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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第77回・カサノヴァ最後の恋

01 ウィーン2009年夏

 七月の終わりにいろいろ事情が重なってウィーンに一週間滞在することになった。ウィーンに住むアーティストたちと会って、彼らの生活ぶりを取材しようと思ったのだった。若手の作家と女優のカップル、ジャズシンガー、フンデルトヴァッサー・ハウスに住む画家、シェーンブルン宮殿に住む作曲家など、なかなか刺激的なメンバーがそろったのだった。しかし、この夏出かけたアルメニア・グルジア取材も、このウィーンでの取材も、いまのところどちらも掲載の見込みのない仕事で、それはそれでいいのだけれど、戻ったらすっかり財布が底をついていたのだった。

 それでも、なんとかなるだろうと、パレ・コーブルク・ホテル&レジデンスという宮殿を改装したホテルに泊まったので、なんと一泊約700ユーロ(9万円)。全室スイートで、一階はデスクやソファなどがあるパブリックスペース、二階はベッドやバスルームのあるプライベートスペースとなっていた。もちろん居心地は悪くないのだが、こういうところに一人で泊まっても別におもしろくもなんともないのだった。一週間で60万支払うだけの価値があったかどうか。

パレ・コーブルク・ホテル&レジデンス

 たいていアジアでの調査のときには、小さなゲストハウスで三週間過ごして室料トータル2万円なんていう日々を送っているわけだが、それにしても、パレ・コーブルク一泊でフィールドワーク三ヶ月分になるというのがすごい。この一週間分でインド、ネパール、タイ、インドネシアだったら二年間は楽々住めることになるだろう(長期滞在だからもっと安い)。まあ、どちらでもかまわないという生き方ができるのが本当の贅沢というものかもしれないのだが。

 そんなわけで、昨年からエチオピア、ドバイ、インドネシア、タイ、ネパール、アルメニア、グルジア、オーストリアと旅してきたわけだが、それぞれの調査内容とはまた別に、そのあいだずっと放蕩とか快楽について考えてきたのだった。いったい人は何を求めて生きているのか。贅沢か、それなら、贅沢とは何か? さらに、放蕩とは何か? 快楽とは何か? バルザックは、詩と同じように放蕩もひとつの芸術であり、たくましい精神を必要とすると書いた。たしかにそのとおりだと思う。しかし、そのたどりつく先にはいったい何があるというのだろうか。


02 シュニッツラー『カサノヴァの帰還』

 人はどれだけ自分のことがわかっているのだろう。あなたは神経質だとか、寛容だとか、意志が強いとか、失敗を引きずるとか、だれにでも当てはまる言葉で適当に納得してはいないだろうか。実際のところ、あなたは、あるときには人嫌いになったり、あるときには愛情いっぱいに人と接したりする。人ごみで肩がぶつかっただけで、相手をにらみつけたり、または「すみません」と会釈して通り過ぎたりする。どちらもあなたなのだ。どこにも一貫したものなど見当たらないのに、あなたはそれでも自分は自分だと思っている。

 いったい本当の自分などというものが存在するのだろうか?

 ぼくはいまでも自分を40代前半くらいに思っている。そう、「自己イメージ」というのはなかなか年をとらないのだ。人によっては年齢以上に見られたいという連中もいるのだが、なんだか劣等感の裏返しみたいで気の毒だ。しかし、男性の場合は若くて得することはほとんどないので、それはそれでわかる気もする。それなら、なぜ40代前半という年齢が出てくるのだろう。けっして年をとることを恐れているわけでもないはずなのに。

 そんなことを思ったのは、シュニッツラーの『カサノヴァの帰還』(1918年)を読みなおしていたせいかもしれない。カサノヴァ(1725-1798)はご存知のようにヨーロッパを股にかけて活躍した誘惑者でありギャンブラーでもあるのだが、晩年になって、自分の運命を呪うかのような悲惨な日々を送りつつ、『回想録』を書くことに唯一の慰めを見出していたのだった。彼の『回想録』(全12巻)についてはまた詳しく論じる機会があるかもしれないが、シュニッツラーの『カサノヴァの帰還』は「その回想録の最後の章を飾るはずだった一つのエピソード、つまり書かれるべくして書かれずに終わったある事件の顛末」というかたちをとっている。すなわち、老いを自覚しつつある53歳のカサノヴァが、マルコリーナという若い女を誘惑する話なのだが、まったく相手にされず、彼らしいところが微塵もない展開となってしまったのである。

