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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第78回・アルメニアン・ラプソディ

01 なぜアルメニアなのか

 どうしてアルメニアに出かけたんですか、そう聞かれても、どうにも答えようがない。自分から言い出してむりやり決めてもらったのにそれはないだろうと言われそうだが、ひたすら行き当たりばったりの旅だったのである。カメラマンと2人分の取材費は出してもらったのだが、いまのところどこにも掲載の予定はない。贅沢といえば贅沢ではあるが、切羽詰ったものがないというのはいいことなのかどうか。とりあえず、なぜアルメニアなのかというポイントだけでもここに書きとめておきたい。

タイトル

 普通の人はアルメニアがどこにあるのか知らない。1991年にソ連から独立したばかりの国なので、まだあまりなじみがないのだ。黒海とカスピ海に挟まれた国で、西にトルコと国境を接しているといえば、多少イメージがわくだろうか。ところが、宗教学者にとってはロシアなどよりもずっと注目すべき国なのである。

 地理的にみると、コーカサスの南に位置するアルメニアは、肥沃な黒い灰で覆われている。そこは山襞のおりかさなる天然の要衝であって、他民族の侵略から容易に身を守れる地形がそろっていたのである。それでも、きわめて地殻が不安定な土地の一つでもあって、地震などによる災害も少なくなかった。首都エレヴァンに着いての第一印象は、見わたすかぎり岩山ばかり。ここには緑というものがない。灼熱の地アルメニアという形容がぴったり当てはまるのだった。

 そういえば、かつてアルメニアは石造建築の技術において世界の最高峰であって、ペルシャやオスマントルコ、西欧キリスト教のカテドラルの多くはアルメニア出身の石工が造り上げたものだと聞いたことがある。これだけ石ばかりの土地で地震が多ければ、どうしたって技術も発展することだろう。

 このアルメニアはなにより世界で最初にキリスト教を国教とした国である。いったいなぜこんな辺境の地にキリスト教が最初に定着したのだろうか。なんと313年のミラノの勅令よりも早い。もちろん、かつてのアルメニアはいまとは比較にならないほど巨大な帝国だったことが知られている。ヘロドトスの『歴史』にも、アルメニアの人々はチグリス河を船に酒樽をいっぱい乗せて下らせていた、と書かれている。ここはワインの原産地として古代よりよく知られていたのである。はじめてマルコ・ポーロの『東方見聞録』を読んだときも、マルコの旅がアルメニアの記述から始まっているのにちょっとした戸惑いを覚えたものである。なぜアルメニアなのか。

 ノアの方舟がかつてアルメニア台地の中央に位置するアララト山(現在はトルコ領)に着いたというのも、よく知られたエピソードであるが、それも単なる偶然とかいいかげんな作り話とは思えない。アルメニアのキリスト教徒はいまでも自分たちをノアの子孫だとかたく信じているし、たしかにこの国には旧約聖書的な空気が色濃く流れている。これまでキリスト教といえばカトリックに代表される西欧的宗教と思われてきたが、果たしてそれは本当だったのだろうか。もしかしたらキリスト教の起源はパレスティナではなく、チグリス・ユーフラテスの上流にあるこの地にあったのではないか。

 まだ大学に入ったばかりの頃、トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟』を読んだことがある。その冒頭に「いったいエデンの園はどこにあったのか」という問いが出てくるのだが、トーマス・マンは諸説を検討した結果、それをアルメニアであったのではないかと推理している。旧約聖書「創世記」によれば、エデンの園は4つの河の源にあったという。その4つとは、ピソン、ギホン、ヒデケル、ユフラテで、ユフラテはユーフラテス河、ヒデケルは「アッシリアの東を流れる」という記述からチグリス河とされている。ピソンは「金や紺碧石を産するハビラの全土をめぐって流れる」とあるが、いまだにどこか確定されていない。ギホンは「クシの全土を流れる」というから現在のアラクス(アラス)河流域を指すと思われる。となると、そこはアルメニア台地以外のどこでもないということになる。

