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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第54回・石鎚山

01 まさか登山することになるとは

 あまりに遠い道のりなので眩暈がしそうだった。こんなに歩いたのはいったいいつ以来だろうか。とにかく石鎚山の山頂までなんとしてでも登ると決めたわけだが、きちんとした格好でなければ危険とアドバイスされたにもかかわらず、渋谷でぶらぶらしているような格好で来てしまったのだった。これから片道3時間の登山というのに、それほどの緊張感はない。完全装備の連中が通り過ぎながら、ぼくらの格好を覗き見ていく。しかも、ぼくらは彼らのように迂回しながら登るのではなく、試しの鎖、一の鎖、二の鎖、三の鎖という垂直の岩壁を何百メートルも登るコースを選択していた。もはや引き返すわけにはいかない。
 だいたい登山などこれまでやったこともないし、そんなムダなことをする人の気持ちがわからなかった。そんなヒマがあったら、ぼくならただちに競馬場に行く。もっと若い頃だったら迷わずパチンコかパチスロに直進だろう。ぼくは自己実現みたいなことが一番きらいだし、同じムダなことを選択するなら一攫千金のほうを選ぶように遺伝子の段階で決定されてしまっている。それなのに、どうしてこういうことになってしまったのか。
 それは一昨年のことだった。たまたま愛媛の松山大学で行なわれた「四国遍路シンポジウム」にパネラーとして出席したことがあった(連載第43回「四国遍路」参照)。そのときに参加した多くの方々(徒歩で八十八ヵ所をまわった方々)から、「やっぱり一番は石鎚山ですね、あそこはすごかった」という声を聞いたことが脳裏にこびりついていたのである。いくら怠慢なぼくでも、何度も四国を訪れているのだから、石鎚山くらいは経験しておかないとマズイと思ったのだった。しかし、この「石鎚山くらい」が間違いのもとだった。
 幸いにも初秋の穏やかな日差しがぼくらを包み込んでいた。これならだいじょうぶだろうとぼくはなんとビデオカメラまで手に持って、ひたすら全行程を映そうと意気込んでいた。ラフなシャツ1枚にチノパン、バンコックで買ったナイキのスニーカー、準備は万全だと思っていた(この決断も前夜のことである)。早朝に観音寺を出発し、9時50分にロープウェイまで車でたどり着き、ようやく歩き始めたのが午前10時。木洩れ日が美しい。下界は27度とけっこう気温は高かったのだが、ここはそれに比べて5度ほど低い感じ。とにかくこちらは総勢4名。一見ひ弱に見えるA氏、案内してくれる女の子、屈強な青年コーちゃんというアンバランスな組み合わせ。だれが最初に脱落するかだけかひそかな楽しみだった。
 最初に飛ばしたのがA氏。これは絶対に後半バテるぞと含み笑いを浮かべながら、ぼくは悠々と後ろを歩いていた。成就社(石鎚神社中宮成就社、歩き始めて30分)まではわりと平坦な坂道で、それほど苦労せずに冗談を言い合いながら進んだ。そこでお参りして引き返す人々も少なくないとのことで、実際女の子はそこまでしか行ったことがないとのことだった。しかし、そこで引き返すならば来ないほうがましである(この強気の発言はもちろん苦心惨憺した後のものだ)。さあ、そこからが本番である。ところが、成就社を過ぎたところから道はずっと下りになる。これから2000メートル登ることを考えると、なんとももったいない気がする。それもずっと下りばかりなのだ。10分ほどで石鎚神社遥拝所を通り過ぎる。まだまだ余裕十分で、会う人ごとに挨拶を交わし、お互いの労をねぎらい合う。

