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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第69回・エチオピア

01 ラリベラ

 この夏はずっとエチオピアで過ごした。2008年8月22日16時にアフリカ第一の世界遺産として有名な十字架型に岩をくりぬいてつくられたギオルギス教会(ラリベラ岩窟教会群)を訪ねた。エチオピア高地2600メートルのところで、やはり空気は薄く、すぐに息が上がってしまう。向こうに見える山は3600メートルで、ロバに乗ってそこまで行くつもりだったが、やはり断念して正解だったか。呼んでおいたロバ使いの連中には悪いことをしたけれど。ビールにすぐ酔ってしまうのも高地のせいかもしれない。携帯酸素を持ってきたのもあながち大げさとはいえない。

 岩窟教会からの帰り道に雨が降り始めた。まだ雨季なので夕方には激しいスコールがやってくる。途中の店で何か買おうにもほとんど何も置いてない。エチオピア・ワイン50ブル(約600円)。インターネットカフェはどこも開いている感じがしない。だれとも連絡がとれない。でも、ホテルに戻ってもお湯はまだ出ないだろう。毎日18時からしか出ないのだが、それもどうにかならないものか。それにしても道を車で走るとわかるのだが、ここは人と家畜の数のバランスがとれていて、どこかほのぼのとしている。ヤギの隊列、荷を背負ったロバたち、ひたすら前を向いて歩くヒツジたち、そして、ラクダたち。もっと家畜たちを至近距離で撮りたいのだが、なかなか時間がない。

 ただ、後にマーケットで家畜を売っていたので聞いてみると、ヤギ150ブル(約1800円)、ロバ700ブル(約8400円)とのことだった。そんな値段で買えるのかと思った。向こうの言い値だからもっと安く買えそうだ。ヤギをそばで見ると思うのだが、人間をおそれているようなのに、その口はいつも笑っているように見える。ちょっと損しているかも。

02 なぜエチオピアか

 それにしても、なぜこんなにエチオピアに魅かれたのだろうか。

 そもそもエチオピアほど伝統に誇りを持っていい国はない。人類の母とされる350万年前のルーシーの骨もエチオピアのグレート・リフト・バレーで見つかっているわけで、このあたりに人類の起源があるのかもしれない。モーゼの妻もエチオピア人だったというし、十戒の石板がエチオピアのアクスムに運ばれたという話もある。シバの女王もエチオピア人だった。ソロモンとシバの女王との間に生まれたのがメネリックで、後のエチオピア王となる。中世の十字軍の時代、エチオピアはプレスター・ジョンの幻想の国であったし、「コーランか然らずんば剣か」というムスリムもここ(アビシニア)だけは攻撃しなかったというエピソードがある。それに加えて、コーヒーもここから全世界に広まっていったのだった。

 そしてなにより、エチオピア正教やエジプトのコプト教会ほどキリスト教の正統を伝えている教会は他にないだろう。それなのに、エルサレムの聖墳墓教会でのエチオピア正教の扱いのひどさはいったいどうしたことか。偉大な「西欧の」キリスト教がアフリカに布教されたと誤解する人もいるだろうが、事実はまったく逆で、むしろエジプトやエチオピアのキリスト教が西欧に広まっていって、次第に硬直した(教義中心の)キリスト教へと変化していったのである。

 ぼくの処女作『男が女になる病気』(1980年)は、西欧文化の源とされる古代ギリシア・ローマがけっして当時の世界の中心ではなく、むしろ「野生の思考」が色濃く残る辺境だったということを明らかにしようとしたものだった。どちらかというと世界の中心はアフリカ北岸のカイロ、アレキサンドリア、カルタゴや、フェニキア、キプロスのほうにあったのであり、エーゲ海文明の主導権はアテネやスパルタにはなかったのである。それを文献と考古学史料を基にして証明しようと試みたのが、しばらく前に話題となったマーティン・バナール『黒いアテナ』(1987年〜)だった。それによると、古代ギリシアは当時のフェニキアやエジプトの影響下にあったのであり、インド・ヨーロッパ語族による征服というアーリア・モデルは18世紀以降の白人中心主義による歴史の書き換えだったというのである。

 そんなことまで視野に入れると、これはなによりエチオピアに行かないわけにはいかないと思ったのだった。そして、そこで見たものはたしかに「本当の」キリスト教の姿なのだった(詳しくは別稿で)。

03 岩窟教会

 とにかくラリベラの岩窟教会(第1グループ)を見て回る。今日は特別に聖母マリアのミサがあって、毎日のお祈りが15時まであり、それまでぼくらは教会に入れない。しかも、教会そのものは17時で閉鎖とのことなので、あまり時間はない。とりいそぎギオルギス教会を見ることにする。しかしながら、その入口までのさりげないこと、ただの原っぱみたいなところからいきなり聖ギオルギス教会がかすかに見えてくる。そのアプローチがすばらしい。普通のよくあるエチオピアの田舎町に十字架型の石窟教会が忽然と現れるのがいい。そこにはいかなる看板も出ていない。