タイトル

 そもそもチグリス、ユーフラテス、アラクス、クラの4つの大河の源にあるアルメニアは、人類文化発祥の地のひとつと言えるところでもあった。いまから50万年前、自然の岩穴があり、澄んだ水の流れるこの地を人類は定住の地として選んだのだった。その後も様々な遺跡が発掘されているが、氷河期を生きながらえた人類は、紀元前12000〜6000年に再びこのコーカサスの地に住み着くようになり、温暖なこの地方の野生の果実は狩猟採集の民の定着をもたらしたのである。

 そういう意味では、たしかに野生の果実は豊かで、葡萄、チェリー(さくらんぼ)などはどこでも見られるし、特にアプリコット(あんず)はアルメニアを代表する果実とされている。だれの家を訪ねても、庭の果実の木からさっと採ってきて「どうぞ」と笑顔で手渡される。

 そんなことからアルメニアには以前から興味を抱いていたのであるが、さらに、20世紀を代表する神秘主義者グルジェフ(あちらではグルジエフと発音するので以下それに従う)、映像作家パラジャーノフ、不世出のチェス世界チャンピオン・カスパロフらを輩出したことでも知られており、カラヤンをはじめとしてハチャトリアン、シャルル・アズナブール、シルヴィー・ヴァルタンら多くの音楽家アルメニア系であるといわれている。。

 そういえば、だれかがカラヤンの生まれた村を訪ねたら、村人たちがみんなカラヤンと同じ顔をして現れたというエピソードもある(笑)。たしかにアルメニア人らしい顔の代表かもしれない。すぐれた音楽やダンスや建築があるということは、すぐれた宗教的背景があるということを意味している。しかし、ギリシア正教と聞いてもピンとこないのに、アルメニア正教とはいったいいかなるものなのか。そのあたりをどうやったら探ることができるのだろうか。

02 ミトラ教

 アルメニア正教もそうだが、どちらかというと、ゾロアスター教やミトラ教の本拠地ともいえる地域にどのようにキリスト教が入りこんだのか、そんな太古の「神話的」な出来事のほうについ心は飛んでしまう。アルメニアといえば、普通はササン朝ペルシャだのオスマントルコだのが思い浮かぶはず。そんな国がなぜ世界で最初のキリスト教国になったのか。

 とにかくアルメニアを歩いてみないことには始まらない。まず、到着して最初に出かけていったのはガルニ神殿だった。おそらく古代のミトラ教の神殿だと思われるが、太陽神ミトラを祀ったゾロアスター教の神殿とも言われている。この神殿が建てられたのは紀元1世紀。当時のアルメニアはギリシア・ローマ文化の影響を強く受けており、この神殿もヘレニズム様式で造られている。まさにアテネのパルテノン神殿を思わせる優美で均斉のとれた造りになっている。

 ガルニ神殿の大きな特徴は天然の要塞のような地形にある。三方が深い谷に面しており、どこからも近づくことができないようになっている。アルメニアのように外敵との戦いに明け暮れた国では、まず自然の地形こそが大事になってくる。いまは、すぐ隣に密着するようにしてキリスト教会が建っており、さらに、その隣にはかつてのアルメニア王国の宮殿跡があり、そこには付属の温泉施設まで備わっていたことがわかっている。まさに「聖地は1センチも動かない」の典型で、あらゆる文化遺産が折り重なるようにして一ヵ所に立ち並んでいる。

 この地は交通の要衝であり、東西からさまざまな文化が流れ込んできたことがわかっている。しかし、文化というのは必ずしも一方通行ではない。入ってくるものがあれば出て行くものもある。たとえ政治的に屈服したとしても文化的な勝利を収めるということだってある。たとえば、アレクサンダー大王の東征により、このようにアルメニアの地にもギリシア風の神殿が建てられたわけだが、逆にアルメニアの太陽神ミトラ信仰は地中海世界にも伝播し,紀元前3世紀にはミトラ信仰に基づく密儀宗教(エレウシスの秘儀)はローマでも有力なものとなったのである。

 まず、その舞台となったガルニ神殿をゆっくりと歩きながら観察する。なんだかここに来るまでの風景はエチオピアのメケレあたりの土くさい風景とよく重なり合う。チェリーがたくさん木になっている。アルメニア人の案内人に、「ということは、サクラの花もいっぱい咲くのか」と聞くと、「サクラの花はそうでもないけれど、アプリコットの花はサクラによく似ていて、とてもきれいだ」との返事。道端でチェリーや蜂蜜のようなものがいっぱい売られている。

