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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第79回・料理は愉しい

01 豚ロースの生姜焼き

タイトル

 なんでそういうことになったのか自分でもよくわからないのだが、昨年の秋くらいから自分で料理をつくってみようと思うようになった。生まれてこのかた料理など一度もやったことはないし、365日外食という生活が身体に染み込んでいるので、どこまでやれるか半信半疑だった。

 これまでうちでつくったものといえば、インスタントカレーをレトルトごはんの上にかけるくらいで、それでもけっこう大変なことのように思っていた。めんどうくさい。ものすごく忙しいスケジュールで仕事をしてきたので、そんな時間さえもったいないことのように思うのだった。そもそも一日一食でもだいじょうぶなくらいで、夜にビールやウィスキーや焼酎や日本酒やカクテルやホッピーなどを飲みながら、だれかと笑いあっているのが性にあっている。昼食もマクドナルドで十分。とにかくごはんは必要なかったのである。

 ところが、50代に入ってから次第においしいものに興味を抱くようになり(←遅すぎ)、飲みながら食べるという「不健康な」習慣が身についてくると、果たして自分でもつくれないものかというささやかな好奇心が芽生えてきた。もともと学生らがうちに集まってくるので、鍋やフライパンなど調理器具は一通りそろっていたし、電子レンジや炊飯器さえも女の子らが使うために備えつけてあった。やってやれないことはない状況だったのである。ただし、そうはいっても、もし人類が滅びるようなことがあっても、料理をしない最後のひとりになる自信もあった。「わたしつくる人、ぼく食べる人」というCMが男女差別だと糾弾されたことがあるけれど、あくまでも、「ぼく食べる人」以外考えられなかった。昔からぼくを知っている連中だったら、「ぼくつくる人」といっても、絶対に信じられないことだろう。

タイトル

 きっかけは、いくらレトルトカレーとはいえ、炊きたてのおいしいごはんにかけたらすごくおいしいという一言だった。それまで男の料理なんてもっとも興味のない話題で、まあ、やりたい人はやればくらいに思っていたのだが、とりあえず、カレーさえあればわざわざ外に出かけなくても済むということで、重い腰を上げて、はじめて自分でごはんを炊いてみたのである。

 そこから、わずか1ヶ月で本格的な料理へと雪崩をうつように入り込んでいくことになる。忘れもしない2009年11月11日、初めての料理「豚ロースの生姜焼き」にまず挑戦することになったのだった。

 近くのスーパーで食材や調味料の数々をいろいろ買い込んできて思ったのは「安い!」ということだった。だれかと外食するとすぐに1万円は超えてしまうし、普段から競馬、マージャンをやっていると、その1万円でさえ紙っきれという感覚になる。ポケットに10万円入っていても1週間もたなかったバブルの頃ほどではないけれど、いまでも3万くらいは入っていないと落ち着かない。ところが、スーパーで豚ロースを買ったら、なんと385円という安さで、びっくり仰天してしまった。しかも二人前は十分にある。たまねぎとピーマン。キャベツはなんだかめんどうくさそうなので、レタスを買い、味噌汁の具にもやしを買った。このもやしがなんと39円。ねぎ108円。それから、生姜。正直に書くと、「豚ロースの生姜焼き」をつくるというのに、生姜を買い忘れて、後であわてて買いに走ったのだった。ついでに、大好物の豆腐と納豆を買い足してきた。

 なぜ「豚ロースの生姜焼き」をつくろうと思ったかというと、近くの本屋の料理本コーナーでページをめくって最初に出てきたからであって、どうしても好きだというわけではない。もちろん、キライな料理をつくっても仕方がないので、料理本の八割はムダだった。ぼくはキノコとかカタカナの野菜類(レタスとアスパラガスを除く)、エビとかカニとか貝類のように見た目がおそろしいものは苦手なのだった。料理本にはそんな食材ばかり並んでいて、閉口した。肉も特に好きなわけではないけれど、生姜は大好物、というわけで、まあ「豚ロースの生姜焼き」はスタートとしては妥当なところだったのかもしれない(それなら生姜を買い忘れるなよ)。

