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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第61回・西鶴置土産(おきみやげ)

01 貧乏は不幸か

 どうしようもなくお金がなくなってしまったことがこれまでにも幾度かあった。最近では2002年の春だったか、すでにその数年前50代突入というときに「隠居宣言」というエッセイを書き、多くの仕事から手を引いてしまっていたのだが、さらにすべての仕事から離れてしまったのだった。それでもなんとかなると思っていたのだから暢気なことである。別に蓄えがあるというわけでもない。

 まず、1980年代から長いことテレビや新聞でやっていた競馬予想の仕事から手を引いたのがその始まり。いいかげん競馬ばっかりやっているわけにはいかないと思ったのだった。もちろん、いまでも毎週馬券は買っているわけで、まったく競馬をやめたのではなく、仕事としては控えるという意味である。テレビのコメンテーターなどの浮ついた仕事も全部やめることにした。当時多かった女性誌などのインタビューや原稿も次第に受けなくなった。そして、最後には大学もやめることになって、スッキリすべての仕事から引退することになったのである。

 そんなわけで、たしかに自由の身にはなれたものの、わずかな蓄えでなんとかやれるかと思ったのが甘く、まったく計画性のない人間の常で、たちまちすっからかんになって、身動きがとれなくなってしまったのだった。さて、どうしよう?

 とりあえず、1ヶ月の食費を2万円で済ませることにした。すべて外食というのがややネックになってはいたが、牛丼380円、マクドナルド360円などで凌いでいければ、別に不満もないとわかった。ヒマな時間はほとんど図書館で過ごすことにした。大阪にいたときは豊中図書館、東京に移ってからは世田谷中央図書館で、一日中好きな本を読んで過ごしたのだった。大学教授になってからは公立の図書館を使ったことはほとんどなく(必要な本は大学の図書館に頼むとだいたい届けてくれるので)、なんだか大学生の頃を思い出してすがすがしい気持ちになった。

 問題は飲み代だった。ぼくは毎晩必ず飲むのだが、その費用はどうやっても捻出できそうになかった。いろいろ考えた末、外では飲まないで、みんなをうちに呼ぶことにした(各自飲む分だけ持参する)。それから女の子とのデートだが、こちらはほとんど不可能で、相手が払うといえば出て行くが、そこまでしてデートしたいとも思わなかった。カモが葱を背負ってくるように、うちにわざわざビールを持ってくる女の子がいれば、遠慮せずに朝まで飲んだ。

 それでも、しばしば学生らと外で飲み会をやらざるをえないこともあった。なにしろヒマなもので断る理由もない。仕方がないので出て行って、笑いながら、景気よく飲んだり食べたりした。費用はぼくの1ヶ月の食費を超えることもあったが、知らん顔してひとりで支払いを済ませた。ぼくにはちょっとした処世訓みたいなものがあるのだが、それは「景気がいいときにはじっとして気配を消し、悪いときにはぜいたくをする」というものである。普通、お金が入ったら贅沢をし、貧乏になったら節約する。だが、そんなふうにしていては自分の状況を変えることはできない。カジノや鉄火場で学んだ知恵である。

 どうにもお金がなくなって、来年までもつだろうかといよいよ不安になったときには、なんと50万もするスタンド(スイスのカラマという女性アーティストがつくった「O嬢の物語」というシリーズのひとつ)を買った。みんなからはおかしくなったのではと呆れられたが、お金は遣わないと入ってこない。それも、必要なものばかりに遣っていてはダメなのだ。

 そんなわけで、極貧のなか読んでもっとも印象に残った一冊が、井原西鶴の遺稿『西鶴置土産』(1693年)で、これはさすがに心にしみた。

02 『西鶴置土産』

 井原西鶴の『西鶴置土産』は、西鶴の死後に発表されたもので、どう解釈するかでいろいろ議論が分かれている。まあ、そのあたりの事情はまた別の機会に触れるとして、ここでは『西鶴置土産』のなかの「人には棒振むし同前におもはれ」というエピソードを、以下簡単に要約してみたいと思う。

 女郎買いで身上をつぶした男が、落ちぶれて金魚のえさ(ぼうふら)を売って商売している。すると、そこにかつて一緒に遊んだ連中が通りかかる。こんなところで会ったのも何かの縁だし、ちょっと飲まないかということになり、彼は、近くの茶屋で「これっきりだ、酒をくれ」と、その日の商売で得た代金25文(600円)を投げ出した。それは家で待つ妻子のための大事な金なのに、そんなそぶりも見せない。

 彼の名は「伊勢町の月夜の利衛左門」(利左)というかつての遊び仲間のあいだではちょっとは知られた男だった。そんな利左のあまりに落ちぶれた様子に、「自分たちが引き受けて面倒をみるから」とかつての遊び仲間が提案しても、「これは自分が好きでなった身の上だから、好意はありがたいが、いらぬお世話である」とまったく取り合おうとしない。

