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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第73回・官能教育

01 暗号のファンタジー

 

 いまから20年前に「暗号のファンタジー」というエッセイを書いたことがある。当時は大学の助教授(准教授)になったばかりで、ビジネス・ダイアリー(手帳)の日程表の小さなスペース(2cm×2cm)に詳細な日記を書き込むのに熱中していたのだった。さまざまな暗号をつくりだし、それを読めば、その日に何があって、だれと会い、どの店に寄って、何を食べたかまで再現できるようにしてあった。もちろん、暗号をつかっているということは、スペースの節約だけではなく、他人に知られると困ることも書き込んでいたのである。絶対に解読されないという自信もあったが、もし読まれたら大変なことになる。なにしろ肌身離さず持ち歩いているものだから、なにかの拍子に人の目に触れたり、落としたりしないとも限らない。

 そうはいっても、ぼくのつかう暗号はほとんどアルファベットと数字の組み合わせで、YC、Q、HR、L、F、HBなど多彩ではあるけれど、幾日かを通してみると予想がつくものも少なくなかった。たとえば、「京都HR●50wR」とあれば、「京都競馬場にR子と一緒に出かけて5万負けた」ということになる。「L(7)G」とあれば、「今年度7度目の大学の講義、おおむね良好」の略だということだ。そんなことは別に読まれてもよろしい。問題はプライベートな性愛生活のほうである。そちらはものすごく苦労して、どんなことがあったのかすべて復元できるようにいろいろと工夫を重ね、いよいよ完成の域かというところまできたのだった。

 そんなある日のこと、いや、詳しく振り返ると1986年5月末のことである、ダービーの前日に、渋谷の西武百貨店で「バリ島の快感原則」というタイトルで講演があり、終ってから散々飲んで深夜に電話ボックスに入ったところまではよく憶えている(当時はまだケータイがなかった)。ところが、家に着いてみると財布とビジネス・ダイアリーがない。ダイアリーには電話帳がついていたから、それを取り出して、ついでに財布もその上において電話をかけ、そのまま酔っぱらって帰宅してしまったにちがいない。

 あわてて電話ボックスに戻ったが、すでにそこには何も残されてはいなかった。近くの警察署まで駆けつけ、いろいろ書類に書き込んで、しばし自分の不注意を呪ってから家に戻ったころには、すでに午前2時を回っていた。ダービー前日で資金をたくさん持って遠征してきた折でもあったし、その日の講演のギャラもすべて財布の中に入れていたので、それだけでもかなりの痛手だったが、それよりもわずらわしかったのが、紛失したカードの処分だった。銀行のキャッシュカード、クレジットカード、運転免許証、身分証明書、図書館入館証、その他もろもろ。まったく思いもかけないことだったので、さすがに慌ててしまった。ぼくはそれまでほとんど盗難にあったことも紛失した経験もなかったのだった。

 さらに、住所録や電話帳をなくしたのもショックで、ほとんどだれとも連絡がとれなくなってしまった。いまならケータイを落としたのとちょっと似ているけれど、当時はまだコピーもろくにつかえない時代で、どこにも保存しようがなかったのである。まあ、ざっと以上のことだけでも大変なのに、もっと困ったのが、日程表に書き込まれた秘密の日記の存在だった。さすがに真っ青になった。だれかに読まれる可能性があるということ、その年の5月までにあった出来事(データ)がすべて失われてしまうということ、だれかに迷惑をかけるかもしれないということ、どれもお金よりも大切なことだったのである。

 結局、すぐ警察に届けたものの、それらは二度と出てくることがなかった。カードをストップしたり、再発行してもらったり、友人たちの連絡先を調べなおしたり、そんなことがあってダービーはたしか大惨敗だったと記憶している。いったいあの日記はどうなったのだろうか。おそらくすぐにポイと捨てられたにちがいないが、やはり20年経っても忘れられない事件なのだった。

02 ピーター・ゲイ『官能教育』

 

 そんな顛末をPR誌のエッセイに書いたわけだが、当時から、他人の日記にとりわけ強い関心を持つようになっており、多くの作家らがやはり日記に暗号でなにか付け加えているのを知るようになっていた。有名な永井荷風の「断腸亭日乗」も原本には性交を示す記号が日付のところに書き加えられていたとか、あの石川啄木のローマ字日記にはひどくわいせつな行為が書かれているとか聞いて、やはりみんな同じことを考えるのだなと思ったのだった。

 そんな当時読んだなかでもっとも衝撃的だったのが、後に翻訳されることになったピーター・ゲイ『官能教育』に出てくるメイベル・ルーミス・トッドという若い女性の秘密の日記だった。最初はそこでつかわれている暗号に興味を持ったのだが、しだいにその中身の過激さに圧倒されてしまった。その内容についてはまた次の機会にゆずるとして、ここでは彼女の日記でつかわれる暗号についてのみ検証してみよう。時はいまから100年ちょっと前の「悪名高き」ヴィクトリア朝時代、つまり、西欧の歴史をつうじてもっとも性的抑圧の強かった時代の出来事だった。

