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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第57回・眠れる美女

01 『わが悲しき娼婦たちの思い出』

 いかなる本でも、ましてやそれが小説だったりすると、それを手に取るにはなんらかの動機付けが必要となってくる。1年間に少なくとも1200冊ほどは読んでいると思うが、それらの多くは仕事の必然によるものであり、楽しみの読書とはちょっと違う。ぼくは国内外を問わず小説を読むのが好きで、だいたい目ぼしいものは読んできているつもりだったが、最近になって、それがそうでもないことに気がついた。いつも本を手にしていると、余暇には本を読む以外のことがしたくなるもので、なかなか小説などを読む時間も限られてくるのだった。

 そんなある日、ある女の子から、突然、ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社、2006年)を、ぜひ読んでほしいと手渡された。半年ほど前に出たその本については多くの書評が出ていたので、よく知ってはいたが、忙しさにかまけてまだ手に入れてもいなかったのだった。多くの書評に、それは川端康成の『眠れる美女』(1961年)に触発されて書かれたもので、老人と処女の娘との娼家での出会いを描いたものだ、と紹介されていた。

 冒頭に、川端康成の『眠れる美女』の書き出しが引用されている。

 たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠つてゐる女の子の口に指を入れようとなさつたりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。

 川端康成の『眠れる美女』は何度も読み返したくらい好きな作品でもあるし、さらに、ガルシア=マルケスは現存するもっともすぐれた作家のひとりで、これまでにも『百年の孤独』や『予告された殺人の記録』などについて雑誌などで論じたこともある。それなのになぜ読んでいなかったのか自分でもわからないのだが、それを薦めてくれた女の子が普段ほとんどそういう種類の本を読まない子だったので、特に興味を抱いたのだった。彼女に、きみが本を推薦するなんて珍しいね、と言うと、いいから読んでみて、とちょっと含みのある表情をしてつぶやいたのだった。

02 眠れる美女

 ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、これまで娼婦しか相手にしてこなかった90歳の老人が、睡眠薬(臭化カリを混ぜたカノコソウ)を飲まされ意識不明の眠りについている14歳の処女と夜を過ごす話なのだが、これがさすがにガルシア=マルケスだけあって、あっというまに最後まで読まされてしまった。いや、それは正確ではない。ぼくはどんな本でも最後まで一気に読み終えることをせず、特に小説だと最後の10ページほどを残していったん本を閉じ、そのまま4、5日寝かせておく習性があるからだ。一気に読み終えた本はすぐに忘れてしまうからである。最後の数ページを残しておくと、そこからどうなるのか気になるだけでなく、本全体の骨組みをしっかりとつかまえたままでいられるという利点もある。本書もわずか100ページちょっとの短編だし、新幹線で読み終えるのにちょうどいいような作品なのであるが、もったいなくて最後の部分だけ残してしばらく寝かせておいたのだった。
 ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』の書き出しはいっそうセンセーショナルである。

 満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。ひそかに娼家を営んでいるローサ・カバルカスのことを思い出したが、以前、彼女は新しい女の子が見つかると、いつも上客にだけ伝えていた。

 もちろん、女性の肉体を売り買いするだけでも社会的に非難されることであるのに、『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、90歳の老人と14歳の処女というのだから、これは発禁どころの騒ぎではないと思われることだろう。ところが、それが全然そんなことはなく、みごとな愛の物語になっている(性交渉がないどころか、彼女を起こしもしなかったのだった)。一般にはセックスをしないのが純愛と思われているが、それはとんでもない誤解だということがよくわかる。むしろ、いくらでもセックスできる状況にあってこそ純愛は成立するのではなかろうか。

 最初の1行を読んだだけで、さまざまなことが思い出されてくる。ぼくはこれまでに娼婦を買ったりしたことは一度もないのだが、30年ほど前に知らないままそれに似た状況におかれたことがあった。そのときの甘酸っぱい(それでいて愛しいような)なんとも言えない感情が甦ってきた。セックスが目的ではなくスタートラインだとすると(もっともぼくらはセックスにまで至らなかった)、どうしてあんなに好ましい関係になれるのだろうか。本書での「私」のセリフ、「セックスというのは、愛が不足しているときに慰めになるだけのことだよ」という言葉には、たしかに真実が含まれているのだった。

