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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第52回・偶然を読む

01 カルダーノ『わが人生の書』

 ずっとカルダーノには興味を持っていた。ジロラモ・カルダーノ(1501-1576)は、ルネッサンスの数学者であり、著名な医師でもあり、また、神秘主義者、占星術師でもあった。ローマ教皇や皇室の人々からも診察を依頼されるほどの名医として知られており、発疹チフスの臨床例を書いたり、アレルギーについての治療法を紹介したりしながら、数学者としても三次方程式の解法を明らかにしたり、虚数についての考察もしている。レオナルド・ダ・ヴィンチにも負けないルネッサンスの天才なのである。しかし、ぼくが興味を持っていたのは、そうした方面での名声よりも、彼が偉大なギャンブラーでもあったからである。彼の最大の功績は賭博についての論文(「さいころ遊びについて」)で、後にそれは確率の理論が生み出される母胎ともなっていったのだった。

 カルダーノ『わが人生の書』には、「賭博とさいころ遊び」という章があり、そこには以下のような記述が残されている。

私の行為には誉められるようなことは、おそらくなにひとつないだろう。また、たとえその資格があるとしても、讃辞は、私が当然受けるべき非難よりきっと少ないだろう。自分でもわかっているのだが、私はチェスやさいころ遊びに没頭しすぎたのだ。この遊びは長いことやってきた。チェスは四〇年以上、さいころは二五年ほど。しかも、この期間は毎年、というのではなく、恥ずかしながら白状すると毎日だった。これがため、尊敬と財産と時間とを同時に失った。弁解の余地はない。だがもし弁解せよと言われるなら、実は私は賭け事が好きだったのではなく、諸々の原因―中傷、不公平な仕打ち、貧困、ある人々の横柄な態度、社会の混乱、虚弱な体質、ひどい怠け癖、その他ありとあらゆることが私を賭博にかりたてたのだ、と言える。その証拠に、私は自分が名誉な役割を演じられるようになると、賭け事をやめた。したがって賭博への没頭は、それが好きだからでも、遊びの趣味があるからでもなく、自分の境遇を嫌悪し、それから逃れる手段なのだった。

 このあたりの弁解は古今東西すべてのギャンブラーに共通したものだが、それほどの時間をギャンブルに費やしながら、よくも偉大な研究を次から次へと成し遂げることができたものだと、むしろそちらのほうに感心してしまう。しかも、彼は自伝のほかの箇所で、「さいころ遊びに没頭したことは、私はそれほど非としていない。むしろホラティウスがつぎのことばで表現した考え方に同意するとして、『今日は生きた。明日は、ユピテル(神)が空を、黒い雲で蔽おうと…』」と書いているから、自分の賭博好きを心から反省しているわけでもないのだった。

 カルダーノについては、かつてNHKの番組(「宗教学者植島啓司・偶然性の時代を生きる」未来潮流1996年10月26日放映)での数学者の森毅さん(京大名誉教授)との対談でも話題になったことがある。そのとき森さんは「数学はギャンブルから始まったと言ってもよい」「カルダーノがいて近代数学ができたんであって、その逆ではない」というような発言をしている。さらに、森さんは、『森毅の学問のススメ』(筑摩書房)において、カルダーノは明らかに分裂症気質であると指摘した後で、次のように書いている。「それで、医者で、占い師で、ばくち打ちというわけでしょ。その三つがなんかものすごくうまくミックスしてるわけね。世俗的にはちょっと具合悪いと言うとるけど、ばくち打ちとして名前が広がることと、医者として名前が広がることとが、生活上しばしばぶち当たるというわけ」。当時の医者はだいたい有名な金持ちや貴族などを相手にするわけだから、いろいろと商売上手でなければいけない。「だから、占いとギャンブルの能力、それから失敗したときには何とかかんとかもっともらしい理屈をつけてごまかさんといかんので、そのためのもったいぶったやり方、そういうのが渾然一体となっとるわけでしょ。その上に三次方程式も解けるとかいう(笑)…」。

 いずれにしても、近代数学の祖ともいわれるカルダーノがギャンブルに熱中したことによって「確率」についての初めての業績が残されたことは特筆すべきことではなかろうか。おおむね天才はギャンブルが好きなのだ。もちろん、それはカルダーノに限ったことではない。

02  P・バーンスタイン『リスク』とI・エクランド『偶然とは何か』

 最近おもしろい本を2冊読んだ。ほとんどテーマは同じで、その内容も似すぎているのだが、どちらも刺激いっぱいの好著だった。P・バーンスタイン『リスク』(青山護訳、日本経済新聞社、1998年)とI・エクランド『偶然とは何か』(南條郁子訳、創元社、2006年)である。ともに「偶然」「リスク」「予想」「カオス」「賭け」についての数学的解説となっているのだが、エクランドの著作は実際には1991年に書かれており、そちらのほうがはるか先に発表されたものである。その副題に「北欧神話で読む現代数学理論全6章」とあり、それがエクランドの名声をさらに高めている。

