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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第62回・D・H・ロレンス「蛇」

01 映画「レディ・チャタレー」

 ちょうどいま、フランスでセザール賞をとった映画「レディ・チャタレー」(パスカル・フェラン監督)が上映されている。初めての女性監督によるD・H・ロレンス『チャタレー夫人の恋人』の映画化ということでも注目されており、さっそく初日に渋谷のシネマライズへ見に行ってきた。

 この映画の大きな特徴は、チャタレー夫人の側からの女の欲望の描写ではないかと思われる。幾度も繰り返されるノーカットの性描写はどれもみごとに自然のなかに溶け込んでいる。どこからかチャタレー夫人の息遣いまでが聞こえてくる。森番のパーキンを演じたジャン=ルイ・クロックがすばらしい。彼女が森のなかに入っていけば、かならず彼が待っていてくれる。寡黙で、野生的で、どこか知的な感じもするパーキンに隠された過去があることを、われわれは知らされる。そして、二人の愛はさらに深まるばかり。

 D・H・ロレンスの偉大さは、よく指摘されるとおり、SEXを自然・生・躍動と結びつけて考える点であろう。そして、なんといっても繊細な女性的感覚をあわせもつアンドロギュヌス的な精神。パンフレットに引用されている『チャタレー夫人の恋人』第2稿の一節には、みごとにそれが反映されている。

 生はとても優しく、静かで、捕まえることができない。力づくでは手に入らない。力づくでものにしようとすれば、生は消えてしまう。生を捕まえようとしても、塵しか残らない。支配しようとしても、愚か者の引きつり笑いをする自分の姿が見えるだけ。
 生を欲するのなら、生に向かって、木の下にやすらぐ鹿の親子に近づくように、そっと、歩を進めなくてはいけない。身振りの荒さ、我意の乱暴な主張が少しでもあると、生は逃げていってしまい、また探さなくてはならなくなる。そっと、優しく、かぎりなく繊細な手と足で、我意をもたない自由で大きな心で、生にまた近づいていって初めて、生と触れあえる。花はひったくろうと手をのばすだけで、人生から永遠に消えてしまう。我意と貪欲に満ちた気持で他人に近づいてゆくと、手の中に掴むのは棘だらけの悪魔で、残るのは毒の痛みばかり。
 しかし、静かに、我意を捨て、深い本当の自己の充溢とともに他人に近づくことができる。人生で最上の繊細さを、触れあいを知ることができる。足が地面に触れ、指が木に、生き物に触れ、手と胸が触れ、体全体が体全体と触れる。そして、燃える愛の相互貫入。それこそが生。わたしたちは皆、触れることで生きている。
 もしD・H・ロレンスにホモセクシュアルな資質があるというなら、ぼくにだってその程度の資質は確実にあるだろう。というよりも、作家の両性具有は絶対的な資質というべきではないのか。彼が「わたしたちは皆、触れることで生きている」というとき、その言葉の意味はなかなかに意味深長だ。そっと、そっと近づかないと、すべては永遠に失われてしまう。がさつな神経ではなにも手に入らない。かぎりなく繊細に、ただ触れ合うだけで、それだけで十分だというのである。

 ただ、映画を観ながらぼくはまたちょっと別なことも考えていた。それは、要約してしまえば、「われわれにとって本当に愛すべき人は、もっとも身近な人々か、それともまったく見知らぬ人々か」という問いかけである。いや、愛というのは見知らぬ人を身近な存在に変えるものなのか、それとも、身近にいる人を見知らぬ存在に変えることなのか、ということでもある。チャタレー夫人にとってパーキンはずっと身近にいた森番だった。それがある日突然それまでとは違った存在として立ち現れる。彼女がそれまで知っていると思っていたのは本当のパーキンではなかったのである。ずっとそばにいたからといって、それだけで彼を「知っている」ことにはならなかったのだった。

 いったい相手を知るというのはどういうことなのか。街角でちょっとすれ違っただけの相手でも、その印象だけで相手を知ったことになるのだろうか。それとも、衣服を剥ぎ取り、心の秘密を聞きだすことができないと、相手を知ることにはならないのだろうか。