 もうひとつ思い出したことがある。やはりまだ学生の頃のことだった。西武池袋線のある駅の近くで、短い期間だったが男2人女2人で同棲していたことがあった。ある日、深夜になって帰宅すると、遊びにきていた若い女の子が、すっかり飲みすぎてしまったらしく、苦しそうに部屋の隅で転げまわっていたのだった。話を聞いてみると、ひどいアルコール中毒で、ずっと全身が痙攣しているという。これはまずいと思った同居の女性(ジャズシンガー)が救急車を呼ぼうと電話したところ、言葉遣いの問題から向こうとケンカになってしまって、いまやどうにもならない状況なのだという。その女の子は髪の長いふっくらとした子で、口にはビニール袋が無造作にかぶせられており、その身体はいまも間歇的に痙攣しているように見えた。

 このままでは大変なことになると思い、呆然とする同居人たちをおいて、ぼくは彼女を風呂場に引きずっていき、すべて吐かせることにした。そこまではもうひとりの女性(モデル)が手伝ってくれた。風呂場で、まず彼女の上半身のシャツをゆるめて、それからジーンズを脱がせた。ジーンズとおそろいの紺のパンティをはいていたのだけはいまでも憶えている。そこで、口に指を入れて全部吐かせてから、彼女をベッドに連れていって、暖かくして寝かせつけたときには、すでに午前2時を回っていた。

 ぼくは翌朝早い用事があって、みんなよりも一足先に出たのだが、帰ってから聞いたところによると、女の子は朝になるとずいぶん元気になったみたいで、あなたを介抱してくれたのは男の子だったのよ、と言われても、ふーん、そうだったの、と言うだけで、昼過ぎになってようやく帰っていったそうである。ぼくにしたら、口の中に手を突っ込んだり、汚れ物を始末したり、ジーンズを脱がせたりしたのに、相手が(当然のことながら)ぼくのことをまったく覚えていないことに、なんだか割り切れないものを感じたのだった。もしパンティを脱がしたりセックスしたとしても(もちろんそんなことはしないが)、彼女にとってぼくは無に等しい存在なのだった。

 こうして思い返してみると、川端康成の『眠れる美女』やガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』とよく似たシチュエーションなのかもしれないが、まだ20代ということもあって、ぼくにはただ当惑するような思い出として残っているだけなのだった。しかし、もし、ぼくが90歳だったとしたらと考えると、それはまた違ったシチュエーションになるのかもしれない。当時なら、なんとか自分を認識してほしいと思ったのだが、もし老人だったら、自分は相手のことをすべて知っていて、相手は自分のことを知らないということが、ひそかな喜びになるのではないか。または、その狭間に身をおくことに特別な感情を抱くことになるのかもしれない、と思ったりしたのだった。

03 複数のイメージ

 ガルシア=マルケスのすばらしさは、意外と見逃しやすいところにある。たとえば、次のような一節を読むと、ぼくの心はしばらくそこに釘付けになってしまう。

 四時に、ドン・パブロ・カザルスが編曲した決定版とも言えるヨハン・セバスティアン・バッハのチェロの独奏のための六つの組曲を聴いて、気持ちを落ち着かせようとした。あの曲はすべての音楽の中でもっとも学識豊かなものだと私は思っているが、いつものように気持ちが静まるどころか、逆にひどく気が滅入ってしまった。少しだるい感じのする曲目を聞いているうちにうとうとまどろんだが、夢の中でむせび泣くようなチェロの音と港を出て行く船の汽笛の音を混同してしまった。そのとき突然電話のベルが鳴って目が覚め、ローサ・カバルカスの錆びついたような声で現実に引き戻された。あんたはほんとに運のいい人だよ、と彼女が言った。