 しかし、問題は調味料である。近くの店で味噌、みりん、ドレッシングなどを買いそろえた。さすがに醤油とか塩くらいは持っていた。サラダ(といってもレタスをちぎっただけ)にドレッシングなんて生まれて初めてのことだった。これまでだったらマヨネーズ以外受けつけなかったのだが、めでたい再出発の日にはドレッシングがぴったりと思ったのである。

タイトル

 本屋で暗記してきたとおり、まず平たい皿に豚ロースを広げて、脂身と赤身の境目に包丁を入れておく。しょうゆ、酒、みりんなどの調味料を加え、さらにすりおろした生姜をたっぷりまぶす。そのまましばらくそっとしておく。ちょっと前に洗っておいたお米を炊飯器にセットして、だいたい40分くらいということだったので、てばやくレタスをちぎり、よく水で洗ってから皿に盛ってラップをかけておく。

 それから、おいしい味噌に昆布などの調味料を足して味噌汁の準備をはじめ、洗ったもやしを入れるところまでやっておく。豆腐を切り、納豆を器に盛って、いよいよビールである。ポテトチップスを出してきて、まずは祝杯をあげる。冷やっこにねぎと生姜を加えて一口食べてはビールを飲む。ぐふっ。これを極楽といわずしていったい何が極楽だろう。あっというまにビールがなくなる。しかし、困ったことに炊飯器はいまだにうんともすんともいわない。こんな調子では料理ができる前に酔っぱらってしまう。

 30分経過。プシュッと缶を開けて、またビールを飲む。いよいよ時は来た。うちの料理についての家訓は「熱い・辛い・早い」のみで、特に、料理が冷めることは許されなかった。味噌汁にもやしを投げ込んで、沸騰する前にガスを止め、ほぼ同時に、たまねぎとピーマンをフライパンで塩・胡椒しながら軽く炒める。そして、生姜をてんこ盛りにした豚ロースをフライパンにのせる。箸でひっくり返したりして、残った生姜のつけ汁をかけ、てばやくレタスが待っている皿にジュッという音を立てながら並べる。これで「豚ロースの生姜焼き」の完成だ。

 自分で書くのもなんだが、これがなんとものすごくおいしかった。この世で食べたなによりもおいしかった。味噌汁もうまくできた。ごはんをガツガツ食べて、ソファに移動しながら思ったのは、さて、次は何に挑戦しようかということだった。一般の主婦だったら簡単にできることが、さすがにあたふたしてしまうし、手がかかる。あっ、しまった、写真を撮るのを忘れていた!

02 料理を暗号解読する

 かつて大学の授業で「料理を暗号解読する」という演習をやったことがある。イギリスの人類学者メアリー・ダグラスの論文「Deciphering a Meal」(料理を暗号解読する)を講読しながら一緒に料理について考えてみようという演習だった。そこには欧米の料理の組み立てはa+2bという公式で並べられると書かれている。「豚ロースの生姜焼き」でいうと、aが豚ロース、2bはたまねぎとピーマンということになる。

 欧米の料理にはテーブルマナーも含めてたくさんの公式が見出されるというのだが、もっとも興味を持ったのは、旧約聖書の「レビ記」に記載されている「食べられる動物と食べられない動物」のちがいはどこにあるのかという分析だった。たとえば、「レビ記」には次のような記載がある(財団法人日本聖書協会・新共同訳より)。

《主はモーセとアロンにこう仰せになった。イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。従って反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの生き物は食べてはならない。らくだは反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。岩狸は反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。野兎も反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。いのししはひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反すうしないから、汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。これらは汚れたものである》(レビ記11章1~8節)

タイトル

 さらに、食べてよい動物といけない動物のリストはつづいていく。

《羽があり、四本の足で動き、群れを成す昆虫はすべて汚らわしいものである。ただし羽があり、四本の足で動き、群れを成すもののうちで、地面を跳躍するのに適した後ろ肢を持つものは食べてよい。すなわち、いなごの類、羽ながいなごの類、大いなごの類、小いなごの類は食べてよい》(レビ記11章20~22節)

