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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第76回・闇の奥

01 旅する日々

 昨年の夏から、エチオピア、インドネシア、ネパールと旅を続けてきた。その合間にはずっと紀伊半島の熊野を訪れ、ようやく一ヶ月前に『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(写真・鈴木理策、集英社新書ヴィジュアル版)を刊行した。そして、もうすぐアルメニア、グルジアへの旅へと出発することになっている。よく考えると、エチオピアでも誘拐事件が発生していたし、ネパールでもマオイスト(毛沢東派共産主義者)の処遇をめぐって政情不安が続いていた(1日16時間停電!)。グルジアもロシアとの軋轢がきびしさを増して、いつ何が起こっても仕方がない状況だ。「そんなところばかり歩き回っていてだいじょうぶですか」とよく人に聞かれるのだが、日本にいて自分の健康について思い悩んでいるよりもずっと元気でいられる、と答えている。

 これまで多くの人々が旅をしてきた。モンテーニュ、ランボー、D・H・ロレンスらのような内省的な作家たちも実際は旅のなかで作品を書いてきた。この「旅のなかで」というのが大切な点で、あくまでも「旅について」ではない。現在は、朝日カルチャーセンター(大阪)で、人類学者、詩人、俳人、映画監督、作家、革命家らそれぞれの旅を追っているわけだが、結局、旅をしない人間は何も生み出すことができないのだ。ひとりで部屋にこもって、そこで何か斬新なものを見出すことができると思ったら大間違い。どこか遠いところでだれかと出会ってインスピレーションを得ないことには何も始まらないのである。

 旅のなかで、ぼくらは自分と出会い、自分と別れる。旅では、これまで自分の財産だと思ってきたものを捨てる覚悟が必要なのだ。いや、それは旅に限ったことではない。生きるということは、自分が獲得してきたものを次々と捨てていくことであり、その場でたまたま得たものをブリコラージュのように適当に組み立てて、ぎくしゃくと歩き続けることでしかない。いったん「これだけは失いたくない」と思ったら、もう一歩も前には進めない。どうせ、そのうち死ぬとわかっているのに、そんなもの(過去のガラクタ)を溜め込んでいったいどうなるというのだろうか。

 そんなときには、ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』に登場するクルツのことを思うのだ。虚無というのは、哲学者のもとではなく、犯罪でもなんでも徹底的に追求した人々、腹いっぱい食べた人間、いやというほどお金を貯めこんだ人間のもとを訪れるのである。

02 ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』

 およそ人類学とか国際関係を学ぶ人間は、だれもがコンラッドの『闇の奥』を読まなければならない。岩波文庫(中野好夫訳、1958年)で160頁くらいのハンディな小説なので、もし大学で課題として出されたとしても、そんなに手ごわい相手ではないと思われがちだが、これがなかなか一筋縄ではいかない作品なのである。あのオーソン・ウェルズがどうしても映画化したいと望みながら断念して『市民ケーン』を撮ったのは有名な話である。

 それほど魅力的な小説ならば、ささっと読んで要約をまとめて提出すればいいと思うかもしれないが、大学生くらいだと要約をまとめるのも一苦労、ましてや内容について論じろと言われたら、まったくお手上げになること請け合いだ。なにしろ読みにくいし内容もどこか漠然としている(あながち翻訳の問題とも言い切れない)。ぼくも幾度かゼミのレポートの課題にしたいと思ったが、結局、人類学でもマルセル・モースとかV・W・ターナーとかがテーマとするような具体的でわかりやすい問題へと振り替えてきたのだった。

 そういうわけではあるけれど、ぼくも30年近く大学で教鞭をとってきて、一度もコンラッドに触れることなく終わってしまったことは心残りなので、ここでちょっとだけ触れておきたい。旅を職業(人生)とするものにとっては避けられない重要な問題がそこで扱われているからである。

ネパールで買ったガルーダ像

 船乗りジョゼフ・コンラッドはベルギーの首都ブリュッセルの貿易会社に目をつけ、わざわざコネに頼ってまでして、アフリカの大河コンゴ河で就航している小さな蒸気船の船長の職(3年契約)にありつく。1890年6月ベルギー領コンゴに渡ったコンラッドは、はじめの思惑に反して、精神的にも肉体的にもさんざんな目に遭い、翌年1月末に病の身で帰ってきた。それからほぼ10年後に、コンラッドはそのアフリカ体験に基づいて『闇の奥』を書くのである。★01

『闇の奥』は、1899年に発表されたわけだが、マーロウ船長の回想というかたちで、アフリカ大陸の奥地で絶大な権力をふるったクルツという人物の最期を描いた作品である。当時は、冒険小説や探検記が全盛の時代であったが、『闇の奥』は一人の西洋人がアフリカの「闇」に出会って自己崩壊していくさまをリアルに描いたという点で傑出していたのだった。★02

