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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第75回・カトマンズの停電

01 カトマンズ2009年

 なにも楽しい旅だけが旅ではない。いろいろあるからおもしろい。先週までネパールのカトマンズに滞在していた。この時期(3月末から4月にかけて)は何も主だった行事がないのでいつも旅行客は少ないのだが、ここ数年、政治的な混乱があったためか、とりわけ日本人の姿はあまり多くない。1980年に初めてカトマンズを訪れて以来、今年で30年近くになるが、2003年まで毎年必ず来ていたぼくにしても6年ぶりということになるのだから、いったいどれだけ変化しているのか興味深々だった。

 2001年、ネパールではビレンドラ国王一族が何者かによって暗殺されてから、弟のギャネンドラが王位についたのだが、2002年、彼は強権をふるって国会を解散させ、国王親政を宣言したのだった。しかし、すでに民主化が進むネパールでそんなことが許されるはずもない。農村を中心に勢力を拡大させたマオイスト(共産党毛沢東主義派)は激しいテロに走り、ネパールは戒厳令下におかれた。

 前回(2003年)、ぼくは春にも秋にもカトマンズを訪れたのだが、そのときにも夜間外出禁止令が出ており、ぼくはカジノで浮かれて深夜に宿まで帰る途中に軍に拘束されそうになったりしたのだった。それ以降、ほとんどの外国人旅行者はネパールを避けてきたのだが、それにはチベットの惨状も理由の一つだった。ネパールを訪れる西欧の人々は特にそこからチベットに入ることを目標とするケースも少なくないのだが、外国人はいまだにチベットに入ることが許されていない。

 そして、2006年、大規模な民衆デモが起こり、ギャネンドラ国王は次第に追い込まれ、2008年、ついに王制廃止にまで至ったのである。だいたい民衆の尊敬を集めていたビレンドラ国王一族は女性に至るまでみんな暗殺されたのに、弟のギャネンドラ一家だけが「偶然」難を免れたなんていうことがあるだろうか。だれもそんなことを信じはしない。

 それはともかく、ぼくにとっての最大関心事は、ネパール王制の廃止にともなって、ヒンドゥー教を国教としないことが正式に決まったことである。そうなると、ぼくが30年近く調査してきた生き神クマリへの信仰などはいったいどうなってしまうのか。諸々の思いを胸にぼくは6年ぶりにカトマンズの地に降り立ったのだった。

02 停電

ネパールで買ったガルーダ像
ネパールで買ったガルーダ像

 まあ、そんなわけで、数年前の「政変」でマオイストが国王を廃位させたのは当然の流れだったとしても、その結果、よりよい社会ができるかと思ったら、逆にすべてがうまくいかなくなってしまったのだから皮肉なことである。そのひとつが停電だ。かつてのカトマンズ盆地では停電は日常茶飯事だった。どの部屋にもローソクが用意されていた時代もあった。シャワ―も出たり出なかったり。温かいお湯が出るなんて贅沢きわまりないことだった。しかし、時は流れて90年代以降になると、さすがにインフラも充実してきて、そういうことはほとんどなくなっていた。それがなんと1日16時間停電だというのである。それを聞いたときはジョークかと思ったのだが、まさしく実際に停電は現在も続いているのである。

 電気がつかないということは、インターネットもダメだしメールもろくに打てないということで、夜になると何もやることがなくなってしまう。もちろん、それだけではない。電気がつかないということは信号もつかないということで、カトマンズとパタンを結ぶ道路は終日大混雑で、車の割り込みとバイクの無法ぶりとで、きわめてスリリングなシーンが展開されていた。さらに、道端にはいつもガソリンを求める車の長い列が続く。いくら並んでもガソリンにありつけるとはかぎらない。タクシーなどは死活問題なのでどうしても必死にならざるをえない。

 たいていの場合、電気がつくのは12時から16時の昼4時間と、深夜帯の0時から4時までの夜4時間のみ。つまり、ぴったり一日16時間停電なのだった。これだけ電気が普及してしまうともう後戻りはできない。電話も通じない、熱いシャワーも出ない、そういう状況がもう半年も(一日16時間停電は今年に入ってから3ヶ月以上ずっと)続いているのだから、人々の不満は高まるばかりなのだった。

