集英社新書
集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第63回・熊野考ふたたび

01 朝日カルチャーセンター

 昨年の夏以来、ずっと東京の朝日カルチャーセンターで「熊野世界遺産3周年記念講座」を担当させてもらっている。毎回とても刺激的なのだが、それに加えていろいろとハプニングも続いている。この講座は対談シリーズで、お相手は、鏡リュウジ、いとうせいこう、香山リカ、三隅治雄という豪華メンバー。さらに、11月の講座(VSいとうせいこう)には、いま大人気の女優Nさんがスタイリストと一緒に来てくれたし、さらに、12月の講座(VS三隅治雄)にも、大女優のAさんがアートディレクターと一緒に聴きに来てくれた。その日は30人くらいの聴衆の中に、さらにiモードで世界的に有名な松永真理さんまで加わってくれたのだから、これ以上豪華な「聴衆」はなかなか望めないだろう。

 当日の講座では、芸能研究の第一人者でぼく自身も大きな影響を受けた三隅治雄先生が、奥三河の花祭り、春日若宮おんまつり、沖縄のイザイホーなどの貴重な映像を見せてくれた。ぼくも長年調査に入っていた地域なので、その当時のことがいろいろと思い出されてならなかった。その後で、熊野本宮例大祭、那智の火祭り、熊野速玉大社の御船祭り、神倉神社の御灯祭りなどの映像について解説していただいて、さらに熊野の場所的な特殊性へと話は展開していったのだった。

 三隅さんは、大先生であるにもかかわらず、会場を意識したみごとに柔軟な語りで、研究者という以前にすばらしいエンターテイナーだった。

 しかし、充実した90分が終わろうとしていたそのときに、女優のAさんから質問の声が上がった。その内容は、今回のテーマについての問題提起に関するものだった。つまり、ぼくは当日の講座の内容をわかりやすくするために、冒頭で「民俗学者の三隅先生は神に対する人間の側からのアプローチが中心で、ぼくは宗教学者なので神の側からの人間に対するアプローチが中心となる」と発言したのだった。彼女の質問は、その問題提起が十分展開されないまま尻切れトンボに終わってないか、というのである。

 なかなか鋭い指摘だった。たしかにそのとおり。貴重な映像などたくさんあって、ぼく自身、まったく論を展開する余裕がなかったのだった。ここで弁明しても意味がないのだが、ぼくの真意は「産土(うぶすな)とか「依代(よりしろ)」とか「籠もり(こもり)」とか「魂ふり(たまふり)」とかについて論じることなくして宗教の核心部分はわからないのではないかというものである。

 20世紀初頭、ルドルフ・オットーは『聖なるもの』で、神とは絶対他者であるという従来の新カント派の見解を踏襲して論じているが、そういう観念の遊びみたいなことはもうたくさん。一歩譲って、日本の固有信仰についてと限定したとしても、神と人間とはきわめて近しい存在であり、それゆえに交流が可能になるのだという点こそがむしろ強調されなければならないのである。

 そうなると、宗教的職能者は、神に対する人間の側の代表なのか、または、人間に対する神の側の代表なのかということが問題になってくる。そのあたりの議論をちょっと展開したいと思っていたのだが、しかし、まあ、彼女がそんな点をついてくるとはびっくりで、かえって好感を持ったのでした。

02 海の熊野

 その日、次に出た質問が、松永さんの「どうして神の空間はどこも6メートル四方なのか」だった。それはしばらく前に彼女と熊野を旅していたときにも出た疑問だった。なぜか相撲の土俵も、能舞台も、宗教儀礼が行われる古い祭場もどれも同じくらいの大きさで、それは神の顕現する空間を表わす基本単位ではないか、とぼくはつねづね考えていたのだった。

 彼女はそういうところにきわめて敏感だ。「聖地では、なにより、肌ざわりとか湿度とかが大事なのよね」と言うように、現地でしかわからないことや直接感覚に訴えかけてくるものをとても大切にしているのだった。だいたい簡単な言葉で表現できないようなことを信用してはいけない。熊野を一緒に旅している間中、松永さんには教えられることがとても多かった。

