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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第60回・ストレンジャー・ザン・パラダイス

01 食べ物にはこだわらない

 もともとあまり食べ物にはこだわらないほうで、どこにいてもカレーがあればそれで十分だった。実際、インドやネパールでは毎日カレーで満足だった。おいしいとかまずいとかいうよりも、カレーとかシチューとかスープとか流動食のようなものが好みで、要するに噛むのがめんどうなのだった。玉子とじそばとかも好きだし、ラーメンも悪くない。母親から、料理の秘訣は「熱い、辛い、早い」と教わったが、それに「噛む必要がない」を加えるとほぼ完璧である。

 そういうわけだから、食べ物についてぐずぐず言っているのを聞くのはあまり好きじゃない。おいしい食事をとる秘訣はただひとつ。食べる1時間ほど前から「カレー、カレー」と思っているとカレーが食べたくなるし、「玉子とじ、玉子とじ」と思っていると玉子とじが食べたくなる。どんなおいしいものでも、いきなり目の前にパッと出されてはちょっと困る。まあ、そんな調子だから、毎日同じものでもそんなに苦でもない。

 しかし、食べ物がまったくないというのはやっぱり困る。まあ、生ビールさえあればたいていのことには耐えられるのだが、なにしろ旅先では食事が数少ない娯楽なのだから、その地の名物とかもちょっとつまみたくなる。6月からずっと旅が続いたわけだが、みんながそばにいてくれたときはよかったが、大分でひとりになった夜は、さすがになかなか苦労したのだった。

02 大分空港ホテル

 大分空港ホテルに着いたのは2007年6月21日の夕方6時ちょっと前。そのホテルは名前からして空港の近くにあるのかと思っていたら、なんだかわけのわからない場所にあった。どうもそれほど空港に近そうな感じもしなかった。フロントから3Fの部屋に行こうとしたら、アルバイトの女性がついてきてくれて、3Fのエレベーターを降りたところの明かりのスイッチをパチンとつけて戻っていった。ぼくしか泊まっていないかのように静まり返っていた。どこもかしこも暗い。312号室に着くと、そこはバリのゲストハウスのようだった。小学生たちが塾でつかうような長机がテレビの脇においてあった。それでも、不思議なことにまったくイヤな感じはしなかった。

 とりあえずは食事と思って、着替えて部屋を出たものの、そのときは別にカレーでも何でもいいと思っていた。できれば生ビールを頼んで、ちょっと何かつまんでから、天丼か何かで締めるのがベストかなと思っていた。たしか100メートルほど先にコンビニが見えたので、まずはそこで新聞を買おうと思った。このときまではすべてが順調に運びそうに思えた。周囲を見渡すとホテルの前の国道沿いにいろいろ店があるようだったので、問題はどちらに歩き出すかということだけだった。

 一応、念のためと思い、コンビニの若い女の子に「どこかこの辺に食べるところはありますか?」と聞いてみると、なぜか「うーん」と首を傾げるばかり。年配の女性にも聞いてくれるのだが、彼女も「うーん」と考え込んでいる。そんなはずはない。道路わきにはたくさん店があったはず。

「ちょっと左に行くと『ジョイフル』があるんですが」と若い女の子。それには、こちらが「うーん、『ジョイフル』かあ」とうなってしまった。いや、どこでもいいのだから、うなる必要もなかったのだが、なんとなく、ファミレスではなく、もうちょっとゆっくり生ビールが飲めるところがいいかなと思ったのだった。

 そう、さっきタクシーでホテルまで送ってもらって以来、喉がカラカラだったのだ。こういう場合、とりあえず保険となるファミレスがある方角に歩き出すのがセオリーというもので、右よりも左と決めて、すぐ先の大きなホームセンターのような建物を目指して歩き始めることにした。

 ところが、歩き出してわかったのだが、いかにもレストラン風のカラフルな建物はいくつかあったものの、意外なことに食べ物屋はまったく見つからなかった。200メートルほどで足が痛くなりそうな予感。ホテルでサンダルを借りたときから、足に合わないとわかっていたのだが、すぐに戻るつもりで出てきてしまったのだった。道がカーブしているところにスーパーがあり、そこに隣接してうどん屋が見えた。「うどんねえ、ちょっと違うけど、まあ、いいかな」という適当な感じで、うどん屋の入口をのぞいたのだが、どうやらまだ開店していない様子。もう午後6時を回っている。定休日なのか、つぶれたのか、それとも午後7時オープンなのか。