 それに対して、ダグラスは古来の問いをとり上げている(『汚穢と禁忌』(塚本利明訳、ちくま学芸文庫、2009)。

《ラクダ、ウサギ、およびイワダヌキが汚れたものであるのは、なぜであろうか? バッタやイナゴには汚れているものとそうでないものとがあるのはなぜなのだろうか? なぜ、カエルは清きものなのに、ネズミやカバは汚れたるものだろうか? カメレオン、モグラ、トカゲの類が同一の箇所に挙げられているが、これらのものはどういう共通性を持っているのだろうか》

 彼女は有毒のものや食べておいしくないものなど生物学的根拠をふくめて慎重に検討し、食べていけないものに一貫して見出される法則があるとしている。途中を省略して結論だけをいうのはどうかと思うので、あえてここでは書かないが、われわれは生物学的な条件よりも観念的な分類にしたがって生きているということをここでは強調しておきたい。

 演習の最後には、みんなで日本料理を食べながら、その意味について考えてみようということになり、大阪梅田の懐石料理に出かけていくことになった。そこで、料理の構成について考えてみようということだったのだが、懐石などにまったく興味のなかったぼくは、お品書きにある「八寸」などの固有名詞さえわからず、なんとなくおいしかったけれどちょっと物足りないよな、ということで、みんなで近くの飲み屋にそのまま繰り出したのだった。

03 快楽の技術の向上

 ところで、ぼくがもっとも好きな食材といえば、ジャガイモ、たまねぎ、蓮根、サツマイモ、かぼちゃ、豆類ということになるのだが、まだそれらについて挑戦していないのが気になって仕方がない。しかし、いまさら肉じゃがもどうかと思うし、なにかいい料理はないだろうか。

 そういえば、ジャック・バローの『食の文化史』によれば、《スパイスの東洋に行こうとして大西洋を渡ったコロンブスは、アメリカを発見するが、そこからヨーロッパにトウモロコシ、インゲンマメ、サツマイモ、ジャガイモ、トマト、ピメンタ、ヒマワリ、キクイモ、シチメンチョウ等々》がやってきたということである。そうなると、ぼくが好きなものはみんな新大陸からきたことになる。もともとヨーロッパにあったのはきわめて貧しい食材だけだったのではないか。ぼくがヨーロッパの食事を好まないわけはそんなところにあったのかもしれない。

 というわけで、写真は、「豚ロースの生姜焼き」「麻婆豆腐」「柿の生ハム巻きなどの朝食メニュー」「アスパラとなすと豆腐の炒めもの」で、どれもその1ヶ月につくったものである。ひとりで食べるとまるで証拠が残らないので、やはり写真に撮ることにした。こうした料理のラインナップはそんなに増えるとも思えないし、おそらく料理熱も3月くらいまでしかつづかないだろう。

 そのときにこちらから見える世の中はいったいどうなっているだろうか。最後に、ジャック・バローにならって、プラトン『ゴルギアス』(加来彰俊訳、岩波文庫、2007)からの引用を載せておきたい。

ソクラテス  いま、ぼくにこう訊ねてみてくれ。料理法はどんな技術であるとぼくには思われるか、と。
 ポロス  では訊ねましょう。料理法はどんな技術ですか。
 ソクラテス  技術なんかではないよ。ポロス。
 ポロス  それなら、いったい、何ですか。いってください。
 ソクラテス  では、言おう、ある種の経験だよ。
 ポロス  何についての経験ですか、いってください。
 ソクラテス  では、言おう、喜びや快楽をつくり出すことについての経験なのだ、ポロス。》

 料理をやったことで、他の快楽の技術が向上するとしたら、これほど愉快なことはなかろう。しかし、いかなる快楽の技術が向上するかどうかはその人によるだろう。さて、今夜はぶりの照り焼きにでも挑戦してみよう。グッド・ラック。



○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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