 メイベル・ルーミス・トッドの日記はかなり赤裸々だ。たとえば、1881年4月28日の箇所には「デイヴィッドとの最良の晩、#15(O)」とあり、その三日後の5月1日には「いま朝の八時半。五時ごろからずっと幸福なときをすごす」とあり、末尾に「#16(O)」とある。彼女(メイベル)は結婚2年目の25歳。夫のデイヴィッドの仕事の都合でマサチューセッツ州アマーストに転居したばかり。ということからおわかりのとおり、おそらく#はその年の通算性交回数を示すものにちがいなかろう。4月28日で通算15回目、5月1日で16回目の性交が行われたことになる。やはりこういうのを他人に読まれるのは恥ずかしい。

 ただ、#については多少問題がないこともない。たとえば、さかのぼって1879年3月7日、つまり、結婚式の2日後には「愛らしく穏やかな新婚の午後、Sem.8」というように、Sem.という記号も見えるからである。これはいったいなにを表わしているのか。著者のピーター・ゲイ(歴史学者)によれば、この記号は本人にとっても一貫しておらず、結婚前はオーガスムにいたるヘビーペッティング、結婚直後のみ性交を意味し、その後(特に彼の仕事の都合で別居後)はマスターベーションを表わすのではないか、とされている。そう、この記号は二人が一緒にいないときにも出てくるのだ。しかし、若い女性がわざわざそんなわずらわしい操作をするだろうか。とにかくSem.は#が出てくると登場しなくなるから、同じような意味を持つとは考えられるだろう。#がその年の通算の性交回数であることはほぼまちがいない。やや少ないような感じがしないでもないが、平均して週1回ということになる。しかし、Sem.となると話はまったくちがってくる。その綴りから連想するのはいったいなんだろう。おそらく性愛について限定するならばsemen(精液)だし、もっと一般的にはsemi-(半分)ではなかろうか。しかし、semenではあまりに露骨すぎる。

 さらに、1879年8月11日には「Sem.16(a)」というようにも記されている。つまり、新婚5か月のうちに回数は8回しか進んでいないことになる。こちらは明らかに少なすぎる。やはり性愛行為のほかになにかがプラスされたものと考えるのが妥当ではなかろうか。また、先ほどの(O)も気になるが、この(a)もやはり気になってくる。必ずしも全部の#やSem.に付いているわけでもない。ピーター・ゲイは(O)を「オーガスム」とし、(a)をalone(ひとりで)の略、つまり「マスターベーション」の意味ではないかと推測しているが、果たしてそれらに対する一貫した解釈は可能なのだろうか。

 25歳の女性の気持になって考えてみよう。そうなると、結婚当初はSem.で性交および射精の有無を記録し(もちろん妊娠した日を特定するため)、後になって簡略化して#で性交回数を記録したのではないか。結婚したばかりの女性にとっては「オーガスム」よりも「妊娠した(かもしれない」日」を記録することのほうが、はるかに現実的なことだろう。ぼくが聞いた女の子も、「女性だったらそれを書かなくていったいなにを書くの」という意見だった。では、(a)はどうなるのだろう。やはりマスターベーションなのか。(O)にしたって射精が行われたときだけにしては少なすぎるように思われる。ただ、こちらは「オーガスム」と特定できないまでも、好ましい性愛体験を意味する記号だと理解していいのではないか(ぼくの日記の「G」に相応する?)。いずれにせよ、みなさんのご意見を待ちたいところである。

03 日記は続く


 ところで、例のぼくのビジネス・ダイアリーの日記であるが、一応過去形で書いたものの、実はあれからいままで、なんと20年以上もずっと続いている。われながらなんとも几帳面なことである。時間の流れにしたがって、さまざまな記号が加わったり、記号の意味が変わったりしながらも、この20年に起こったことは(手帳をなくした1986年1月〜5月を除いて)すべて記録されている。ただし、せっかくつけた日記ではあるものの、これまで一度も読み返す機会がなかったのだから、日記なんて単なる気休めにすぎないのかもしれない。

 そんなこともあって、先日、久々に1989年のビジネス・ダイアリー(手帳)を開いてみた。学生たちと飲みに行ったことだの、印税がいくら振り込まれただの、講義がうまくいかなくてがっかりしたことなど、どれもこれもなつかしかった。しかし、自分でも唖然としたのだが、唯一復元できなかったものがある。それはなんと当時飲みに行ったり遊んだ女の子たちの名前だった。たしかにRとかYとか書いてある。そのときはRと書いただけでなにもかもわかっていたにちがいない。しかし、そこから先がどうしても追跡できない。皮肉なことに、なにをしたかまで細かく読みとれるのに、肝心の相手のことだけがどうしても思い出せないのである。

 だれにも迷惑をかけまいとした配慮が裏目に出たというか、それにしてもなんとも薄情なことである。おそらく人生においてはもっとも大切なことだけが忘れられていくのかもしれない。そして、そうなると、1人の女性とだけつきあっても、100人の女性とつきあっても、それほど変わりはないのかもしれない。果たしてそれでもまだ日記を書きつづける必要があるのかどうか、しばし自問自答したのだった。

 


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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