 さらに、ちょっと近くだから利左の家に立ち寄っていこうということになるのだが、そこはなんともいえない貧しい住まいで、寒いのに子どもは裸のままだった。彼の妻はかつて入れあげた有名な女郎(吉州)で、一緒にここまで落ちぶれてしまったわけだが、彼女にも真心があり、こうしてなんの不満もいわず一緒に暮らしているのだった。お茶をいれようにも薪さえなく、こわれかけの仏壇の扉をたたきわって火にくべる始末。

 その様子を見た客たちは哀れに思って、引き上げるときに持ち合わせていたお金を出し合い、そっと出ていった。その額、一歩金三十八、細銀(こまがね)七十目ほど(いまの100万円くらいか)、かなりの大金だ。そうして、彼らが暗くなった夜道を歩いていると、後から男が追いかけてきて、「こんないわれのない金を受取るわけにはいかない」とつっかえす。

 仕方がないので客たちは二、三日後に女房宛に届けさせようとするのだが、すでにそこはもぬけの殻になっていたというのである。最後のオチは、かつての遊び仲間たちは利左の落ちぶれようを見て、女郎買いをやめたために、通いの遊郭の三人の女郎たちが大きな損失をこうむった、と結ばれている。

 この話のすばらしいところは、かつての栄華をきわめた暮らしからどん底に落ちてしまったにもかかわらず、利左が「女郎買いの行く末は、かようになるならいである」と、まったくそれまでと変わらぬ気持ちで生きている点であろう。どんなにお金が必要かわからないのに、一日がかりで稼いだお金でかつての友人たちをもてなし、好意でおいていった大金をもあっさり拒絶してしまう潔さ。どんなに貧しかろうが、彼らにはそんなことは関係ないのである。後で情けをかけられるのを嫌い、即座に居を移すという点をも含めて、なかなか普通の人間にできることではない。

 西鶴の遺稿『西鶴置土産』は、「好色に遊んだ人々の行く末には悲惨なものがある」というように読めるものだが、ただ、そんな読み方をしていては何もわかったことにならない。たしかに、表面的には好色を戒める道徳的な教えとして読むこともできなくはないが、実は、だれの人生にも浮き沈みはあるもので、そんなときにどのような態度をとるべきかという大きな主題がその背景に隠されている。

 森山重雄は『西鶴の世界』(1969年)で、「利左が零落したことは、廓の立場からみれば好色の結果であるが、彼はたんに没落したのではなく、遊女吉州との仲をつらぬいて、貧しいながら家庭をもっている。それが利左を昔から支えていた境地であり、零落しても失わない何ものかである」と論じている。たとえば、かつての遊び仲間たちは、利左の落ちぶれようを見て、女郎買いをやめることにしたわけだが、利左のたどり着いた境地と彼らのそれとのあいだには決定的な違いがある。

 利左には「あのとき、ああしておけばよかった」とか「どうしてこんなことになったのか」というような後悔の念が少しもみられない。自分の身に起こったことをすべて自分の責任で引き受けるという覚悟のようなものが見てとれる。かつての遊び仲間の場合は、ただ零落をおそれて身を引いただけのことで、そこには心根の持ち方において決定的に違うものがひそんでいる。

 生きることは遊ぶことであり、そうなると、徹底的に生きるというのは限界を超えてまで遊ぶということをも意味することになる。中途半端に遊ぶくらいなら遊ばないほうがいい。ぼくにはこの話はそう語りかけているように思えてならないのである。

03 金持ちに幸せな人間はいない

 ギリシアの海運王アリストテレス・オナシスの名前を知っている人は、いまどれだけいるだろうか。1975年に死亡したオナシスは、難民からはいあがって海運王として一世を風靡しただけではなく、世界一のプリマドンナといわれたマリア・カラスを愛人にし、アメリカのケネディ大統領の夫人だったジャクリーンと結婚し、その後も浮名を流し続けたのだった。

 その孫のアティナ嬢が18歳になり遺産の一部を相続することになったというニュースが流れたのが2003年1月のこと。その額およそ3600億円。事情がまったくわかっていない人は、乗馬が趣味の彼女がこれからさらに優雅な人生を歩むことになるだろう、と思うかもしれない。しかし、なんでもそうだが「過ぎたるは及ばざるが如し」なのである。

 オナシス帝国の継承者である息子アレクサンダーが小型機墜落で事故死したのが1973年。息子の氏にショックを受けた前妻クリスティナさんはアルコール中毒の末、1974年に変死を遂げている。マリア・カラスも、睡眠薬多用の結果、心臓発作を起こし、オナシス自身も原因不明の病気に苦しんだ。

