車』という名作がある。どことも目的を決めないで旅に出るというストーリーで、これが滅法おもしろい。「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。しかし、お金はないので借金しなければならない。どうやって借金するか、それで1等に乗ろうか2等、3等に乗ろうかと思案する場面が延々と続く。連れは山系という長年の知り合いで国鉄(当時)職員である。何の予約もせずに駅に出向き、すべて満席ですと断られたあげく、とりあえず東京駅で切符が確保できてホッとする二人。

 「まだ時間があるから、そこの食堂へ這入ろう」と云って私が歩き出した。
 「はあ」と云って一緒に歩き出した。
 精養軒食堂でウィスキイを飲んだ。私はウィスキイは余り好きではないが、ほっと安心したところなので、こう云う時の一盞はうまい。山系もうまそうに舐めている。それで又杯を追加して取り寄せた。お午時なのでお客がこんでいる。隣の食卓にいる三人連れは景気よく麦酒を飲んで、三人共赤い顔をしている。私はお酒が好きで、麦酒はそれ以上に好きだから、だから決して真っ昼間から麦酒やお酒を飲む様なことはしない。人が飲んでいるのを見るのも嫌いである。隣りのお客は行儀が悪い。

 こう書いている自分たちもウィスキーを飲んでいるわけで、これは単に隣のビールが悔しいだけで、あまり褒められたものではない。ウィスキーについても、「これは旅中の例外であって、旅の恥は掻き捨てだと云う事にした」と言い訳するがおかしい。「尤も旅だと云っても切符は買ったけれど、汽車はまだ出ていないし、乗ってもいない」。ここまでですでに『特別阿房列車』は半分を過ぎている。

 こんな調子ではどうなることかと思っていると、あっというまに名古屋が近づいてきて、二人は食堂車でのお酒から、車室に戻って今度はビールを飲み始める。2、3本飲むと、いよいよ大阪に到着だ。こういう酔狂な旅では、何も予約しないのが鉄則であるから、もちろん宿の予約もないのだが、助役が探してくれてようやくたどり着いたのが江戸堀のまあまあ悪くない宿屋。そこで(何度も注文するのは億劫だと)かなり多めにお燗した酒を持って来させて、それを二人で全部飲んでしまう。旅先で飲みすぎはいかんと戒めてあったにもかかわらず、これでは何をしに来たのかわからない。

 翌朝起きてみると、昨夜来の心配が頭をもたげてくる。「ここ迄来たからには、是非共帰らなければならない。もう冗談ではない。帰りの切符は買えるだろうかと、私は昨夜から心配しているのだが、山系は大丈夫です、僕が明日の朝何とかしますと引き受けた」。大阪からの上りの汽車は前日と同じで、専務車掌も1等車のボイ(「ボーイ」のこと)も、つまり乗務員ごとすっかり同じで、「もうお帰りで御座いますか。お忙しい御旅行で」と挨拶される。「ボイさんと同じだよ」。

 この旅行では予算を大幅に超過して、山系が用心のために持ってきたお金もずいぶん遣い込んでしまっていた。まったく用事なしの自由な旅ほどやっかいなものはないのである。しかし、それでも『特別阿房列車』がおもしろいのは、やはり旅にプロセスがあるからであり、いまのように新幹線の旅ではこうはいかない。超スピードで走っているときに人はモノを考えたりはしない。逆にいうと、心の病気を治すのには走ったり身体を激しく動かしたりすればいいということにもなる。

 毎週のように新幹線に乗っているけれど、新幹線では、自由に考える時間が十分ありそうに見えるが、見えない運動量はけっして小さくないので、モノを考えるにはふさわしくない環境といえそうだ。百間も「漫然と煙草を吹かしていれば、汽車はどんどん走って行く。自分が何にもしないのに、その自分が大変な速さで走って行くから、汽車は文明の利器である」と書いているが、その当時とはまた違って、すでに東京・大阪日帰りが当たり前の時代だ。文明の利器とばかりは言っていられない。新幹線がスピードを増すたびにわれわれは幸せになれると思ったけれど、それはまったくの幻想だった。スピードは人間の一番大切なものを奪っていく。そういうときにどうしたらいいかというと、答えはさらに不自由な旅に出るしかないということになる。