 この小説は、船乗りマーロウがアフリカの奥地で経験した悪夢のような出来事を、みんなに話して聞かせるという形で進められる。その描写は微に入り細を穿っている。「コンゴまでと、コンゴを溯る航海の詳細や状況は、まるでわれわれが自分でその航海をしているかのように(中略)われわれの前に提出され、こういった細部が、それとともに情緒や暗示の個別性をもたらしているのである」。★03 きわめてリアルなのだ。

 マーロウはコンゴ河を溯ってベルギー領コンゴの奥地までたどり着く仕事の途中で、クルツという人物に次第に興味を持ち、その旅の目的はむしろクルツと出会うことではないかと認識するようになる。マーロウが奥地への遡航で知ったのは西洋人による植民地主義的な略奪の実態だった。いかにも商取引をしているように見せながら、彼らは土着の人々を奴隷のように扱い、収奪し、さらには、拷問にかけたり殺したりしてきたのだった。

 このことについては以下のような歴史的な事実が明らかになっている。1890年代から1900年代にかけて、600万から900万のコンゴ人がベルギー国王レオポルド2世によって虐殺されたということである。これはその後のナチによるユダヤ人虐殺に匹敵するものでありながら、いまだにその事実は黙殺されたままになっている。あたかもアフリカの黒人は人間ではなかったかのような扱いではないか。

 すでにその重大性を感知していたオーソン・ウェルズは、先ほども述べたように、1939年、『闇の奥』をヒットラーと重ね合わせて映画化しようと試みたが、あえなく挫折している。キューブリックもその実現を図ったが、それも叶わず、ようやく1979年になって、フランシス・F・コッポラの手によって『地獄の黙示録』として映画化されることになったのだった。ただし、それは、舞台をベトナム戦争に置き換え、全面的にストーリーを書き換えることによって成立したものであって、あくまでも『闇の奥』はそのまま映画化されることは一度もなかったのだった。

 では、フランシス・F・コッポラの『地獄の黙示録』はどのような作品になったのだろうか。

03 映画『地獄の黙示録』

 コンラッド『闇の奥』といえば、いまやだれもがフランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』を思い浮かべるにちがいない。彼は大胆にも舞台をアフリカのコンゴ河上流への旅ではなく、ベトナム戦争中のベトナム・メコン河上流への旅に置き換えてしまった。総制作費は当初35億円の予定が、実際には90億円(いまではない、当時の90億円だ!)にもなり、その半分はコッポラが私財を投じたという。いくら『ゴッドファーザー』シリーズで財を成したとはいえ、まさに破産覚悟といってもいい。とにかくその情熱たるやすさまじいの一言だ。

ネパールで買ったガルーダ像

 それなのに、台風でセットがつぶれたり、主演のマーティン・シーンが心臓発作で倒れたり、マーロン・ブランドがなかなか撮影に乗らなかったり、なによりもエンディングが決まらなかったこともあって、公開はどんどん延期になった。いつまでたっても原作の理解は困難をきわめるばかり。コッポラは悩み、怯え、恐怖におののいていた。M・ブランドのギャラは、拘束3週間(実際は5週間)で週当たり100万ドル(約3億円)だった。何もしないうちに時間だけがすぎていく。★04

 M・ブランド演じるカーツ大佐は、アメリカの指揮系統から外れて、ジャングルに自分の王国を築き、勝手にカンボジア領内にまで進出し、ベトコンに対して熾烈な戦いを挑んでいた。中央の指示に従わない彼を暗殺する使命を帯びてやってきたのがシーン演じるウィラード大尉。ところが、彼は次第にカーツ大佐に自分を重ね合わせていくのである。

 最前線までは戦闘シーンが多く、特に第一空挺部隊のキルゴア中佐のワルキューレ(ワグナー)に合わせてのヘリ攻撃のシーンは圧巻だ。彼はサーフィンをするためにベトコンの拠点である村をナパーム弾で焼き払ってしまう。ところが、幻想的な(サイケデリックな)最前線のシーンを過ぎると、物語は人間の心の内面をたどる旅へと変化していく。そして、原作『闇の奥』のマーロウがクルツに出会うように、ウィラード大尉はどこまでも河を遡って、ついにカーツ大佐と出会うことになる。

 この最前線までの息もつがせぬ展開を絶賛する声も大きいのだが、なによりもこの作品を映画史上不滅の作品としたのは、後半のカーツ大佐とウィラード大尉をめぐるやりとりであろう。その部分を退屈でまったく印象に残らないとする人々も少なくないのだが、それではこの映画についてまったく理解できていないことになる。たしかに、西欧での予告編は、後半部分に重きを置いているのだが、その部分の文化的な意味が理解できないと思われた日本向けの予告編では、ほとんど戦闘シーンばかりが強調されたのだった。

 本来、原作では、このクルツはきわめて内省的な男として描かれてはいるものの、その実、きわめて残虐で、自分に逆らう先住民を殺して、その首を晒しものにするような人物だった。象牙を集めて、「たった一人荒野に住んで、ただ自分の魂ばかり見つめているうちに」「ついに常軌を逸してしまったのだった」(コンラッド)。その点では、カーツ大佐も負けてはいない。T・S・エリオットの詩を読むインテリで、もともと高貴な魂の持ち主であるにちがいないのだが、どういうわけか、いまや情け容赦のない人物として、裏切り者を抹殺し、土着民たちにとってまさに神として君臨しているのだった。