 仕方がないので、カーブを曲がって、さらに歩いていくと、ややにぎやかな交差点に出た。そこに「ポール・リカール」と看板が出ている。「やったー、なんかしゃれた店だぞ」と思い、道路を渡って、いざ店に入ると、そこは洋菓子店なのだった。それでも、苺ミルクと書かれた紙が貼ってあったので、もはやこれ以上喉の渇きに耐えられなくなり、「苺ミルク!」と注文。ところが、店員の女性らはぼくを見て不審に思いつつ、「ありません」という返事。生ビールを犠牲にしてもいいという覚悟で頼んだのに、つれない返事。汚い格好にサンダル履きだし、まさか変質者と間違われたのではないだろうな。しかし、ケーキしかないのでは仕方がない。ぼくはさらに歩き始めたのだった。

03 映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」

 奇妙なロードムービー「ストレンジャー・ザン・パラダイス」をご存知だろうか。男2人と女1人(男の姪)が車でフロリダに向かって旅をする話。あの映画で一番好きなシーンは、旅の途中で、男2人が女をモーテルに残して、ドッグレースに行くシーン。朝、彼女が起きたら男たちの姿はなく、夕方になって、2人は大負けして所持金のほとんどを失って戻る。モーテルには倹約のため男2人で泊まっていることになっているから、彼女は自由に外出できないし、お金も車もないわけで、ひたすら1日彼らを待って過ごしたのだった。楽しみにしていただけ、失望も大きい。

 彼女は当然烈火のごとく怒るが、彼らはまたすぐに彼女を1人おいて、今度は競馬に出かけてしまうのである。このあたりの見境いのなさがまたおかしい。たしかに、20歳の頃、ぼくの周辺でもこういうことは日常茶飯事だった。

 大学の近くの雀荘に友人がデートの約束をした女を連れてきた。彼女はうきうきしている。ところが、2時間経っても、3時間経っても、彼はテーブルを離れない。それはそうだ、1人抜けたらマージャンはできない。残りの3人のことを考えると、彼も途中でやめるわけにはいかないのである。6時間経ったあたりで彼女の顔が引きつりだし、そのまま飛び出すように雀荘を出て行った。みんなは「あららっ」とは思ったが、すぐにそんなことは忘れて、そのまま12時間以上もひたすらマージャンを続けたのだった。

 東京の蒲田にある友人の家でマージャンをやるとなったときも、どういう手違いかその友人の彼女が仕事が休みだからと遊びに来ることになってしまった。以前からデートの約束をしていたらしい。ところが、このときもぼくらはマージャンに熱中し、それから延々10時間経ってもやめなかった。たしか終わったのは翌朝6時過ぎだった。最初の2、3時間は彼女も笑いながらみていたが、それから、ぼくらの後ろのソファでずっと眠っていた。そして、朝になって、みんなが帰った後で、いきなりわっと泣き始めたそうである。

 いまから思うと随分ひどいことをしたと反省もするのだが、当時はそれが当然だと思っていたので、ちっとも悪い気はしなかった。女よりも大事なものがある、デートなんかすっとばせ、おれたちはたとえ核爆弾が落ちてもマージャンはやめないぞ、たしかにみんなそう思っていたのだった。

04 たこカレー

 随分と歩いてきたが、このあたりには、あの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の殺伐とした風景と、どこか共通するものがある。心を慰めてくれるようなものが何ひとつない。仕方がないので、交差点をわたって、再び歩き始める。もうどこでもいいという気持ちになっていた。ホテルに帰るのに20分はかかる距離だ。しかも、サンダルが合わなくて足が痛い。

 さらに300メートルほど歩いていくと、今度はドラッグストアにぶつかった。すぐさま入ってバンドエイドを買い、レジの近くで見かけたリポビタンDスーパーをむさぼり飲んだ。すでに遭難者の心境である。

 ホッと一息ついたが、別に問題は何も解決がついていない。

 そこから道がT字になる地点まで歩いていくと、「食堂」とだけ書かれた、ものすごくうらぶれた店が目に入った。もはやこれまでと思い、入ろうとすると、大きく「たこカレー」と書かれた看板が出ている。ぼくは、カレーは好きだが、どちらかというとたこは苦手だ。