02 上海

 ふと上海にでも行ってみようかなと思った。たまたま新聞で見た広告に上海3泊4日2万円(エア・ホテルつき)というのがあって、適当に用事のない旅を楽しもうと思ったのだった。そんな漠然たる思いだけで出かけるというのもどうかとも思ったが、たまたま連絡のあった及川さん(エチオピア、アルメニアなどを一緒に旅したフォト・ジャーナリスト)に、上海に行くと伝えると、ちょっと前に取材したばかりだから資料を持っていってあげるよということで会うことになった。すると、『ソトコト』ともなじみの深い善塔さんがわたしも上海には半年ほど住んだので有名なアーティストとか紹介できますけど、といってわざわざ来てくれた。さらに、『ナショナル・ジオグラフィック』の大西さんから出たばかりの最新号が「上海特集」なのでいまから速達でお送りしますという連絡が入り、だんだん大げさになっていくのであった。

タイトル

 すでに図書館からも、和田博文他『言語都市・上海1840−1945』とか枝川公一『上海読本』など上海についての本を7、8冊借りていたので、たちまちぼくの机のまわりは上海関係のデータで洪水状態になってしまった。とにかく読まなければいけないと思いつつ、たちまち出発の朝を迎えることになる。上海に行くのは1980年代以来になるだろうか、このコラムの第64回「ラスト、コーション」の終わりで、横光利一の『上海』についてふれて、次のように書いた。

 横光利一は「この作の風景に出てくる事件は、近代の東洋史のうちでヨーロッパと東洋の最初の新しい戦いである五三十事件であるが」と後に述べているが、そういう稀有な一瞬にこそ永遠の傑作は生まれうるのかもしれない。ぼくも久々に上海を訪れてみたいと思ったのだった。高層ビルの立ち並ぶぼくの知らない上海を。

 なんにも考えていないようで、自分にも伏線を張っていたのである。1920年代の魔都上海のイメージ、映画『ラスト、コーション』で描かれた1940年代の日本支配下の上海のイメージ、寺山修司『上海異人娼館』も同時代だったか、そして、1980年代にはじめて訪れた上海のイメージ、2010年の上海・・・いまやどこまで変わってしまったのか。

 上海までの飛行時間わずかに3時間。ほとんど毎週のように新幹線で出かけている大阪へ行くのとそう変わらない。たちまち上海虹橋空港(東京でいうと羽田、大阪でいうと伊丹のように古いほうの空港)に着いたところで、郭さんという学生みたいなガイドがすぐにこちらを見つけてくれた。空港を出ると万博準備中の会場を見学し、足ツボマッサージに連れてってくれて、そこまではサービスだけれど、他にもオプションがいっぱいあってオトクですよというのをあっさり断って、たちまち自由な時間を得たのであった。

 では、それから何をしたかというと、これが百間先生とまったく同じで、旧フランス租界にあるバーをはしごして、3日間ただ飲んだくれて帰って来たのだった。ひたすらバーでビールやバーボンを飲んでいたわけだから、これでは毎晩新宿に出没するのと大差ないようにも思ったけれど、まあ、こういうムダが大切であるということは身に沁みてわかっているつもり。ナイルとかブータンとか大きな旅が続く合間に、こうした時間が持てるというほどの贅沢は味わったことのない人にはわからないだろう。

03 細野晴臣

 3月に上海から戻ると、新宿の朝日カルチャーセンターで細野晴臣さんとのトークショーが待っていた。同い年で同じ東京生まれとなると、どんな話題でも話がはずむ。特に、10代の頃にプレスリーとかビートルズの影響を受けたとみんなはいうけれど、ぼくらの世代まではラテン・ミュージックの記憶のほうが大きいというぼくの意見について、細野さんもすぐに共感してくれた(細野さんはだいたいなんでも共感してくれる)。ぼくらが10歳くらいの頃に流行った外国音楽といえば、ハワイアンとウエスタンとラテンだった。最初のロックンロール・コンサートが「ウエスタン・カーニバル」と銘うたれていたのはその名残りであろう。

 「当時のラテンナンバーのほとんどはスペイン語で歌えますよ」というと、細野さんも、「ああ、ぼくも歌えます」といって、すぐに『キサス・キサス・キサス』を歌ってくれた。それは子どもの頃に耳で覚えたスペイン語で、ぼくもまったくそのとおりに歌える。余談だけど、このラテンの大ベストセラーの意味、キサスが「たぶん」という意味だと知ったのは、1990年代にブエノスアイレスへ行ってからだった。

