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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第58回・ランボーの旅

01 なぜ旅をするのか

 気がついたらずっと旅をしていた。どこにも安住することなく移動を繰り返してきた。たしかに10代のころから放浪癖はあったけれど、それでも旅が好きだったというわけではない。なによりもめんどくさかった。それなのに、20代に入る頃からは、ほとんど一つところにとどまることがなかったように記憶している。もともと人間の内面(精神)にしか興味がなく、10代の頃はキルケゴールやハイデッガーやパスカルなどを読んで過ごしてきた。いったい何がきっかけで外へ出るようになったのか。それはいまの自分にもわからない。

 ただ、これまでも旅先で見たものを書き連ねるようなことはしてこなかったつもりだし、それはぼくの求めるものとはむしろ正反対の事柄だと思っていた。ぼくが旅をするのは旅先で何か特別なものを見たいと思ったからではない。あえて言うなら、旅をしながら自分の内側に起こる変化をじっと見つめたいと思っていたのだった。

 つい先日、藤原伊織が死んだ。あの『テロリストのパラソル』で直木賞をとった作家なのだが、ぼくにとっては古くからの友人で、『ダックスフントのワープ』(集英社文庫)には解説もつけたし、『テロリストのパラソル』で賞をとったときには、一緒に取材を受けたりもした。そんなこともあって、いろいろなことが思い出されて、ここ数日間ただ茫然として過ごしたのだった。誰にも好かれる男だったので交友範囲はかなり広かったと思われるが、ぼくとの40年近くなるつきあいのなかにはそう簡単に語れないものがある。彼もまた放浪の人だったし、お互いに会うための約束をしたことなど数えるほどしかなかった。そんなところがぼくらの数少ない共通点だったかもしれない

 そういうわけで、それほど頻繁に連絡を取り合っていたわけではないが、一時はほぼ毎日のように新宿のBOXという店で飲んだし、また、しばらく離れていても別にどうってこともない関係だった。しかし、それでも、この世にいなくなられるとなると話はまったく別で、なんだかやり場のない感情が心の底でとぐろを巻いているような日々が続いている。

 彼の旅は終わってしまった。しかし、ぼくの旅はまだ少し続いている。

 今月も熊野へ、そして、6月は大分、宮崎へ、さらに、7月以降にはインドネシア、シンガポールへ、さらに、奈良、和歌山へと予定表はほとんど旅で埋め尽くされている。秋には『処女神』の撮影も含めてネパールのカトマンズに行く予定もある。1か所に3日間もとどまることがない。どうにも落ち着かないことである。

 それでもなお、どうしても年内にはエチオピアのハラルに行きたいと思っている。そこはひとりの詩人にとってこの地上で唯一の運命的な場所だったからである。

02 鈴村和成『ランボー、砂漠を行く』

 アルチュール・ランボー(1854-91)は、ご存知のとおり、『酔いどれ船』『イリュミナシオン』『地獄の季節』で彗星のように現れ(といっても、そのほとんどは書簡の体裁をとっており、生前刊行されたのは『地獄の季節』のみ)、一世を風靡したフランスの詩人である。そこまでならだれでも知っていることかもしれない。だが、彼が現在でも影響力をもつほどの天才的な詩を書いていながら、なんと20歳ごろに詩作を放棄し、アフリカに渡って交易商人となり若くして死んだというあたりの事情は、それほど詳しく知られていないのではなかろうか。

 ぼくは、大学に入ったばかりの頃、よりによって詩人から商人へと転進するなんて、「ランボーもなんと堕落したものか」と思ったものだった。詩人はもっと崇高な人生を送るべきものだと思っていたからである。しかし、そうはいってもランボーの37年の短い生涯の後半が果たしてどのようなものだったのか、ずっと気になっていたのだった。

 なにしろ、彼は1880年にアラビア半島の突端にあるアデンから紅海を渡り、アビシニア(エチオピア)のハラルとのあいだを往復する交易商人となっただけではなく、なんとそのあいだたった一度もフランスに戻ろうとしなかったのである。その意志の強さはよく旅をするぼくから見ても尋常なことではない。