02  試しの鎖

 そんなぼくらの前に現れたのが、右に試しの鎖、左に近道という表示板。ここで、前を行く大学生らしき二人連れの男性がためらっている。右は70メートル以上の絶壁なのだ。鎖を手にとって、どうやって登るのか思案中という風情。もう一組やや年齢の高い男女も「さあ、どうしたものか」とたたずんでいる。ぼくらも、目の前の絶壁を見ながら、ただ鉄の輪だけを頼りに70m以上も絶壁を登るなんて果たしてわれわれにできるのかどうか躊躇していた。まだこれから先は長い、ここでそんなムリをしても仕方がない。とりあえず、左の楽そうな道を行って、余力を蓄えておこう。みんながそう思っているとき、A氏の一言。「ここを登れば、他もそんなに苦にならないってことですかね」。まあ、おそらく右の絶壁を登れば、山頂までの最短距離を進むわけだから、やはりここは登るしかないのではないか。言葉の力はすごい。一気にそういう空気になった。すると、背後から来た年配の男性のうちの一人が、「ああ、何十年ぶりかなあ、ここを登るのは」とおもむろに鎖に近づいてきた。およよっ、経験者の登場だ。
 彼は鎖についた輪を手でつかみ、崖のくぼみに足をかけ、交互に颯爽と登り始めた。さらにもうひとりの連れもその後に続く。「なるほど、ああやるのか」とみんなが感心して見ていると、さっそくわがコーちゃんがそれに続く。あれっ、だいじょうぶかなと思いつつ、ぼくらも慌てて後を追うように絶壁にかじりついた。しかし、これがなかなか大変で、足をつっかける岩場があれば、わりと順調に進むのだが、足の置き場がないつるつるの壁か、または石が逆向きに重なっている箇所になると、頼りは鎖だけになる。これがとんでもなくしんどい。手を離せば落下して死ぬか重傷を負う。いやでも緊張せざるを得ない。
 しかし、人間には知恵というものがあって、登りつついろいろなことを学ぶことになる。ぼくの場合、絶壁に吊り下がっている鎖の輪の部分に足を突っ込むことを知ってから、多少動きがよくなったようだ(それまで手でしか触れてはいけないと思っていたのだった)。しかし、下から見えていた岩場は、30メートルほど登ると右にゆるやかにカーブしながら、さらに険しくなってくる。もう怖くて下を見る余裕はない(ぼくは高所恐怖症だ)。ひたすら目の前の岩にへばりついて一歩一歩進む。
 そして、いよいよ岩壁制覇。ふうっ。しかし、その頂上は岩肌が露出したきわめて狭い空間で、数人が立つと、もうすれ違うのもむずかしい。ぼくは怖くて立つこともできない。さらに、周囲を見渡すと、なんと下りる道がない! なんとこちらが近道かと思ったら、ここはただの試練の場なのだった。「試し」というのはそういう意味だったのである(「そうはっきり書け!」)。そういえば、下の看板も「右に試しの鎖、左に近道」と書いてあったのを思い出した。しまった、こちらが近道と思い込んだのは単なる勘違いなのだった。
 では、いったいどうするか。まさか登ってきた絶壁を下りろというわけはない。どこかに下り口があるはずだ。すがるような気持ちで周りを見ると、なんと逆側の岩壁にチラッと鎖が見えている。もしかしたら逆側の絶壁をさかさまになって下りるのかと覗き込むと、まさにそのとおり! こちらのほうが登るよりもはるかに怖い。いったいどうやって身体を逆にするのか。下を見るとめまいがする。しばらく躊躇していたのだが、それしかないとわかると次第に諦めがつく。すでにコーちゃんはさっさと下り始めてしまった。A氏もいやいや鎖に手をかけている。ああ、これからいったいどうなるのだろうか。

03 非等方性

 ものすごくムダな時間を使った気がした。しかし、だれでもみんな自分たちの行為を正当化するものだ。「あそこを経験しなかった人はダメだね」「すばらしかったね」と口々に言いながら、ぼくらはやっとの思いでその岩山を下りて、再び山道を延々と登り始めたのだった。風景を台無しにするものすごく汚い小屋(冬場はみんなその小屋に泊まるらしい)があったりして、ようやく夜明かし峠に出る。ここで一晩休んで翌日に備えるらしい。しかし、ここまでくればなんとか先も見えてくる。前方には雲と霧がかかった岩肌が見えている。その岩壁に2,3人の人影が見える。とんでもない絶壁を登っている姿だ。その歩みは遅々として進まない。まるで蟻だ。
 すっかり言葉数が減ってしまった。ぼくらはただ黙々と歩くのみ。こんなことを喜んでする人間の気持ちがわからない。汗が身体にへばりつく。そして、いよいよ一の鎖。ぼくらは颯爽と身構えたが、しかし、先ほど試しの鎖を登ったせいか、それほど大変そうにも見えなかった。しかも33mと短い。これならなんとかクリアできそうに思って登っていたら、突然ぼくの右の靴が途中で脱げてしまった。あっと思った瞬間、靴は岩で撥ね、下を登っている女の子を直撃するかと思ったら、うまい具合に彼女がパッと受け止めてくれた。すばらしい運動神経だ。助かった。彼女のおかげでまた一番下から登り直さないで済んだのだった。コーちゃんはぐんぐん登っていく。A氏はときどき手が震えているのが見える。みんな大変なのだ。女の子もふうふう言っているが、そういえば彼女以外に登っている女性はいなかった。また、山小屋があって(こっちも風景を台無しにするほど汚い)、そこでようやく一休みすることになった。
 ロラン・バルトはテクストについて次のように書いている。「木に釘を打つ時、打つ場所によって、木は異なった抵抗を示す。すなわち、木は等方性を持たないという。テクストもまた等方性を持たない。緑や断層は予測できない。(現代の)物理学がある種の媒質やある種の宇宙の非等方性に順応しなければならないのと同様に、構造分析(意味論)も、テクストのほんの僅かな抵抗やテクストの血管の不規則な配置を認めなければならないだろう」(ロラン・バルト『テクストの快楽』1973年)。
 なんだかこうして岩肌を這うように登ってくると、この「非等方性」という言葉が身にしみてわかってくる。われわれが触ったり、匂いをかいだり、味わったりするものには、どこにも均質なものはないということだ。もちろん女性の身体などその典型なのかもしれない。
 一の鎖を登ったところで、ぼくらはようやくみんなで写真を撮った。ぼくは執念でずっとビデオを回してきたのだが、あまりうまく撮れなかったと思う。これから、最大の難所、二の鎖、三の鎖が続いている。両方で150mもある絶壁で、ここを登りきれば頂上の石鎚神社だ。もうすぐということでぼくらは気がはやっていた。ほとんどの人が迂回路を歩いて登っていくのに、われわれ4人は迷わず絶壁の鎖に手をかけた。ぼくは登るのは比較的得意なほうだが、高所恐怖症で下を見ることができない。柵もネットもない。こんな危険な場所が野放しにされていていいのか(と真剣に思った)。ただ鎖から手を離せば死ぬだけ。落ちても自己責任というわけだ。
 岩の裂け目みたいなところもあって、さすがに足場がなかなか見つからず、どう進んでいいのかわからない。しかし、なにしろ下を見ると絶壁で、ただ手を離すだけで確実に死ねる場所にいるわけだから、ためらっている場合ではない。とにかく目の前の岩場を一つひとつクリアしていく他はない。そして、いよいよあと10メートルで頂上というところまで来て上を見ると、そこから鎖が2つに分かれている。A氏が立ち入り禁止のほうに登って、慌てて引き返すところが見えた。