02 放浪の人D・H・ロレンス

 D・H・ロレンス(1885〜1930)は放浪と遍歴の人だった。そんな大事なことも英文学畑の人以外には意外と知られていないことである。むしろ、彼の場合、わずか45年の生涯のうち、後半生は旅に生きたといっても過言ではない。以前、ランボーのところでも書いたように、ぼくは放浪の人が好きだ。彼らは、どこにも居場所がなく、さまざまな場所をさまようだけ。そして、その旅の成果はどこにも残されることがない。後から見るとただのムダな時間としてしか理解されないわけだが、ぼくからすると、本当は、それこそ「旅に生きた」ことなのではないかと思えるのである。

 簡単に彼の年譜を見ていこう
 1885年英国中部の炭鉱町イーストウッド生まれ。ノッティンガム・ハイスクール卒業と同時に医療器具会社に勤めるも半年で肺炎のため退社。ここでまず人生に躓いている。一年後小学校の臨時教員になり、その後もロンドン近くの小学校で教える。1910年母の死。肺炎再発。と書いただけでも十分多難な人生が想像されるだろう。特に彼にとって最愛の母との別れは大きな痛手だったに違いない。

 1912年主任教授の妻、娘二人をもつフリーダと出会い、恋に落ちる。この年上の女性との恋は、母の死と切り離して考えることはできないだろう。二人はドイツへと駆け落ちする(二年後結婚)。1915年『虹』発表。ところが、「全巻これ猥褻」として発禁処分。経済的苦境に陥る。

 1918年大戦後、イタリアへと向かい、シチリア島で詩「蛇」が書かれる(詩集『鳥・獣・花』所収)。ロレンスはどうやら徹底的に母国を嫌っていたようで、その後も長い遍歴が続く。1922年から25年までセイロン、オーストラリア、アメリカ、メキシコを旅する。ところが、メキシコでマラリヤにかかり肺結核を再発させ、いったん英国に戻るも、やはりそこに滞在することには耐え切れず、再びイタリアへ。1928年『チャタレー夫人の恋人』完成。その後も、スイス、バーデン・バーデン、マジョルカ島、クロー島、南仏のバンドールと漂泊の旅は続く。1930年南フランスのヴァンス近くで息を引きとる。享年45歳。

『チャタレー夫人の恋人』は、1928年に限定版が発表されて以来、幾度か手を加えられ第3稿まであるのだが、ぼくは高校生のときに削除版を読んで、なんだかわかったのかわからなかったのか複雑な印象を抱いたのを憶えている。本には読まれるべき時期がある。ロレンスが43歳でそれを書いたということも多少関係あるかもしれないが、『チャタレー夫人の恋人』はたぶん40代くらいで読まれるのがもっとも好ましいのではないかと思う。

 ただ、ここで問題にしたいのは『チャタレー夫人の恋人』ではなく、彼が絶頂期に書いた詩「蛇」についてである。それを読むやいなや、ぼくは彼の才能に圧倒されてしまったのだった。

03 D・H・ロレンス「蛇」を読む

 D・H・ロレンス「蛇」が書かれたのは1923年、南欧の異国的雰囲気のなかにおいてだった。ぼくにはこの詩がずっと頭から離れなかった時期がある。

 それは次のような一節から始まる。「一匹の蛇が 私の家の水のみ場へ来ていた ある暑い暑い日 あつさのために寝巻のままで 私はそこへ 水を飲みに行った」。しかし、私はそこにやってきていた蛇のために、水差しを持って、待たなければならなかった。かれが先客だったからだ。かれは「金褐色のやわらかな腹をひきずり」ゆっくりと水を飲んでいた。そのとき、「私のなかの(教育の)声が言った 男なら 棒をもって すぐになぐりつけろ 殺してしまうのだ」と。シチリア島では黒い蛇は無害だが、金褐色の蛇には毒がある。