 いったい何が彼をそれほど強くアフリカに惹きつけたのか。それとも、フランスに帰ることを拒んだ特別な理由でもあったのか。さすがに、ぼくも1か所に3日はとどまらないとしても、どうしても自分の家に戻りたいと思うことはあるし、帰るところがあるからこそ放浪できるのかもしれないと思っている。しかし、ランボーは1880年にアデンでコーヒー豆を扱う仕事に就き、それ以降1891年の死ぬ間際までフランスに戻ることはただの一度もなかったのである。

 しかも、ランボーがアフリカで書いた家族への手紙(「アフリカ書簡」)は、そのほとんどが無味乾燥な事実の列挙であり、「詩人ランボー」など手紙のどこにも発見できないのだった。では、詩人としてのランボーはいったいどうしてしまったのか。ずっとそれが疑問だったので、鈴村和成の大著『ランボー、砂漠を行く』(岩波書店、2000年)を読んだときには、久しぶりに心がときめいた。彼は、ランボーの詩とアフリカ書簡は物事の表裏にすぎないもので、そのあいだにはなんら決定的な違いはないと論じているのである。つまり、もともと彼の詩も、そのほとんどが書簡の形で書かれたものであり、そういう意味では、本人にそれほどはっきりとした区別などなかったのではないかというのである。なるほどそれはそうかもしれない。

 しかし、それにしても、アフリカで書かれた書簡はまるで素っ気ないものばかり。いくら砂漠や悪条件が重なる場所から投函されたとしても、もっと書くべきことは他にあったのではないかと思わせられるのだった。たとえば、彼がアラビア半島最南端の町アデンに到着して最初に出した手紙は以下のとおり。

アデン、一八八〇年八月十七日。
親しき友たちに、
 二か月ぐらい前に、会計係と技師を相手に口論して、四百フラン持ってキプロスを離れました。留まっていれば、数か月でよい地位に就けたでしょう。とは言っても、戻る気なら戻ることはできます。
私は紅海の港という港に仕事を求めて廻りました、ジェッダ、スアキン、マサウアー、ホデイダ、等々。アビシニアで何か仕事はないかと試みた後、当地にやってきました。着くなり病気でした。コーヒー商人の店に雇われていますが、まだ七フランもらっただけです。数百フラン稼いだら、ザンジバルに発つつもりです。あそこには、人の話では仕事があるそうですから。
 お便りください。
ランボー
アデン・キャンプ

 これはもちろん彼の家族に宛てた手紙だが、だいたいすべてがこんな調子で、しかも、珍しい地を訪れたからといって、特にその地方の風物や人々の暮らしぶりを描写しようとすることもなかった。「十一年後にハラルを去るとき、十六人の人足に担架で運ばれる瀕死のランボーは、『ハラルからワランボまでの旅程』を綴ることになる」のだが、「今はその道を未知の世界に挑戦するランボーが初めて辿っていく―二十六歳になったばかりの若々しい足取りで」(鈴村、53頁)。最後に、重い病気(静脈瘤)にかかって、苦難の旅を続け、やがてマルセイユの病院で片足を切断され、不遇の死を遂げるランボーの運命を知っているだけに、このあたりの手紙を読むと、なんだか切ない気持ちにさせられる。

 いったい彼はアフリカの地に何を求めていたのだろうか。

 それ以降のランボーの手紙は、どれもただ「どこそこに到着した」「どこそこを出発した」ばかりになるのだが、それでもそれらを続けて読んでいくと、いろいろなことがわかってくる。たとえば、「ソマリ砂漠を二十日間馬に乗り続けて横断した後、この国に着きました」(1880年12月13日)と「砂漠のなかを六週間旅して、アデンに着きました」(1884年4月24日)とを読み比べてみると、あたかも彼にとっての旅はただ目的地に着くためのものでしかないかのようである。では、なぜ旅先で見たさまざまな風物について書かなかったのか。それについての鈴村の答えにはまったく同感である。それは「すでに詩に書いてしまったから」というものだった。

 たとえば、『イリュミナシオン』には次のようなヴィジョンが描かれている(鈴村、65頁)。

森に一羽の鳥がいて、その歌があなたの足を止め、あなたの顔をあからめさせる。
時をつげない時計がある。
白い獣の巣を抱えた窪地がある。
降りてゆく大聖堂、昇ってゆくみずうみがある。
雑木林に棄てられた小さな車、あるいはリボンを掛けて小道を駆け下ってゆく車がある。
森の緑を透かして街道にかいま見られる扮装した小さな道化師の一団がいる。
最後に、人が飢え乾くとき、あなたを狩り立てるだれかがいる。