 それだけでは終わらない。孫のアティナ嬢は幼い頃からさんざん誘拐事件に巻き込まれたりしたあげく、父親のフランス人、ティエリ・ルセル氏にしても、いまや遺産をめぐってオナシス財団と裁判で争っている始末なのである。とても幸せとは程遠い状況である。貧乏人はお金があれば幸せになれると思っているが、お金があるとそれだけ不幸になる確率もさらにまた高くなるのである。

04 宝くじ

 カジノのスロットマシンや宝くじで大金を得た人々のほとんどが、その後多くの不幸に見舞われた話は数え切れないほどある。

 宝くじで3億ドル(約330億円)当てたジャック・ウィテカー氏(当時57歳)の場合はかなり深刻だった。それは2002年のクリスマスイヴのことだった。彼は税引き後118億円を受け取り、そのうち21億円を慈善団体に寄付した。しかし、大金を得たのは不幸の始まりだった。その後、彼はアル中で幾度も逮捕され、さらに自宅も会社も窃盗被害に遭い、翌年には孫娘のブランディ・ブラッグさん(18歳)が変死体で発見されたのである。ウィテカー氏の妻ジュエルさんは、後に、「宝くじが当たって家庭が台なしになった。くじを買って後悔している。破り捨ててしまえばよかった」と地元紙に語ったのだった。

 また、2003年の国営宝くじで190万ポンド(約3億8000万円)を的中させたキャリー・ロジャースさん(当時18歳)は、当時、低所得者用住宅に住み、スーパーのレジ係として働いていたのだが、大金を手にすると同時に悲惨な運命に翻弄されることなった。10代で大金を手にした彼女のところには嫌がらせの電話が殺到し、自宅は強盗に入られ、当選金で建てたバンガローは損壊の被害が絶えなかったという。さらに、交際相手とのトラブルも続出し、ボーイフレンドとのあいだに2万ポンド(約400万円)の訴訟沙汰が勃発し、新たなボーイフレンドともうまくいかず、母親との口論をきっかけに自宅の浴室で睡眠薬20錠、鎮痛剤40錠を飲んで自殺を図ったという。なんとか一命をとりとめたものの、人々は、大金が必ずしも幸せを運んでくるとは限らないと痛感させられたのだった。

 予想外の収入というのはけっして好ましい結果をもたらさない。だから、すぐに遣いきるのが正解なのだが、なかなかそうもいかないのだろう。ヤンキースの松井秀喜選手は、2004年に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震の際には、あっさりと義援金5000万円を寄付している。それ以外にも多くの寄付行為を行っている。もちろんそれは彼自身のためになっているのである。ただお金を貯めこんでいる他の多くの選手たちとの違いは明白であろう。だれもが応援したくなるのも当然のことなのである。

05 不確かなもの

 人間にとってもっとも怖いのは「不確かなもの」だ。わけのわからない痛みとか、どこからくるかわからない攻撃とか、いっさい何も見えない暗闇とかには、なかなか耐えられない。逆に、どんなに激しい痛みでも、「あっ、ちょっと胃が痛んでいますね、飲みすぎでしょう、いまお薬を渡しますから」とか言われると、たちまちのうちに治ってしまうのである。逆に、わけさえわかってしまえばそんなに怖いものはないとも言えるだろう。

 われわれの人生には、つねに不確かなものとか理不尽なものが立ちはだかっていて、それらを片づけないと前に進めないようになっている。さて、そんな場合どうすべきなのか。

 まともに考えると、われわれは不確かなものに対して、つねにもっとも合理的な処方箋はなにかと考えがちである。しかし、それはあまり効果的な対処法とは言えないだろう。それでは、つねに後手に回ってしまい、相手を凌駕することはできない。いろいろと振り回された後で、ぐちゃぐちゃにされ、落ち込んで、病気になったりするのがオチである。怪物には怪物で対抗せよと言ったのはたしかニーチェだが、不確かなものに対してはこちらも不確かでいるのがもっとも好ましいやり方なのである。

『西鶴置土産』の利左は、そういう意味では、最後まで「自分」というものに固執せず、あるがままの状態を受け入れようとした。彼が友人たちになけなしの25文で酒をおごったのを「見栄っぱり」とか「ええかっこしー」とか言うのは、とんでもない見当はずれで、あれは利左の潔さの表われであり、自分を「正体不明」にすることによって運命に対抗しようとする生き方のひとつとみることもできるのである。


参考:
 金子武雄『西鶴置土産新解』白帝社、1970年。
 森山重雄『西鶴の世界』講談社、1969年。
 暉峻康隆『西鶴置土産』小学館ライブラリー、1997年。
 『新日本古典文学大系』77、岩波書店、1989年。


さて、末尾になりますが、いよいよ10月17日に新刊『偶然のチカラ』(集英社新書)が発売になります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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