 歴史上の人物の多くがギャンブラーだったことはあまり知られていない。カルダーノをはじめとして、シュヴァリエ・ド・メレ、ガリレオ、パスカル、カサノヴァ、ドストエフスキー、サガン、ヘミングウェイなどは、ギャンブルなくしてはただの人といってもいいくらい賭けに没頭したのだった。とりわけ、かつての数学者はギャンブラーとほぼ同意語と言ってもいいくらいなのだった。

 たとえば、ガリレオはトスカナ大公コジモ二世専属の数学者として名声を得ていたが、彼はカルダーノの「さいころ遊びについて」についてよく研究していたようで、ギャンブルについての短い論文(題名はカルダーノと同じく「さいころ遊びについて」)を残している。「カルダーノと同じように、ガリレオも一つないしは複数のサイコロ投げの問題を考え、目の出方とその頻度について一般的な結論を導き出している」(バーンスタイン)。それは確率論についての考察のまだ夜明け前ともいうべきものだった。

 ガリレオが死んだのは1642年だが、17世紀後半に入るとこのテーマはフランスの3人の研究者の手によって大きく発展することになる。パスカルとフェルマーとメレである。パスカルはあの「人間は考える葦である」のパスカルであり、彼はもちろん哲学者としても有名だが、子どもの頃にユークリッド幾何学の大半を自力で見つけ出し、すでに天才数学者の片鱗を見せていた。今日の電子計算機の原理を考え出したのも彼である。フェルマーは「フェルマーの最終定理」のフェルマーである。その定理はギリシアの数学者ディオファントスの「数論」の余白に走り書きされたメモに残されたもので、「nが2より大きい自然数ならば、X(n乗)+Y(n乗)=Z(n乗)を満たす、自然数X, Y, Z は存在しない」というものである。もうひとりのシュヴァリエ・ド・メレは当時の貴族で数学的センス抜群のギャンブラーだった。

 そのメレが古くからあるフランシスコ会の修道士パチョーリのバッラをめぐる得点問題をパスカルに出したのがきっかけで、1654年にパスカルとフェルマーの往復書簡が交わされることになったのだが、それこそまさに確率論の歴史にとってエポックメイキングな出来事になったのだった(F. N. デイヴィッド『確率論の歴史』安藤洋美訳、海鳴社、1975年に往復書簡が訳出されている)。パチョーリのバッラをめぐる問題は、16世紀から17世紀にかけての数学研究の歴史のなかに幾度も繰り返し登場している。それを要約すると、「AとBがバッラ(balla)という公平なゲームを戦っている。彼らは一方が6回勝つまでこのゲームを続けることに合意している。いまAが5回勝ち、Bが3回勝っている。もしここでゲームをやめたとすると、賭け金はどのように分配すればよいだろうか」というものである。

 この難問(いまではそれほど難しい問題には思えないが)について、パスカルとフェルマーがどのように考えたかはまた別の機会に検証することにしよう。2人の往復書簡は1654年10月27日で終わっている。「それから1ヶ月も経たないうちに、パスカルはある神秘的な体験をした。彼はそのことを心の一番近いところにしまっておくために、上着に『拒絶、すべてを、そして快楽さえも』と縫いこんだ。彼は数学も物理も放棄し、贅沢な生活に見切りをつけ、旧友とも別れを告げ、宗教本以外のすべての財産を売り払い、ほどなくパリのポール=ロワイヤル修道院に住みついた」(バーンスタイン、100頁)のだった。パリの賭博場に入りびたりだったパスカルの心のなかにいったい何が忍び込んだのか。そのとき彼はまだ31歳だった。

03 偶然を仕組む

 われわれは、この世界が「偶然」でできており、それをくじ引きの要領でコンピュータにインプットするのは、たやすいことだとつい考えがちである。ところが、実際には、それこそ最大の難問のひとつ。それについてはフランシスコ会の修道士エドヴィンの論証が興味深い。『偶然とは何か』の著者エクランドによると、それはなんと13世紀の古文書のなかに埋もれていたもので、ボルヘスがヴァチカンの古文書館で写しをとって見せてくれたということだった。