04 ブロッケン現象

 石鎚神社の社はちゃちなコンクリート造りだった。そのセンスのなさにがっかり。どうしてこんなものを造らなければいけないのか。人間のやることにろくなものはない。
 しかし、石鎚山の頂上は広く、そこからの景色はすばらしかった。瀬戸内海まで一望のもとに見える。さすがに感激だった。もうそこで十分と思っていたのだが、向こうにさらに天狗岳が見える。高さでいえば、ここと10メートルも違わない。わざわざ行く必要があるのかどうか。そう躊躇していると、向こうから来た人が「いや、ここから10分くらいですよ」と言うので、みんな俄然行く気になる。しかも、その人は「いやあ、まさかブロッケン現象が見られるとは思わなかったなあ」とつけ加えたのだった。
「ブロッケン現象?」
「ええ、霧や雲が山頂に向かって吹き上げてくるときに起こる自然現象で、虹のような光の輪に自分の影が写って、それはもうすごいですよ」
「えっ」とみんな言葉を詰まらせる。
「いや、いまから行ってもまだ見られるかなあ…」
 ブロッケン現象なんてこれまで聞いたこともないが、そう聞いて、「ああ、そうですか、興味ありません」と言う人間はいないだろう。すぐに頂上の尾根伝いに天狗岳に向かうことにした。天狗岳の頂上はたしかにすぐ近くに見えたし、「10分」という言葉に励まされて、われわれは尾根を歩いていった。しかし、幅が狭くて、左は急な岩壁、右はやや見通しもよく緩やかになっている。足を滑らせたら一巻の終わり。これまでよりもさらに緊張する。余計なことをやって死んだ人はこの世にいくらでもいる。
 しかし、案ずるより産むは易し。慎重に歩いていったら、彼のいうとおり、すぐに天狗岳の頂上近くまでたどり着いた。そこまで来ると、岩が垂直に立っていて、ぼくらは針の先に立つ感じになる。左は1000mの絶壁(エベレストのアイガー北壁みたい。行ったことないけど)、右も転がり落ちて千尋の谷底。怖い。そうなると、もう立っていることもできない。すると、A氏から「あっ、見える」という声。左の絶壁にせり出した岩に斜めに横になると、ブロッケン現象が見えるというのだ。が、そこに頭を出すためには1000mの絶壁から谷底に向けて身体を乗り出すことになる。とてもじゃないが、そんなところに横になるわけにはいかない。岩がポロっと落ちたら、どうしてくれる。とはいえ、そうしないと肝心のブロッケン現象が見えないわけだから、仕方なしに、おそるおそる腹ばいになる。死ぬほど怖い。しかし、チャレンジした甲斐はあった。わずか3秒くらいだったが、たしかに眼下に、わずかにオレンジに縁どられた青い輪が浮かび上がって見えた。これがブロッケン現象か。なんという神秘!
 すばらしい初秋の山頂はやや寒いくらいで、ひんやりとした空気が気持ちいい。ぼくらはしばらくそこに滞在した後、ロープウェイまで一気に下ることにした。なんともいえない満足感があった。しかし、もし知っていたらここまでできただろうか。知らないということは知っていることよりも強い場合がある。何もかも知ればいいというものではないのだろう。ぼくらはまた黙々と歩き始めたのだった。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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