 ガルニ神殿でもっとも印象的だったのは、神殿の天井に小さな穴があり、その真上から6月21日(夏至)の日に太陽の光が入り、真下に備えられた神像が黄金に輝いて人々を驚嘆させるというエピソード。まさに太陽のエネルギーを一身に体現している様子がまざまざと見てとれるわけで、人々の熱狂がこちらにも伝わってくる。ということは、ここはゾロアスター教の神殿というよりも、やはりミトラ教の神殿と見たほうがよさそうだ。ミトラはアーリア人の古い神話に登場する太陽・光明の神であり、ここでは「ミフル」、古代ペルシャでは「ミスラ」、古代インドでは「ミトラ」と呼ばれているが、すべて同一の神格を表している。ついでに記しておくと、ぼくが東大の大学院に提出した論文のテーマとしたのが、フランスの比較神話学者ジョルジュ・デュメジルの『ミトラ=ヴァルナ』だったことでもあり、その地に立っただけでなんともなつかしい思いがしたのだった。

 ミトラ信仰についてはわかっていることがあまり多くない。ミトラは、おそらく中央アジア全体で信仰されたもっとも古い神格の一つであり、紀元前12〜9世紀にゾロアスターによる宗教改革が行われても、その最高神としての地位はアフラ・マズダと同一視されながら、後々の世まで生き残っていったのだった。アルメニアのティリダス一世がローマ帝国のネロ皇帝の前に跪いた際、彼は「自分はネロ皇帝の下僕であり、ミフル神を崇めるように、ローマ皇帝を崇める」★01と宣言している。アルメニアおよびパルティアの宗教がミトラ(ミフル)教であることを示す有名な場面である。

 キリスト教が登場するまでこのミトラ教がローマ帝国内で広く信仰されており、後のキリスト教が大きく影響を受けたということもおそらく本当のことだろう。そこに流れる思想は「この世は善と悪との戦いの舞台であり、世界の終末には救世主が現れて、必ずや善が勝利を収めるだろう」というもので、その教えはゾロアスター教のみならず、マニ教、そして、キリスト教にも受け継がれていったのである★02。

 ミトラ教についてはまた別に論じる機会もあるだろうが、ここで注目したいのは19世紀末に現れた一連の神秘主義思想家たちの多くが、このミトラ教やシーア派の影響を強く受けていることであり、そういう意味では、キリスト教異端の大きな潮流の一つは中央アジアの土着的な宗教(ボゴミル教、ゼルヴァン教、カタリ派など)と大きくかかわっているということになる。なかでも、偉大なグルとしていまなお尊敬を集めるグルジエフもまたアルメニア出身の思想家なのだった。

03 グルジエフ(1866-1949)。

 ピーター・ブルック監督の「注目すべき人々との出会い」(1979年)を見たのは、たしかシカゴで暮らしていた当時のことだった。世紀末最大の神秘主義者として知られるゲオルギイ・グルジエフについてはそれほどよく知られていない。マダム・ブラヴァツキー(1831-91)、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)と並んで新しい神秘主義のヴィジョンを示したグルジエフは、1866年アルメニアのアレクサンドロポール(現ギュムリ)に生まれた。東洋を遍歴した後に、モスクワやパリ郊外で独特のメソッド(「ワーク」)を実践することになる。一種の神聖舞踏であり身体技法である。その試みはヨーロッパやアメリカで成功を収めることになるのだが、晩年に幾度かの方針転換を行い、その成果は主著『ベルゼバブの孫への話』にまとめられることになる。

 さて、「注目すべき人々との出会い」であるが、映画はまだ幼い彼がギュムリ近郊の谷間で行われた音楽コンテストを見に行くところから始まっている。そこは「聖なる谷」と呼ばれており、すぐれた音楽家が演奏すると、その音楽は谷間にこだましていつまでも反響するのをやめないとされていたのである。そのシーンが妙に強く頭にこびりついていたので、アルメニアに着くや否やその谷の在りかについて人々に訊ねてまわったのだった。そもそも以前そこを訪れたという人に聞いたところ、ある地元のミュージシャンの演奏を聴きながらずっとビデオカメラを回していたところ、後で再生するとずっとその音楽が反復されていたというのである。そう聞いたらだれでも興味を持たずにはいられないだろう。