 その冒頭の書き出しが何とも言えない。

 カサノヴァは齢五十三を数えても、なお急かれるように世界のここかしこを駆けめぐっていたが、それはもはや若さゆえの冒険心からではなく、忍び寄る老いの不安に駆られてのものだった。その頃彼は、故郷の都ヴェネツィアに寄せる望郷の思い出が切に募るのを覚え、さながら死にゆく鳥が、空の高みからゆっくり円を描きながら大地に舞い下りてくるように、次第しだいに、旅の輪をせばめつつ故郷の都に近づいていた。

 カサノヴァは、18世紀のヴェネツィアに役者の子として生まれ、外交官、賭博師、投機家、色事師、密偵(スパイ)としてヨーロッパを縦横無尽に歩きまわり、多くの女性と情事をつづけ、1755年のプロン監獄への投獄(魔術・降神術の悪用の疑い)をはじめとして、浮き沈みの激しい波瀾万丈の生涯を送ったのだった。そういう彼を「男たるもの、ゲーテ、ミケランジェロ、もしくはバルザックなどよりも、むしろカサノヴァになりたいものだ」(シュテファン・ツヴァイク)と賛美する人々も少なくなかったのだが、彼自身にとっては果して満足すべき人生だったのかどうか。

 そんなカサノヴァがマルコリーナと出会ったのは、財産もすべて失って不遇のうちに過ごした時期だった。願いはただひとつ、故郷ヴェネツィアに戻れるように元老院からの恩赦が下されるのを、いまかいまかと待ちわびる日々だったのである。


03 老い

 ぼく自身、これまで老いとは無縁だと思って生きてきた。ほとんどの時間を旅のなかで過ごし、どこまでもひたすら疾走するかのような日々を送ってきたのだった。自分が好まないことは何ひとつしないで生きてきた。それだけで十分だった。あとは撃ち落とされた鳥がまっすぐ地面に落下するように、突然この世からいなくなることができたら何も言うことはない。

 ところが、しばらく前に60歳をすぎた大学教授が女子学生と恋に落ちるイサベル・コイシェ監督の映画『エレジー』(2009年)を見たこともあって、老いに逆らって生きることについて考えさせられたのだった。女子学生らに追いかけまわされるカリスマ的人気を誇る大学教授が、うまく立ち振る舞って、だれとも特に親密になろうとしないで過ごしてきたのが、コンスエラという女子学生と出会って一瞬のうちに恋に落ちてしまう。映画評を頼まれて、「愛と欲望はいつも拮抗しているとはかぎらない。人を愛するということはその弱さを愛することだ」と書いた。主人公は老いを理由に彼女と別れようとするのだが、散々苦しんだあげく、二人は意外な結末へと導かれていく。いくつになっても、何もかも投げ捨てられるように生きたいものだが、生きるというのはさまざまなしがらみを抱えることでもあって、なかなか思うようにならない事情だってあるだろう。久々にシュニッツラーの『カサノヴァの帰還』を読みなおしていたこともあって、老いについて、いろいろ考えさせられたのだった。

 それにしても、手にとった『カサノヴァの帰還』には付箋がいっぱい貼ってあった。この前読んだときにはいったい何を考えて読んだのだろう。カサノヴァが関係した女は40年間の女性遍歴にしてはわずか100人ちょっとであって、その数字はドンファンの2500人とは大きな隔たりがある。意外とまっとうな数字ではないか。しかも、カサノヴァが関係した女性らは、いずれも別れた後までカサノヴァを慕っており、それもドンファンとは大きく異なっている点だった。

 もちろんドンファンは地獄に落ちる運命なのだが、では、カサノヴァはどうなったのか? シュニッツラーの『カサノヴァの帰還』はそれをどのように描いたのか。アラン・ドロン主演で映画化されたこともあり(「カサノヴァ最後の恋」)、ぼくも映画館で見た覚えがあるのだが、カサノヴァは最後になって救われたのか、それとも、地獄に落ちたのか? そこにはシュニッツラー自身の物語が描かれていると言ってもよかったのである。