 蛇は「神のように 見るともなくあたりを見まわして ゆっくりと頭をめぐらせ」ていた。私は蛇が好きだった。畏敬に近い感情を抱いていた。「かれが神秘の大地の暗い扉から 私の歓待を求めて出てきたことに なおさらの光栄を感じ」ていた。ところが、いまにも蛇が自分の住処に戻ろうとするそのときに、私はぶかっこうな丸太をひろいあげ、蛇に向って投げつけたのだった。

 それは当たらなかったものの、蛇は「ぶざまにのたうち いなずまのように身をくねらせて 黒い穴の中へ逃げさっていった」。ああ、いったいなんということをしてしまったのだろう! いまやすべては失われてしまったのである。「こうして私は 生命の王のひとりと 出会う機会を」永遠になくしてしまったのだった。もはやどんなことをしても、あの神秘的な自然の力と出会うことはないだろう。自分のなかのつまらないちっぽけな怖れの感情のせいで。

 ぼくにはロレンスが蛇に感じたものがよくわかる。彼は怖かったのだ。だから、潜在的に相手の地位剥奪をはかったのである。丸太を投げれば、すぐに相手の正体がわかる。しかし、わかったからといって何になるだろう。それによって相手のことを「わかった」というなら、何も知らないほうがずっとましだったのではないか。

 D・H・ロレンスの「蛇」については、しばらく前に、フランスの哲学者ジャック・デリダが講義で取り上げている、と聞いたことがある。ただし、その内容についてはまったくわからない。ただ、彼のそのときの関心は「歓待」という概念をめぐってのものであり、自分にとって「他者」とは何かという問いかけが背景にあったことは間違いないだろう。デリダは2004年に亡くなるまでずっと「歓待」をテーマに思考を重ねていたのである。たまたまぼくも1997年に「歓待」をテーマにしたポルノグラフィー『オデッサの誘惑』(単行本は1999年集英社から出版された)を書き上げたばかりだったので、デリダの仕事がとても他人事とは思えなかったのだった。

 しかしながら、「他者」とか「歓待」とかいっても、ぼくがずっと関心を抱いてきたのは、見知らぬ相手との性交渉というテーマである。ただし、見知らぬ相手といっても、それは単に行きずりの相手という意味ではない。性交渉というのは、恋人であったり配偶者であったりしても、ある意味では他人を受け入れる行為であり、それは「見知らぬ相手を知る行為」であるか、または「よく知る相手を見失う行為」であるかのどちらかではないだろうかと考えてきたのだった。

 それについては、いま現在、『分裂病者のダンスパーティ』(1985年)、『オデッサの誘惑』(1999年)に続く完結篇を準備しているところであり、いずれこのコラムで改めて触れたいと思っているのだが、ロレンスの「蛇」もまったく同じ系列に属するものだと思えてならない。

 では、いったいこの詩でロレンスは何を言いたかったのだろうか。彼は蛇に対して畏れに似た感情を抱いていた。なによりも蛇は大地からやってきた自分の客人なのだった。それは暗い冥界とつながる神秘的な自然の象徴だった。自分たちがやってきたところ、そして、いつか自分たちが帰るところ、その主に対する畏れはまた自分の心をときめかせたのである。

 ところが、突然、われにかえったかのように、蛇に対する人間の優位性、人間の尊厳の意識が頭を持ち上げてきて、彼は思わず蛇に向って丸太を投げてしまったのである。蛇はみにくい爬虫類の姿へと戻り、彼はすっかり落胆したのだった。その瞬間、せっかくの出会いが台無しになってしまったのだった。他者だけがわれわれに生きる息吹を与えてくれる(他者なしには生きられない)。それなのに、自分は他者を見慣れたものへと置き換えようとして、一挙にすべてを失ってしまったのだった。千載一遇の機会を逸したいま、彼はようやくそのことに気づくのだった。