 なにしろ、どこまでも岩をくりぬくという執念がすごい。だれにも見つからないようにというのが第一だろうが、その造りの精巧さを見ていると、それ以上の意味を持っているのがわかる。神と出会うためにはそれだけのことが必要だったのだ。ここがアフリカ第一の世界遺産となったのは故なきことではない。そこの修道士たちもよく協力してくれた。それにしても、歩き回っているうちに、ここが岩窟であるということをしばしば忘れてしまうのはどうしたことか。方向感覚も失われてしまう。カタコンベのような横穴もたくさんある。

 第1グループの岩窟教会群のなかではマリアム教会が断然よかった。そこがもっとも古く造られたとのことだったが、みごとなレリーフが残されている点でも他を圧している。だいたいこちらのグループはこのマリアム教会を中心にして構成されている。ゴルゴタ、アダムの墓、ベツレヘムなど、ここを回るだけでエルサレムへ巡礼に行ったのと同じことになる。教会内部のレリーフはすべて聖書の絵解きになっており、まるでマンダラと同じ構造を持っているかのようだった。

 ラリベラでは16日間の断食(ファースティング・タイム)明けで、マーケットは賑わいを見せていた。人口は約2000人とのことだが、マーケットはそれをはるかに超える人々で大混雑だった。そこにいる人々を撮影したかったのだが、不覚にも録画テープが切れそうであまりゆっくり撮れなかった。どこでも女の子たちが歌って踊っている。アシェンダという。おそらく西欧のアセンションと同じく聖母被昇天のお祝いなのだろう。キリスト教というよりも伝統的なエチオピアの民俗音楽みたいな感じがするのだが、なによりも女の子たちがかわいい。マーケットを撮影しながらまわる。塩はかなりいっぱいビニールにつめてもらって2ブル(約24円)、バナナは、普通1キロ、つまり12本くらいで6ブル(約72円)。さきほどの家畜の値段といい、やっぱりマーケットは値段を聞いてまわるだけでも楽しい。

04 さらに旅は続く

 ここラリベラに来るまで、首都アジスアベバから青ナイルの源であるタナ湖のあるバハルダールを訪れ、いくつかの修道院を訪ねたのだが、このあとはラリベラからでこぼこ道を10時間以上も車に揺られてメケレを目指すことになる。そこから再びアジスアベバに戻り、あのフランスの詩人ランボーが晩年の日々を送ったというムスリムの聖地ハラルへと飛ぶつもりだ。待ち時間が多く、自然といろいろなことを考えて過ごすことになる。もっとも懼れているのは、ティグレのアブナ・イェマタ教会への登攀だ。絶壁300メートルをロック・クライミングで登るのだ。そして、岩肌にそって教会の入り口に向かうのだが、300メートルの高さなのに道幅は狭くなんの防御柵もない。いわば東京タワーのてっぺんを歩かされるのと同じことだ。それでなくとも高所恐怖症なのに、果たしてそんなことが本当にできるのだろうか。

 ぼくは気まぐれに北原白秋の『フレップ・トリップ』(1925-27年)を持ってきていた。白秋の樺太旅行記である。そこで彼は、「ただ未だ見ぬ北方の煙霞に身も霊(たましい)もうちこんで見たかったのである。ほとんど境涯的にまで、そうした思無邪(おもいよこしまなし)の旅ごころを飽満さしたかったのだ。南国生れの私として、この念願は激しい一種の幻疾ですらあった」と書いている。姦通罪などで収監されたりした白秋も、やっと子どもを2人持って落ち着いた生活を得たところだった。そんな彼は北方を目指して旅立った。ぼくは、白秋とは逆に、つねに南方を目指してきた。レーモン・ルーセル、ミシェル・レリス、ランボー、ピエール・ロティ、セガレン、ゴーギャンらもそうだった。そして、南方を目指す人々はすぐに後悔する。やっぱりパリのほうがよかったと。そう、南方を目指した人々は、結局、「どこにも自分の居場所が見つからない」のだった。

 エチオピアを離れてからも、しばらくはドバイに滞在するつもりなので、たぶん日本に帰る頃は秋の気配が押し寄せているのではないか。それにしてもこの25年間アジア、アフリカを旅しながら、ぼくもずっと「どこにいても同じ」という気持ちにとらわれていた。「どこにいても同じ」は、ひっくり返すと、「どこにも自分の居場所が見つからない」と同じことなのだろう。このまま旅先で死んでもまったくかまわない、何も思い残すことはないと思いつつ毎日を過ごしている。ずっとこんな気持ちでいられるのか、それとも、もっと物事に執着するようになるのか、それは自分でもわからない。いずれにしても、明日はエチオピア北部ティグレまで長い車での移動になる。

 

追記:
北原白秋の魅力にずっととらわれてきた。「赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い。赤い實をたべた」などの童謡の歌詞は、彼の天才を余すことなく伝えているように思われる。旅には必携の書である。

 


○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専 攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究 を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NY のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在 まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続 けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』 『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』他。

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