04 シュニッツラー(1862-1931)

 シュニッツラーといえば、世紀末ウィーンで活躍した作家で、S・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)の原作『夢小説』でも知られている。すでに彼の『輪舞』も1964年フランスで映画化され、ぼくはそれも十代のときに映画館で見た記憶があって、なんともかろやかなエロティシズムを感じとったのだった(そのときにジャン=クロード・ブリアリという俳優の名前を覚えた)。そんな彼のカサノヴァに対する関心には並々ならぬものがあり、彼の日記には1914年から16年にかけて例の『回想録』を丹念に読んだことが記されている。

 そういうわけで、シュニッツラーが56歳になってカサノヴァ最後の恋をテーマにしたのはなかなかに興味深いことである。そこには彼自身の老いとセクシュアリティをめぐる考察が濃密に描かれていたのである。つまり、『カサノヴァの帰還』は、ユルスナールの「源氏の君の最後の恋」(『東方綺譚』1980年所収)と同じく、けっして書かれなかった放蕩者の最後を作家の想像力でもって補足したものだと言えるだろう。

 カサノヴァは元老院からの恩赦を待ちつつ、ひたすらヴォルテールに対する論難の書の執筆に明け暮れて気を紛らわしていたのだが、たまたまかつて世話をした男と遭遇し(彼の妻アマーリアもカサノヴァが自分のものとした女だった)、彼のところに数日間とどまらざるを得なくなり、そこで美女マルコリーナと出会うことになる。ところが、彼女はカサノヴァに対してまったく心を許さず、かえって警戒の念さえいだく始末だった。

 最初の出会いのシーンは以下のとおり。

 こういう時、以前なら女どもがよく見せたあの目の輝き―たとえこちらから名を明かさずとも、その溢れんばかりの若さの魅力、あるいは壮年の男の醸しだす妖しげな美しさを見せ付けられた女たちが、かつては一様に見せたあの特有の目のきらめき―そのひとかけらもこの女には見出せないことを、彼は自ら認めざるを得なかった。

 彼の誘惑のしぐさを敏感に感じとったマルコリーナは、怪訝な表情を浮かべるだけで、まったく相手にしようとしない。そんなある日、傲慢で野心的な若き将校ロレンツィがやってくる。彼もマルコリーナに求愛してまったく相手にされなかったとの噂だったが、そんな彼も公爵夫人とはすでにそういう関係になっており、 カサノヴァは彼に30年前の自分の似姿を見るのだった。侯爵や司祭らとともに彼らをも巻き込んだカードゲーム(ギャンブル)があり、ロレンツィとカサノヴァが大勝ちするのだが、ロレンツィは勝ったまま早々と席を立ち、カサノヴァはさらに賭けつづけて、最後にはすっからかんになって終わるのだった。

 たしかに時にはまだ運を捕まえてやろうとする力が湧き上がってくることもある。でも、一度捕らえた運をしっかりとつかんで逃がさないでおくだけの能力は、もう俺にはない。女であれ、男であれ、人を思うままに操れる力はなくなっているのだ。俺の言葉、声、眼差しにまだ人を魅了する力が残っているとすれば、それは、ただかつての俺のことを思い出してもらえる時だけなのだ。

 そうやって眠れない夜を過ごし、マルコリーナの窓の下にまで来ると、なんと二階の窓の手すりを越えて屋外に飛び出してきた者があった。ロレンツィだった。そして、それを見送る寝巻き姿のマルコリーナ。その夜、彼女はよりによってロレンツィの手によって陥落させられたのである。それを見たカサノヴァは「棒で打ちのめされた犬」のような恥辱にまみれたのだった。