 ところで、この夏以来、熊野では4、5回調査をしてきたわけだが、第4回目の調査について書くのをためらっていたのは、実は、ぼくが真っ先にダウンしてしまったからなのでした。このコラムでも書いたように第1回目の調査はとても順調だった。それから幾度か調査を重ね、吉野の金峯山寺に田中利典さんを訪ね、熊野本宮に九鬼宮司を訪ね、さらに、玉置神社あたりの調査にも入ったりしたのだが、どれもまずまず順調だった。

 ところが、第4回目の調査は、あまりにしんどくて、ぼく自身、大失態を演じてしまったのである。そのときのスケジュールを再掲してみよう。

10月23日(火) 「知られざる熊野の聖地」調査

  • 10:00 津駅西口集合
  • 12:00 熊野古道センター、夢古道おわせ(昼食)
  • 14:30 花の窟〜産田神社
  • 16:00 神内神社
  • 18:00 民宿(まさはる屋)


  • 10月24日(水) 「海からの熊野」調査

  • 09:00 楯ヶ崎、海金剛視察(尾鷲市賀田から出港)
  • 10:30 波田須、徐福の宮
  • 14:30 花の窟〜産田神社
  • 16:00 神内神社
  • 18:00 民宿(まさはる屋)

  •  その日の参加者は、三重県側からの3名を含めて、全員で6名。早朝8:30発の近鉄特急で大阪を出て、10時津集合。そのまま車で2時間かけて尾鷲の熊野古道センターへ。お互いに挨拶して、近くでランチ。そこで合流したのが先ほどのNさんのスタイリストとアシスタントの女の子で、こんなにぎやかな調査は初めてと言ってもいいくらいだった。

     まずは、花の窟(はなのいわや)を海辺の側から眺めたりして、その奥にある産田(うぶた)神社へ。ここはかなり古い神社で、花の窟の前身かもしれないというが、たしかに産田神社の磐座(いわくら)はなかなかおもしろい。そこから、すでにおなじみの神内(こうのうち)神社へ。社務所は工事中であったけれど、さすがに何度訪れてもすばらしい。今回の第一の成果は、神内神社からすぐ近くのところに、まさに天の岩屋みたいに石が2つに割れて女陰のようになっている場所を発見したことだろう。そこは「古神殿」と呼ばれている。近くの神社の氏子総代の方が教えてくれたのだった。

     そこから、いよいよ翌日の海の調査のための船宿に向かったのだが、熊野調査は、なんといっても交通の便が悪く、移動に時間ばかりかかるのが難点である。そこから尾鷲に戻るだけですでに周囲は暗くなりかけていた。

     尾鷲の船宿「まさはる屋」の親父さんは妙に人なつこくて変な人だった。写真をいっぱい撮られてHPにアップまでされてしまったが、なんだか憎めない性格で、今回の調査がとにかく楽しかったのは彼のおかげだったとも言えるだろう。ただ、ぼくらは深夜まで飲んで騒いで笑いっぱなしだったから、他の客からはかなり顰蹙をかったにちがいない。だいたい船宿というのは朝が早いせいか、夕食が終わるとたちまち眠りにつくのが普通なのである。

     翌朝は、船で海金剛、楯が崎をまわる。絶景かな、絶景かなという感じ。方丈列石というか、地表に噴出したマグマが急に冷えてできた独特の景観は一見の価値あり。神武天皇が上陸したとされる海岸もそこにある。熊野については、海が表舞台であり、険しい山岳地帯はむしろその背景にあたる。ここでは、海から入った人々がどのように移動したかがポイントで、熊野の研究においてはけっして熊野古道が主役ではないのである。

     たしかに、熊野だけではなく、伊勢も、出雲も、宇佐も、どれも海にとても近く、その影響を抜きにしては語れない場所に位置している。神は海の向こうからやってくるのである。