 おまけに昨年の10月以来雨が一滴も降ってないということで、カトマンズの街中はホコリまみれになっており、衛生上の問題も出始めている。ようやくこのところ夕方にシャワー(驟雨)があって、人々を喜ばせたばかり。そういえば、以前にも水不足のときに来たことがあるのだが、街角のカフェでコーヒーを頼むと臭いドブの味がしたのだった。

 そんなわけで、3月末にカトマンズに着いてまずしたことといえば、ローソクを買うことだった。パソコンやビデオ機材も電気の通じている時間帯に充電しておかなければならない。何事も準備が肝心だ。スーパーマーケットまでローソクを買いに行く。ローソク、ポカリ、ミネラルウォーター、シャンプー、リンス、ティシュー(箱)、石鹸で、600ルピー(700円くらい)。シャンプー、リンスは日本でも使っているアメリカのメーカーのもので、3ヶ月は十分使える分量だ。

 しかし、18時過ぎるともう部屋は真っ暗で何もやることがない。ホテルの自家発電の小さな明かりだけが頼りとなる。果たしてこんな状態でまともな調査などできるのだろうか。

03 ダンス・バー

 だいたい、ぼくはだれよりも好奇心が強いほうで、人がおそれをなすようなところにも平気で顔を出してきた。外出禁止令であろうが、内戦状態であろうが、そんなことは関係ない。ただ、そんなぼくでも(意外に思われるかもしれないが)風俗関係はまったくダメで、自分でも大きな弱点だと思っている。

 ところが、今回、どうしても入ってみたいと思ったのが、外国人が多く滞在するタメル地区に数軒できた「ダンス・バー」なる店で、看板には「プッシーキャットwithシャワー」とか「ナーシャ」とか「チャナナ」とか出ている。夜は停電で何もすることがないし、こうなったらこの世界最貧国のネパールで、いったいどのようなことが行われているのか調べてみる必要もあるだろう、そう思いついたのだった。しかし、言葉も通じないのに、とんでもない金額を請求されたりしても困る。入り込んでしまえば意外と単純な世界かもしれないのだが、事が事だけになかなかその一歩が踏み出せない。

 自慢ではないが、そもそも日本国内においても、そういう種類の店に出かけたことは一度もない。かつて競馬のコラムを持っていたことから、某スポーツ新聞の部長からキャバクラに誘われたことはあったけれど、ただ女の子と話すのになぜお金をつかわなければならないのかよくわからなかった。昔、京都に住んでいたころ、近くに日本で初めてのノーパン喫茶「モンローウォーク」ができたというので、けっこう話題にもなったし、ちょっとだけでも覗いてみたいと思ったものの、結局、そこも行かずじまいで終わったのだった。

 ところが、帰国前日の夜のことである。ずっと前から知り合いだったパタンの男の子たち3人と最後に一緒にごはんを食べようということになった。彼らは30代前半の気持ちのいい男の子たちで、いろいろ通訳してもらったり、案内してもらったりしているのに、これまで1ルピーも払ったことがなく、これはいいチャンスだから何かおいしいものでもご馳走したいと思ったのだった。

 彼らのうち2人はパタンの日本語学校で勉強したこともあるので、近くの適当な日本料理屋に連れて行ってビールを飲んだり豚肉の生姜焼きなどを食べたりしたのだが、そのときに、これまでマジメな話しかしたことがない彼らに「ダンス・バーってどういうの?」と聞いてみたら、彼らは笑いながら顔を見合わせて、「行きたいんですか?」と言う。

「どういう店か知りたいだけ」と言うと、
「それなら、Sさんの恋人がいる店に行きますか?」とR。
みんな笑顔になっている。
「お店でダンスを見るだけ? それとも、いろいろなサービスがあるの?」
「隣に座った女の子が頼んだジュースはこちらで払わなければなりません」
「あっ、日本と同じだ。それがすごく高いんだよね、きっと」
「はい、外で買ったら5ルピー(6円)くらいのジュースが、そこだと300ルピーくらいします」とRの説明は続く。おおっ、60倍か、と相槌を打ってはみたが、よく考えてみると、60倍でも350円くらいだ。
「すぐそこの『プッシーキャットwithシャワー』って店に行きたいんだけど」と言いつつ、ぼくの頭のなかではかつて見たアメリカ映画「フラッシュダンス」の一場面が浮かび上がる。
「うーん、Sさんの恋人の店はニューロードのほうなんで、ちょっと離れてますが、そこでもいいですか?」