 一瞬躊躇したのは当然で、そのまま、ふと遠くを見ると、「うなぎ」の看板が見えるではないか。「たこカレーよりはうなぎかな」と、どちらもそう食べたくないもの同士を比べたりしたが、ここはやはりたこよりうなぎと決めて、その店に向かって歩いていった。ところが、なんとしたことか、そこは婚礼衣装の専門店だったのである(しかも閉鎖中)。木立にかくれて半分だけ見えていた看板は「呉服おうぎや」の「うぎや」の部分なのだった。

 もはやこれまでと覚悟を決めて、来た道を戻り、「たこカレー」の店に入ると、割烹着を着たおばさんがびっくりした顔でこちらを見る。「こちらは食堂ですよね?」とたしかめると、心配そうにうなずく。「どこか席はありますか?」と聞くと、4人がけのテーブルが2つあるみたいで、その1つに通してくれた。しかし、そこにはおばさんらの私物が置かれていて、なんだかそれらをどかして座っていいものかためらっていると、彼女はすぐに「何にしましょうか」と聞いてくる。

 といっても、たこカレーしかなさそうなので、「たこカレー、それからビールね、生があったら生で」というと、にっこり笑って、「飲み物は何もありません」と言う。「何もって、何もですか」と聞くと、悪そうに「ええ、何も」とうなずく。「じゃあ、ビールがあるところ、この辺りにありませんか」とたずねると、「ああ、この先に『ジョイフル』があるから、そこなら置いてあるかも」という返事。またもや「ジョイフル」だ。しかし、ホテルの近くで聞いたら、たしかすぐ近くにジョイフルがあるって言っていたけれど、ここまでほぼ30分以上はかかる距離である。これだから、地元の人の「すぐ近く」はあてにならない。

 そこからまたしばらく歩かされることになった。道路の反対側にカラフルな建物が見えたので、近寄ると「自動車部品店」だったり、「幼稚園」だったりした。それなのに、食べ物屋のひとつも見つからない。ここまで40分も歩いて、どういうわけか閉まっているうどん屋と、まともに相手にされなかった洋菓子店と、飲み物を置いてない「たこカレー」屋しか見当たらなかったわけで、これが21世紀の日本の現実か、と思わず空を見上げたのだった。

 さらに歩き続ける。こうなったらもう意地でもおいしい店を見つけたい。あの建物の先にきっと店があるに違いないと思ったり、向かい側に急にすてきな店が忽然と現れたりしないかと想像しつつ、またもや10分ほど経過した。当然のことだが、帰りも同じ距離を歩かなければならない。これでは、まるでウォーキングだ。

 苦闘1時間。ついに「ジョイフル」到着! ビールを頼み、ぼくは立て続けに2本飲み乾し、これから先ビールを飲めなくなると困るという思いで、違う銘柄をさらにもう1本追加した。すると、なんと今度は生ビールが出てきたではないか。生ビールがあるならはじめから言えよ、という悔しい気持ちがこみ上げてきた。すでに、ビールさえ飲めれば十分という卑屈な気分になっていたのだった。

 しかし、まあ、なんとか目的達成である。せっかく大分なんだから、何か土地の名物とかつまみたかったな、とは思ったが、それでも、これで満足しないといけない。何も食べられない人々だってこの世にはたくさんいるのだ。ビールにやや酔って、ふらふらとホテルまで戻り、明日のレンタカーの手配とか道順の確認だかするうちに、すぐさま眠りに落ちてしまった。さすがに空腹のまま2時間近くも歩かされたのだからどっと疲れが出たのだろう。

05 空港へ

 さて、その翌朝のこと、タクシーで空港まで向かおうと乗り込むと、なんと一番最初に見つけたコンビニのすぐ向こうに「天ぷら」と看板を掲げた店があるではないか。どうしてだれも教えてくれなかったのか。ここも昨日は閉まっていたのか、それとも、コンビニの女店員とケンカでもしていたのか、または、何か特別な事情でもあったのだろうか。もう一度来たらわかるのだが、たぶんここにはもう来ることはないだろうなと思った。どうにも割り切れない気持ちでぼくは大分空港に向かったのだった。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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