     午後からはごとびき岩と那智の滝が海からどのように見えるかを調べる予定だった。まさにクライマックスの時が近づいていた。しかし、熊野灘は荒れていた。あまりの波の高さに3人いた船頭のうち2人に拒否される始末。それでもせっかくの機会だから出港しないわけにはいかない。おそるおそる海に出てみると、激しい波風にあおられて揺れるのなんのって。ごとびき岩の手前にある新宮高校は見えるものの、ごとびき岩はかすかに見えたり見えなかったりで、とても撮影どころではなかったのだった。

     しかも、そのあたりですでに気持ちが悪くなってきており、陸に帰りたくなるも、めったにない機会だし、我慢してそのまま那智に向かう。激しい揺れ、視界をさえぎる波風。ようやく滝が見えるという地点で、まずぼくがダウン。みんなはなんとか耐えている。いや、なんと松永真理さんらは大声で「あれが那智の滝かしら」「いや、その上のほうじゃないですか」と平然と言い合っている。

     残りのメンバーは寒さと船酔いでぐったり。船が波とガツンとぶつかったときに、その日から参加していたNHKのディレクターは甲板にたたきつけられて肋骨にひびが入ったみたいだし、ぼくなども半死半生の病人になっていた。以前にもそんなことがあった。ただ、自分でもこれほど虚弱な体質だとは思っていなかったので、それがなんともショックだった(結局ダウンしたのはぼくだけ)。

     そんなわけで、那智の滝がほのかに白く見えたかどうかというくらいで、ようやく船は出発点に戻ることになった。寒いし、だるい。みんなは船から降りると鯨ウォッチングの話で盛り上がっていたが、ぼくは水を飲んで、ひたすら車で横になっていた。早く帰りたい気分。ただ、収穫は、あれほどゆったりと見えていた熊野灘が、一歩海に出てみると、牙をむき出しにした怪物のように、激しく襲いかかってくるのを知ったことだった。当時の船旅がいかに大変だったか、その一端をうかがい知ることができたことである。

    03 さらに熊野へ

     ところで、たまたま深夜のテレビを見ていたら、知り合いの女優がキスするシーンをやっていて、「ああ、女優っていいなあ」としみじみ思ったのだった。映画『人のセックスを笑うな』の1シーンだったのだが、貞淑な女も、激しい恋に落ちる女も、美少女も、娼婦も、明るいOLも、なんでもできるのが女優の特権で、ぼくもつねづね「女に生れたら絶対に女優になって、自分から一番遠い役柄を演じてみたい」と思っていたので、彼女の変貌ぶりがとてもうらやましかった。

     そういうわけだから、多くの監督が女優を妻にして、彼女に激しいSEXシーンを演じさせたりする気持ちもよくわかる。それはまさに自分自身の欲望だからである。自分から一番遠いものになりたいと思わないアーティストはけっして一流にはなれないと思うのだが、ただ、「自分から一番遠いもの」がいかなるものかはなかなか自分ではわからないのだった。

     その後、1月の講座はなんといまもっとも活躍している写真家の藤代冥砂さんとの対談があり(彼の『SWICTH』連載の「神様トリップ」はすばらしい)、当日もみんなで楽しく飲んだのだが、さらに、2月からまた熊野調査(古座川、大塔山方面)もあるし、なかなか楽しみは尽きないのである。捲土重来!



    この「熊野世界遺産3周年記念講座」は3月まで続くのですが、2月は茂木健一郎さん、3月は龍村仁監督と、相変わらず豪華なメンバーがスタンバイしてくれています。みなさんもぜひ参加してください。

    3月8日(土)15時45分~17時15分 龍村仁VS植島啓司
    場所:新宿住友ビル 朝日カルチャーセンター
    お申し込み・お問い合わせ:TEL03-3344-1941
    受講料:2900円


    ○植島 啓司(うえしま けいじ)

    1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

    絶賛発売中!
    聖地の想像力 -なぜ人は聖地をめざすのか
    「頭がよい」って何だろう
      ―名作パズル、ひらめきクイズで探る


    集英社新書 >WEBコラム>愛・賭け・遊び

    本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
    すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
    (c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.