 その翌日のこと、再度テーブルを囲んだカサノヴァは徹底的に勝ちつづけ、ついにロレンツィは莫大な借金を作ってしまう。彼は一両日中に出征に出ることになっており、明日までにもそれを返さなければならない。カサノヴァはそれを肩代わりしてあげるかわりに、自分がマルコリーナと逢引きできるよう手筈を整えよという条件を出す。「ロレンツィ君。あのあえかなる胸に抱かれる男がこの私だということを、あの女にはさらさら気づかれてはならんのだ。それどころか自分の腕の中に迎えた男は、ほかのだれあろう君自身に決まっている、と彼女にてんから信じこませる必要があるのだ」とカサノヴァは言う。ロレンツィは屈辱に耐えつつその申し出を受け容れる。

 その夜、カサノヴァはマルコリーナと歓喜の夜を過ごすことになる。ところが、明け方ふと眠りから覚めると、恐怖と羞恥の思いでいっぱいになって彼を見つめるマルコリーナに気づく。これ以上恥ずべき行為が他にあるだろうか。昨夜のロレンツィのように窓の手すりを越えて外に飛び出したカサノヴァは、自分の不行跡を振り返りもせず、裏木戸を抜けようとすると、そこに立ちふさがったのはロレンツィその人であった。彼はカサノヴァに決闘を挑むためにそこで待っていたのである。二人はいざ決闘することになるが、結果はあっけなかった。カサノヴァは勝利をおさめるや否や、たちまちその場を後にして、ヴェネツィアに向かって馬を走らせるのだった。彼はそのとき元老院による「密偵としての役割を受け容れるならヴェネツィアに帰還してもよい」という屈辱的な決定に従う決心をしたのだった。


05 世紀末ウィーン

 もともとシュニッツラーはフロイトとも親交が深く、いくつかの手紙のやりとりが遺されている。以下はフロイトがシュニッツラーに宛てた1906年の手紙である。

 謹啓 永年来、数多くの心理学上ならびに性の問題の理解につきまして、貴下と小生との間に大いに共通一致するところがあるのに気づいておりましたが、最近、意を決しまして、そうした一致の一つをはっきりと表明することに致しました(『あるヒステリー患者の分析の断片』1905年)。いったいどこから貴下は、これやあれやの密かな認識を得られたのか、小生はしばしば不思議に思って自問してみたことがあります。小生はといえば、対象を苦労して研究してみてようやくこれらの認識を獲得し得たわけで、これまではひたすら三嘆措くあたわざるのみであった詩人なるものに、ここに及んでついに妬みを覚えるにいたりました。

 たしかにフロイトとシュニッツラーとのあいだにはよく似たところがあり、巧みな人間心理の綾を描きこむことにかけては、ともに傑出した才能を示したのだった。19世紀末から第一次大戦にかけてのウィーンは快楽と死に彩られた憂愁の都市であっただけに、彼ら以外にも多くの才能を生み出したのであるが、そもそも快楽と死がコインの両面であるというあたりに彼らの共通項が見てとれるだろう。

 二年ぶりに訪れたウィーンでは、ゴージャスな日々を送りつつ、ぼくはずっとシュニッツラーについて考えていた。彼が常連だったカフェ・グリーンシュタイドルも訪ねてみた。そして、たとえ快楽と死がコインの両面だったとしても、ぼくにとっては「官能の喜びを深めることがつねに自分の主要な仕事」(カサノヴァ)なのだと思いなおしたのだった。カサノヴァは官能の歓びを追求したあげく、最後には故郷ヴェネツィアへの帰還を望んだのだが、ぼくにとって戻る場所とはいったいどこなのか。いずれにせよ、これを書いているときには、またしてもアジアのどこかをさまよっていることだろう。

 

参考文献
A・シュニッツラー『カサノヴァの帰還』金井英一・小林俊明訳、集英社、1992年。
種村季弘・窪田般彌「カサノヴァの十八世紀」種村季弘対談集『異界幻想』所収、青土社、2002年。
H・ブロッホ『ホーフマンスタールとその時代』菊盛英夫訳、筑摩書房、1971年。
P・トラクテンバーグ『カサノバ・コンプレックス』岸田秀訳、飛鳥新社、1989年。
池内紀編『ウィーン・聖なる春』国書刊行会、1986年。
窪田般彌『孤独な色事師―ジャコモ・カサノヴァ』薔薇十字社、1972年。
ジャコモ・カサノヴァ『カサノヴァ回想録』全12巻、窪田般彌訳、河出書房、1995年。



○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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