 コッポラ監督の最大の悩みは「どういうエンディングにするか」に尽きるようだった。カーツ大佐は、ベトナム戦争を戦ううちに、あらゆる憐憫の情や慈悲の念とは無縁になり、いつしか「あの人は、頭脳は明晰だが、魂が狂っている」と言われるようになる。その彼を暗殺するということはいったい何を意味しているのだろう。彼を殺したとして何が解決されるのか。その後、ウィラード大尉がその座に君臨することになるのか、それとも、ジャングルに築かれた王国は破壊しつくされることになるのだろうか。コッポラの苦悩の源は、カーツ大佐をめぐっての理解がいつまでたっても明確にならなかったことだった。彼は、神か、叛逆者か、悪人か、世捨て人か。

 最終的には、この映画のエンディングは神話的な「王殺し」の主題をなぞることになるのだが、そこでは、カーツ大佐暗殺シーンと、土着の人々が水牛を生贄にする儀礼シーンとが重ね合わされていく。映画では、カーツ大佐のテーブルの上に、J・G・フレイザー『金枝篇』やJ・ウェストン『祭祀からロマンスへ』が置かれているシーンが出てくるが、それらが最後のシーンの下敷きとなっている。水牛の供犠と王殺しは、ともに来るべき救済を約束するべきものであり、映画の最後で雨が降ってくるシーンが入るのは、まさに象徴的な出来事と言わざるをえない。そして、映画はそこで完結しないで、そこから映画の冒頭シーンにもう一度戻るという円環的な構造になっている。そう思って聴くと、冒頭のドアーズの「ジ・エンド」がなんともいえない味わいを持ってくるのである。

04 われわれはどこへ行くのか

 コンラッドの『闇の奥』は、ヨーロッパ帝国主義のアフリカ侵略の核心をつく作品だとされているが、毀誉褒貶が激しくて、その評価はいまだ定まっていない。たしかに、帝国主義の残虐さ、無知、愚かさを明らかにしてきた点でも高く評価されがちだが、そんなことは表層的なことにすぎない。この作品が真に偉大なのは、「アフリカの大自然の闇にまぎれてその奥深くにまで至ると、だれもが自分の心の闇と出会わざるを得ない」というテーマを描いたところにある。そう、われわれが旅するのは、未開の地に向けてではなく、あくまでも自分自身のなかの「異質なもの」との出会いに向けてなのである。

 コンラッド自身は船乗りとして、カリブ海、東南アジア、アフリカなど、ヨーロッパの植民地になった国々をまわって、その実態をつぶさに見てきたわけだが、だれだって権力を持てばめちゃくちゃなことをやりかねないという点では、どこでもそう大きな違いはなかろう。帝国主義であろうと共産主義であろうとまったく同じこと。「そもそも原始的なもの、野蛮なものは、西洋人の精神に始めから巣食っているのではないか」。★05 自分たちだけが特別な人間だと思っているからこそ余計にまちがえるのだ。

 死ぬ直前のクルツの描写。「このいわば完全知を獲た至上の一瞬間に、彼は彼自身の一生を、その欲望、誘惑、惑溺と、それらのあらゆる細部にわたって、あらためて再経験しつつあったのではなかろうか? なにか眼のあたり幻でも見ているように、彼は低声に叫んだ、―二度叫んだ。といっても、それはもはや声のない気息にすぎなかったが。『地獄だ! 地獄だ!』」

 彼は、もしアフリカなどに渡らず故国で生涯を終えたとしたら、みんなから高貴な人物と評されたことであろう。しかし、アフリカでは、クルツにとってクルツ以外の生き方が果たして可能だっただろうか。あらゆる欺瞞をふりはらって生きるには他にいかなる選択肢もなかったのではなかろうか。いずれにせよ、詩人T・S・エリオットが「うつろな人々」のエピグラフに「クルツが死んだ!」を用いたことでもわかるとおり、ジョセフ・コンラッド『闇の奥』は、その後のわれわれが抱えこむ問題をあらかじめ鮮明に提起することになったのである。

 


★01 藤永茂『「闇の奥」の奥』三交社、2006年、3頁。
★02 田尻芳樹「モダニズムと植民地主義」、林文代編『英米文学の読み方・楽しみ方』岩波書店、2009年、33頁。
★03 F・R・リーヴィス「ジョゼフ・コンラッド」鈴木建三訳、『世界批評大系』7「現代の小説論」、筑摩書房、1975年、136-137頁。
★04 立花隆『解読「地獄の黙示録」』文藝春秋、2002年。そこにも書かれているとおり、コッポラの妻エレノア・コッポラによる詳細な撮影日誌が出版されている。
★05 田尻芳樹、同、35頁。


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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