 バッハのチェロ組曲をきっかけにして、現実と夢のあいだをいくつもの音が行き来するうちに、まだ14になるかならずの女の子が見つかったよ、という娼家の女の声が電話の向こう側から聞こえてくるという成り行き。複数のイメージが絡み合って、さりげなく物語の進行を支えていく。まさに作家とはオーケストラの指揮者と同じ仕事なのではなかろうか。ストーリー自体は比較的単純な作りであったとしても、こうしたポリフォニックな文章がわれわれの想像力をいたく刺激するのである。

 もうひとつ、もっとも印象的な一節を挙げると、それもやはり物語の進行とは無関係な「私」とお手伝いの女性ダミアーナとのエピソード。仕事に忠実なダミアーナがまだ少女の頃に2人は関係を持ったことがあるのだが、それから何十年も経ったある日、「私」は四つんばいになって雑巾がけしている彼女を見てむらむらとして、次のように尋ねるのだった。

 ダミアーナ、ひとつ訊きたいんだが、何か思い出すことはないかね? 思い出すことなんて何もありませんが、尋ねられたので、ひとつ思い出しましたよ、と彼女が言った。それを聞いて、私は胸が苦しくなった。私は人を愛したことがないんだ、と言うと、彼女はすかさず、私はありますよ、と答え返してきた。彼女は仕事の手を休めずに、私は二十二年間あなたのことを思って泣きました、と言った。私は心臓が止まりそうになった。何とかその場を取り繕おうとして、もし結婚していたらいい夫婦になっていただろうな、と言った。今さらそう言われても、私にはあなたをお慰めすることもできやしませんよ、と言った。そして、家を出ていくときに、ごくさりげなく、信じてはもらえないでしょうが、神様のおかげで、私はいまだに他の男の方を知らないんですよ、と言った。

 こういう小さいエピソードにこそ魂が宿っている。生きるということは選択を強いられることでもあって、いつも得られるものはひとつ、失われるもののほうが圧倒的に多い。もしかしたらこうなっていたかもと思わせられることを数えだしたら(しばしば海外でひとりっきりになると、そういう妄想が湧いてくる)、朝まで眠れなくなることだろう。どうしてあの時あんなひどいことを言ってしまったのか、なぜ孤独な毎日を送ることに耐えられなかったのか、どうしてあんなことで別れなければならなかったのだろうか。

 どうも本筋よりも、そんな自分の過去のことばかり思い出されて、しばし物思いにふけったりしたものの、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の結末は、みごとに生命のきらめきを表現してくれている。誰もが想像もできなかった結末と言えるのではないか。ぼくも、自分では全然年をとっている自覚がないし、ようやく折り返し点あたりかなと思っているのだが、これから自分の身に起こるであろうことを思うと、なんだか胸がときめくのだった。

04 『処女神』

 実は、90歳の誕生日に処女とみだらに過ごしたい、という書き出しには、また別の関心も抱いていた。いま、ちょうど集英社のPR誌『青春と読書』で『処女神』という集中連載をやっていることもあって(5月号完結)、いったい処女の持つ特別な魅力とは何なのかということをずっと考えていたのだった。ぼくには、まだ性の歓びを知る前の処女には、いかなる想像をも許容する下地があるように思えるのだが、果たしていかがなものだろうか。処女はゼロであり、同時に、すべてなのではないか。どうやらガルシア=マルケスも、処女の魅力を、妄想を引き起こす力と考えているふしが見えるのだが。

 すなわち、改めて強調することでもないことだが、生きるということは、限られたこの現実世界を生きるということだけを意味するわけではない。これまで自分の身に起こらなかったことも、これから身をもって経験することも、また、永遠に起こらないことも、すべてそのなかに含んでいる。それだからこそ、元娼婦の「まじめな話、魂の問題は横へ置いて、生きているうちに愛を込めて愛し合うという奇跡を味わわないといけないわ」という言葉が心をうつのである。

 それにしても、どうしてあの女の子はぼくに『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読めと薦めたのだろう。ようやく桜も咲き始め、季節の変化が眼に見えるようになってきた。それにともなって、これまで誰もなしえなかったようなことをやってみたいという衝動がひそかにこみ上げてくるのだった。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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