 結果からいうと、首都のエレヴァンから車でギュムリに向かい、多くの人々にインタビューをしたものの、結局それらしい谷にはたどり着くことはできなかった。そのかわり、最新の成果として、グルジエフが生まれた家の場所はつきとめられたし、彼の父親の墓もだいたい特定されたのだった。

 では、グルジエフらの思想とはいかなるものだったのか。

 一般的な心理学では、正常からほど遠いきわめて病的な精神状態についてはなんらかの知見を示すことができたが、逆に高次の精神状態についてはまったく扱いえないとされてきた。グルジエフらの研究は、そうした精神状態に至る道筋を明らかにし、それらをつかさどっている《隠れた叡智》をいかにして手に入れるかということに尽きるのだった。《隠れた叡智》とはグノーシス、カバラ、錬金術、ネオ・プラトニズム、チベット秘儀、スーフィズムなどが共通して追求した《知識》とも言いかえられるだろう。

 そうした背景のもと、ブラヴァツキーは「神智学」提唱し、当時、大きな話題となったダーウィニズム(進化論)の思想には精神的な次元が欠けていると論じたのだが、シュタイナーもブラヴァツキーを継承して、人類と地球を道づれの有機体同志と理解し、宇宙の一連の律動のなかで、人間性も地球も天使の霊の導くままにともに成熟し適合していくものだと述べている。宗教学者セオドア・ローザクは、興味深いことに、「彼(シュタイナー)の体系においては肉体を最古のものとし、したがって、われわれの性質のうち、もっとも完成した相であるとする。完成の度が高いので、肉体が病気になるのは、パーソナリティのもっと高いレベルがいまもなお不安定であるから、それによって妨害されるという場合しか考えられない」★03と論じている。

 それに対して、グルジエフに顕著なのは、導師(グル)として、療法家としての才能であった。人間の意識の進化は宇宙の進化と密接に結びついており、そこに加わるためにはまず自己のおかれた状況を超克する確固たる信念がなければならないと説いた。そのためには眠っている人間に強いショックを与えるとか、厳しい(不意打ちに近い)身体的=情緒的な試練が必要だというのである。そのために行わせたグループ・ダンスにはスーフィーから学んだことが多く含まれており、彼は期せずしてスーフィズムの西欧への紹介者としての役割も演じることになったのだった。

 そういうわけで、ここに西洋の心理療法における新しい次元が見出されるようになったと評価する向きもある(もちろん正反対の評価もある)。とにかく、あらゆる「療法」がマイナスの状態に陥った人々を「普通」の状態に戻すための試みであるのに対し、グルジェフの場合は「普通」の状態の人々をいかに高次の精神状態へと導くかが実践的なテーマとなったのである。

04 グルジア(ジョージア)へ

タイトル ギュムリを離れて、ぼくらはグルジエフが若い頃に修行したとされるサナヒン修道院(世界遺産)へと向かった。そこで見たものは、いくたびかの破壊を繰り返したこの地方独特の建築物であり、祈りの場所であり、獲得した知識を記憶でしかとどめることができないという時代の風景だった。

 たとえば、修道院の図書館の床には、いくつも敷石がはずせるようになった場所があり、もし敵に襲われそうになったら、敷石をはずして内部の壺の中に本を隠すようにできていた。みごとに美しい修道院だが、その背景には長い侵略と略奪の歴史がひそんでいるのである。

 サナヒン修道院を過ぎれば、もうそこはグルジアとの国境である。いまでも世界中で戦争が勃発している。グルジアも例外ではない。しかし、ぼくの旅は、アルメニアのガルニ神殿、ゲガルド修道院、ズヴァルトノツの考古遺跡、エチミアジン大聖堂などからさらに遠い過去へと遡ろうとしていたのである。

 


★01青木健『ゾロアスター教』講談社、二〇〇八年。
★02同上。「ミトラ」はサンスクリット語の「マイトレーヤ」に転訛し、未来における救世主としてのミトラ信仰はインド西北部に入って、弥勒菩薩信仰の成立に大きくかかわったともいわれている。
★03セオドア・ローザク『意識の進化と神秘主義』志村正雄訳、紀伊国屋書店、一九七八年。



○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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