 ここで強調したいのは、この客人に対する主人の優位性こそが諸悪の根源なのではないか、ということである。では、すべてを受け入れることは可能なのかどうか。 もしその客人が自分を傷つけたり、壊したり、殺したりするものだったらいったいどうするのか。このことはもっとも今日的なテーマとたちまち結びつくことになる。ヨーロッパにおける移民の問題、オウム真理教、われわれの社会(特に家族)にひそむ病理の問題、多重人格、同一性障害、そして、自然環境から脳死、臓器移植に至るまで、われわれはつねに「自分」をとるか「他者」をとるかという二者択一を迫られる状況に置かれているのである

04 狂言「月見座頭」

 ぼくが尊敬する狂言大蔵流の山本東次郎さんの名著『狂言のすすめ』(玉川大学出版部、1993年)に、狂言「月見座頭」について書かれている一節がある。そこからこの狂言のあらすじを簡単にまとめてみたい。

 今宵は中秋の名月で、座頭がひとり、せめて虫の声に深まる秋を楽しもうと野辺に向かう。盲人の位には、座頭、勾当、別当、検校の順があるそうだが、座頭はなかでは高位に属することになる。そこに上京からやってきた男が現れる。すっかり打ち解けた二人は、彼が用意した酒を飲み、謡ったり、舞ったり、すばらしい夜を過ごす。すっかり満足して盲人は帰りの途に着く。

 ところが、なんと謡いながら帰る途中で、一人の荒っぽい男に行き当たられ、罵声を浴びせられ、引きずり回される。そして、突き倒された盲人を残して男は去っていく。あわれにも地に這いつくばった盲人は、なんということか、この世にはさきほどのようにすばらしく親切で思いやりのある人もいれば、見ず知らずの自分に対して、こんな仕打ちをする暴漢もいるものである、と慨嘆する。

 しかし、実はこの荒っぽい男こそ、さっき親切に酒をご馳走してくれた上京の男と同一人物なのだった。彼は別れた後ですっかり気が変わったのか、なにか気分を害したことでもあったのか、理由はわからないが、とにかくもう一度戻って盲人を襲ったのだった。ひどい目にあった盲人は、最後にくしゃみをして去っていく。

 一方は健康な男で、他方は盲人である。しかしながら、どちらの男に豊かさがあるか、どちらに醜さがあるのか、よく考えてみなければならないだろう。しかし、この狂言にひそむ不条理は、人間にはちょっとしたことで、そのときの気分や状態次第で、まったく異なる自分が表に出てくるということである。スペインの闘牛士L・M・ドミンギンは次のような例を挙げている。「あなたが、ある日、通りである男にぶつかって、失礼!と言う。別の日、別の男にぶつかり、相手に文句を言い、殴り合いさえするかもしれない。それでもあんたは同一人物だ。あんた自身なんだ。すべては同じであって、しかも、同じものは何もない」。そう、われわれはつねに同じ自分ではいられないのである。だれにも「自分の中の自分でもわからない部分」がいつ表面に出てくるのかわからない。

 となると、いったい敵と味方はどこが違うのだろうか。自分を護ってくれるものがいつか反乱を起こして自分を殺しにやってくることはないだろうか。また、もっとも信頼を寄せていた相手がもし最大の敵だったらどうしたらいいのか。そして、もっとも遠い存在だったものがいつのまにか自分を決定的に支えてくれる味方になることがあると知ったら、あなたはいったいどう振舞ったらいいのだろうか。われわれが憎むべきは、われわれと血のつながった人々か、それとも完全なる他者なのか。D・H・ロレンスの「蛇」を読みながら、そして、狂言「月見座頭」の舞台を見ながら、そんなことばかり考えているのだった。


注:
 ここは武藤浩史訳を採用して、D・H・ロレンス『チャタレー夫人の恋人』と表記したが、ぼく自身は『チャタレイ夫人の恋人』のほうがぴったりくる気がしている。

 ロレンスの「蛇」については多くの訳があるが、ここでは最初に読んだ『イェイツ・ロレンス詩集』世界詩人全集15、尾島庄太郎、大浦幸男、関口篤訳、新潮社、1969年を採用した。

 狂言「月見座頭」については、大蔵流の山本東次郎さんの舞台も含めて、改めてゆっくり書くつもりです。どうかお楽しみに。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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