 彼の論証は、ノルウェー王オーラヴ・ハラルドソンとスウェーデン王とのあいだでの領地の所有権をめぐるサイコロによるくじ引きを問題としているのだが、その物語は以下のように要約できるだろう。どちらの国がそこを取るかで、二人の王は「サイコロを二つ振って多いほうが勝ち」という取り決めをした。まず、スウェーデン王が振ると二つとも6の目が出た。もうこれでは振るに及ばぬと言うが、オーラヴは「いや、また6が二つ出るかも知れぬ」と言って、サイコロを振ると、なんと二つとも6だった。それでは引き分けなので、もう一度スウェーデン王がサイコロを振ると、また二つとも6だった。万事休すか。それから、ノルウェー王オーラヴが振ると、一つのサイコロは6で、もう一つのサイコロは割れて、割れた二つの目を合わせると7になった。合計13。そういうわけで、そこはオーラヴのものになったのだった。

 サイコロによるくじ引きは一見したところきわめて公平に見えるのだが、本当に公平かどうかはそう簡単には確かめられない。そこで修道士エドヴィンの登場ということになるのだが、まず、彼はオーラヴ王がイカサマを仕組んだという疑いを否定し、いかなるくじ引きも神の意志を反映したものだと論じていく。さらに、「それではいったいどうすれば神の意志が人間に邪魔されずにすむかという現実的な問題を提起する」(エクランド、29頁)。

それぞれが互いに知られないようにひとつの数(何桁でもよい)を選び、羊皮紙にそれを書きつけたのち、巻いて封印しておく。定められた日が来たら、2人の王または代理人が、計算のできる学僧を数人従えた博識で敬虔な審判にその羊皮紙を渡す。審判は封印をやぶり、二つの数を読みあげる。それを学僧たちが足し合わせ、和を6で割って、余りを計算する。それはつぎの六つの数のうちのいずれかになる。

 1 2 3 4 5 0

 これらはサイコロを振ったときに出る可能性のある六つの数、

 1 2 3 4 5 0

 に対応しているので、サイコロによるくじ引きの結果とみなしてよい。

 エドヴィン修道士の論証はさらに進んで、「もし二つの数を足すかわりに掛けたらどうか」となり、さらに、「任意の数字を四つ並べてひとつの数をつくり、それを2乗する。すると、七つか八つの数字が並んだ数が得られるので、右端から二つ数字を消し、左端からひとつまたは二つ消して、新たに四つの数字が並んだ数を得る。この操作を4回くり返し、最後に得られた数を6で割った余りをくじの結果とするのである」。しかし、いかなる方法にも欠点はある。たとえば、計算の途中で0が出てくると、ある種の数のくり返しになり、うまくいかなくなってしまうこともわかっている。

04 カルダーノの不幸

 さて、数学の歴史に大きな第一歩を刻んだ16世紀の巨人カルダーノだが、その生涯はあまりに悲惨だったと伝えられている。彼自身、『わが人生の書』において、4度の生命にかかわる危機があったと書いているが、それは、溺死の危険、次には狂犬に噛まれ、第三にはそれほど深刻ではなかったが建物の倒壊(壊れ始める前に遠のいていた)、そしてヴェネツィア貴族の邸宅での乱闘ということになる。なかなか波瀾万丈の生涯を送ったようだ。しかし、真の苦難はさらに次々と彼に襲いかかる。「私の不幸は―長男の惨死、次男の出来の悪さ、娘の不妊、私の性的不能、あいも変わらぬ貧乏暮らし、争い、何度も告訴されたこと、偏見を持たれたこと、病気、危険、投獄されたこと、なんの功績もない人の方が私より何倍も好まれたというような不公平。だが皆が知っている話はもうやめにしよう」と書いている。

 カルダーノほどの天才がいかに苦難の人生を送ったかを知れば知るほど、わが身のささやかな幸福が身にしみるように感じられてくる。すばらしい才能を持っていたからといって幸福な人生が送れるとは限らない。いや、むしろその才能のせいで人生が狂ってしまうことのほうが多いかもしれない。この世で認められるということは、たまたまこの世で必要とされる(どうでもいいような)才能を身につけていたということにすぎない。単なる偶然の出来事でしかない。カルダーノは「賭博で負けこむと、妻の宝石やわが家の家具を質に入れた」と書いているし、また、生活のために「私は暦書を書いたし、ピアッティネで公開講義をし、奉公人はそれぞれ金になる仕事をするために使われていた。そのうえアルキント家の人達は小さな贈り物で援助してくれた。診断書も売った。どんな機会も逃さず、落穂拾いの真似をした。衣服に払う費用はことごとく切りつめた」と記している。ありあまる才能はことごとく世の中とぶつかって歴史の闇へと葬り去られることになるのである。

 猛暑のなか、そろそろまた8月15日を迎えようとしている。どう考えても、世の中は皮肉にできていて、勝者と敗者はどうやら似た顔立ちになるようである。合掌。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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