 ウォン・カーウァイの映画『2046』の音楽がほとんどラテンで、なかでもコニー・フランシスが歌っている『シボネー』にシビレたという話をしても、すぐに通じるからうれしい(普通の人は、コニー・フランシスも『シボネー』も知らないかもしれない)。対談の後で控え室に来てくれた人の話では、やはり1940年代から50年代にかけてのアジアの音楽は、タイも香港もインドネシアもすべてラテンの影響を大きく受けているそうで、どこでも同じ傾向が見られるということだった。

 細野さんとはじめて会ったのは、たしか1980年代の終わり頃のことだったと記憶しているが、なんと熊野でだった。舞踏の白虎社からの依頼で、熊野合宿で講演をお願いします、温泉も入り放題だし、酒池肉林ですからという誘い文句にのせられて、紀伊勝浦の駅に着くと、迎えにきた舞踏の白虎社の人たちにいきなり車に乗せられて、近くの温泉みたいなところに連れて行かれ、細野さんと2人で温泉に入れられたのだった。いきなり全裸。すごい出会い方である。それで温泉は終わり。それから、2人ともどこかで講演をさせられたわけだが、どちらも何も憶えていないというのがおかしかった。酒池肉林はなかった。

 それ以来、細野さんとは2002年にテレビで対談したくらいで、ほとんどお会いすることもなかった。あっというまに20年が過ぎていったことになる。人はそう簡単には会えないもので、気がつくともう永遠に会えないというようなこともしばしば起こる。特にぼくのように、ほとんど人のいるところに出向かないような人間には、改めて出会いはとても貴重なものに思えるのだった。

04 ふたたび熊野へ

タイトル
(写真/編集部)

 上海から戻り、いよいよ細野さんとの対談が終わると、翌日から大阪に向かい、ベルトルッチの『シェルタリング・スカイ』について講義をし、その翌日からは熊野にできた宿泊施設「熊野倶楽部」に出かけることになった。我ながら腰のすわらぬことである。

 しかし、1980年以来、熊野には何度出かけたことだろう。熊野はものすごく遠い。東京から名古屋に新幹線で向かい、そこから近鉄で津まで行ってから、南紀に向けてまた汽車に乗る。それがまた遅くてトータルで7時間くらいかかった記憶がある。それでも、まだ本宮までは車で2時間くらい走らなければならない。おそらくアメリカに行くのと同じくらいの時間がかかったのではないか。いまでもそんなに事情は変わっていないと思うのだが、その遠さが思考を育むのである。時間がゆったり流れていると、こちらもじっくりと考える時間が持つことができる。

 時間があると人はモノを考える。ところが、忙しい日々を過ごしていて、パッと休日になったからといってモノを考えられるわけではない。自由な時間を与えられて、さあモノを考えなさいといわれてもうまくいかない。モノが考えられるのは、歯医者の待合室とか美容院でカットされているときとかで、強制的に自由が奪われている必要がある。

 つまり、それはとてもプリミティブな状態に置かれたときで、スピードアップされた環境では、思考はうまく機能しなくなる。では、どうすればいいかというと、やはり答えはさらに不便な旅をするしかないということになる。この数年、アジアばかりではなく、モロッコ、エチオピア、アルメニア、グルジア(ジョージア)、エジプトと旅を続けているわけだが、そこには無意識のうちにスピードを拒絶したいという意思が反映されているのかもしれない。

 スピードは人間の一番大切なものを奪っていく。しかし、それに逆らうのは自力ではできない。ブログ、ミクシー、ツイッターという流れは当然予想されていたもので、かつては知らない個人同士が直接コンタクトがとれるユートピアと喧伝されていたけれど、その好ましい側面ばかりを賞賛するわけにもいかなくなっている。こうなると、だれとも連絡がつかないというのが、もっとも社会的ステータスの高い人物になってくるのではないか。

 しかし、ぼくのように、他人からの連絡を拒絶しながら、一方でお花見の誘いをこっそり待っているようでは、とてもその域には近づけないにちがいない。やっぱり桜を眺めながら飲む酒にはだれもかなわないのである。



本文中の内田百閒『特別阿房列車』の引用は、すべて『阿房列車』(内田百閒集成1、ちくま文庫、2002年)に拠るものである。


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。宗教人類学者。1972年東京大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、ミルチャ・エリアーデらのもとで研究する。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。1970年代から現在まで、世界各地で宗教人類学調査を続けている。『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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