 もちろん、異論のあるはずもない。ぼくらはすぐに車でニューロードにある「ブラック・パラダイス」という店に向かったのだった。そんなに混雑してはいない。ステージでは女の子たちが交代でポールダンスを踊ったりしている。入口で、店の人間がRに「あなたたちが払うのか、外国人(つまり、ぼく)が払うのか」と聞いている。Rは「自分たちが払う」と言う。そうなると、一人だいたい1000ルピーで、そんなに高くもない(いったいぼくが払うとしたらいくらだったのか?)。

 さっきの店の支払いも彼らが済ませている。「ぼくたちに払わせてくれないなら、次の店には行きません」と言われ、そのまま押し切られたのだった。世界最貧国のそれほど裕福でもない彼らにそんなに払わせてどうするんだよ、と心の声がつぶやく。ぼくからしたら4000ルピーは5000円くらいだが、彼らにとってはなかなかの大金だ。1ヶ月4000ルピーで暮らす人々も少なくない。しかし、そういうことを言い合う空気でもない。

 ステージでは10代から20代はじめくらいの女の子たちが踊っている。そして、Sが手配してくれたのか、その女の子たちがみんなぼくのところにやってくる。みごとにきれいな女の子たちで、彼女たちは、ぼくの腕をとって胸に抱えこみ、腰や膝を押しつけて、「あなたみたいにすてきな人は、はじめて」とささやく。別に飲み物もなにも要求しない。こっそり、Sに「チップあげたほうがよくないか?」と聞くと、「チップあげると、どこかに行ってしまうので、帰るときでいいです」という返事。

 ぼくの左に座った女の子は英語も通じないのに、ずっとぼくの左腕を胸に抱きしめている。「いくつ?」って聞くと、「16歳」というのでびっくり。日本だったら淫行条例とかで捕まりそうだ。そのうち、男女が絡んだみごとにセクシーなダンスがはじまる。ぼくはRに「もっと脱いだりしないの?」と聞くと、「以前はもっと激しかったんですが、最近は締めつけがきびしくなっています」とのこと。こちらとしてはどちらでもいっこうにかまわない。

 そのうち踊りが終わると、その彼女もすぐにぼくの右隣に来てくれた(左隣にはずっと16歳がしがみついている)。
「名前は?」
「ディピカっていうの。あなたは?」
 この質問がいちばん困る。「ウエシマ」という名前ほど発音しづらい名前はない。いきなり母音が2つ続くからだ。外国人はみんな「ユシマ」とか「ウュュ…」とか口をとんがらせて悪戦苦闘する。紙を取り出して、「ここに名前とケータイの番号を書いてくれ」と言う。ぼくは素直な人間だから、そのまま正直に書く。しばらく他愛のない話をしていると、さりげなくキスしてくれる。そのさりげなさがうれしい。左の16歳の女の子を見ると、わたしにはできないと言わんばかりに首をプルプルとふる。こんな状況にしてくれたのはもちろん彼らのおかげで、ぼくはディピカに帰り際に500ルピーあげたのだが、すごく喜んでくれたので、思わずもう500ルピーあげてしまった(それでも1000円ちょっと)。肝心の料金は全部彼らに払わせて、自分だけチップでいいところをみせるなんて卑劣な気もしたが仕方がない。

 深夜までお店で遊んで、彼らの車でホテルまで送ってもらったのだが、ぼくがものすごく丁重にもてなされたことに彼らは大満足で、「Sさんの恋人も、Sさんよりも先生のほうが好きだって。Sさんかわいそう」などと、Sをからかいながら笑いころげるのだった。結局、ずっとお世話になりながら、最後までご馳走になり、また、ここまで楽しませてくれるなんて、いったいこちらとしたらどうしたらいいのだろう。このままでは終わらせられない、そう思いつつネパールを後にしたのだった。

 

追記
4月8日にネパールから戻り、そして、4月17日にいよいよ新刊『世界遺産・神々の眠る「熊野」を歩く』(集英社新書ヴィジュアル版)が出ました。どうぞよろしくお願いします。

朝日カルチャーセンター(大阪)4月25日(土) 17:00〜18:30
植島啓司VS鈴木理策
『世界遺産・神々が眠る熊野を歩く』

朝日カルチャーセンター(東京)5月8日(金) 18:30〜20:00
植島啓司VS鈴木理策
『世界遺産・神々が眠る熊野を歩く』


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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