 これは実際にある風景を切り取ったというか、まさに消えてなくなる寸前の風景を描いたものであって、それだけですでに写実を超えた地点に達している。それはみごとなものだ。ランボーは、こうしたヴィジョンを超えるものが、この地上に別に見つかるとは思っていなかったのではないか。そんなことを思いつつ、屋根裏から昔読んだランボーの詩集を取り出してみた。3冊あった。フランス語の原書も見つかったし、自分で訳したものもあった。最初に読んだのは金子光晴訳(角川文庫版)だった。それを手にとってパラパラ開いてみると、ランボーの『酔いどれ船』の次のような一節にぶつかった。

僕は見た。空にふりまかれた星の群島を!
有頂天な空が、航海者たちをまねいているその島々を。
百萬の黄金の鳥よ。未来の力よ。この底ふかい夜のいづくに、
おお。どこに、おまえは眠っているか。どこにかくれているか?

 こういう詩を書いた後で、詩人はいったい何を書くことができるだろうか。いや、ここでは、ただその詩のすばらしさを強調しようというのではない。彼の内面の変化を知るにはどちらも必要なのではないかと言いたいだけである。ランボーの苦難はいつまでたっても終わらない。まるで円環を描いてぐるぐる回っているだけ。彼はいったいどこへ行きたかったのか。いや、おそらく行きたい場所などこの地上にはなかったに違いないのである。

03 「私がここに幸せになるために来たのではないことは明らかです」

  こうしてランボーは自分の運命を少しずつ理解していくことになる。そして、どこに出かけてもそこが安住の地とはほど遠い場所だということを思い知らされる。このあたりの事情はとても他人事とは思えない。いったい自分を突き動かしてきたものは何だろう。実際、求めているものがどこか他のところで見つかるとは思えないし、かといって、いま自分がいる場所が好ましいわけではけっしてない。ランボーも「アデンときたら、だれもが認めるように世界で一番退屈なところです。あなた方の住むところに次いで、ということですが」(1880年)と書いている。

 ぼくもこれまで居所不明の人生を歩んできたが、それには「どこにいても同じではないか」というどこか乾いた気持ちが背景にある。それが逆にぼくを突き動かして、見知らぬ地へと運ぶことになるのだから、まったく皮肉なことである。しかし、それにしても、まさかすでにあの時代にランボーが世界を股にかけた旅人だったとは寡聞にして知らなかった。鈴村和成『ランボー、砂漠を行く』によると、その経緯は次のようになっていたらしい(やや長いので原文のカッコ内は省略させていただく)。

 確かにランボーは驚くべき旅行家で、あらゆる光景を見尽くしていたかもしれない。彼はこのアデンの地にやって来るまでに「風の足裏をした男」と綽名されるほどの旅をしている。十五、六歳の頃から始まった「徘徊狂」とも言われる故郷シャルルヴィルからの度重なる脱出、パリのモベール広場での放浪生活、ヴェルレーヌとのロンドン、ブリュッセルの放浪。一八七五年には徒歩でアルプス山脈を越えてイタリア入り。七六年にはオランダの植民地部隊に入隊、プリンツ・ファン・オランヘ号でジャヴァ島へ。このとき一度アデンを経由している。バタヴィアで脱走。七七年には、ストックホルムからコペンハーゲン、ノルウェーの最北端を極めたとも言われる。七八年には、雪のサン・ゴタール越え。イタリア経由、アレクサンドリアへ。その年の年末から七九年にはキプロス島ラルナカのポタモス石切場で現場監督に従事、おそらく最初の砂漠の洗礼を受ける。八〇年には再びアレクサンドリアからキプロス島へ、今度はトロードス山頂でイギリス総督官邸の建設に携わる。そして、同年夏、アデンに。

 ランボーは詩を棄てて旅に出たのではなく、もともと旅人であり、冒険家であり、探検家だったのである。その結果、自分の心が追い求めてきたものからもっとも遠い不毛の地にたどりついたということになる。いまになってわかることだが、人は他人にレッテルを貼られてその役割を演じることもあるだろうが、往々にしてそこに本当の自分はいないのではないか。これこそ彼の本領と思われるところには、実際、彼はいないように思えるのである。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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