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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第46回・岩窟王

01 5万円払ってまったく感謝されなかった話

 これは実話なんだけれど、ちょっと書くのも恥ずかしい話。しばらく前、学生らとコンパをやった。まあ、ぼくのことだから毎週のようにコンパをしていたわけだが、そのときは20名ほどのやや大掛かりな飲み会となった。みんなどんどんハイになり、かなり遅くまで会は盛り上がり、そして、さてお勘定ということになった。しばらくして幹事の女の子がレジに飛んでいって青い顔をして戻ってきた。なんと会計は9万円近い数字になっている。まあ、よく飲みよく食べたわけである。
「先生、どうしましょう」
「だいじょうぶだよ、ちょっとはお金を持っているから」
「いえ、そういうわけにはいきませんが…」
「一応、5万あるから、あとはなんとかしてくれたらいい」
「はい」
 結局、ぼくの5万円を差し引いて、残りを全員で割って、ひとり2千円ずつ払うことになった。ここまではいい。場は盛り上がり、すでに収拾がつかない状態だった。そこで幹事の一言、「すいませーん、ひとり2千円通しでーす」。場はお金を集める混雑とともに、なんとなく解散へと向かっていった。ああ、よく飲んだ! では、諸君、さようなら。

 しかし、どこか気持ちがすっきりしない。なんだろうこのモヤモヤはと考えた。そうだ、みんな2千円払ったことで、自分の分は責任もったという顔をして、ぼくの5万円がすっかり無視されてしまっていたのである。ぼくは江戸っ子でお金にきれいなことが自慢。ケチといわれたら死んでしまうほどショックだ。だから、支払った5万円が惜しいというのとはちょっと違う。では、なぜこうも心がすっきりしないのか。

 普通ならばこうだ。
「みんなー、先生から5万円もいただきましたー」
「うおー、すごいー!」
「ただし、今夜はみんなすっごく飲んだので、お勘定は9万円近くになってしまいました」
「うおー!」
「で、先生からの5万円を差し引いても、ひとり2千円となりまーす」
「りょうかい!」
「先生、ありがとうございますー」
「ありがとうございますー!」
 これですっきり。これなら心のモヤモヤはなかったはずである。では、やっぱりみんなに感謝されたかったのか。みんなにいいところを見せて、ちやほやされたかったのか。

 これが5、6人飲みに連れていって、お勘定の2万円をひとりで払った場合なら、全然問題は起こらない。さっと勘定を済ませて、宴席に戻る。すると学生が言う。
「えっ、先生、いいんですか?」
「いや、いいよ、いいよ」
「みんなから少しずつ集めますから」
「いや、いいよ、いいよ」
「すいません、先生、ごちそうさまでしたー」
「おー」
 これが一般的なコンパのあり方である。これなら別に問題はない。すっきりしている。もしあまりお金がないときは、幹事に1万円を預けて先に帰るという手もあるし、お金のない事情を話したっていい(実際そういうことも多々あって、学生たちがぼくの分を払ってくれたこともある)。

 では、なんでさっきのケースでは心がモヤモヤするのだろう。もちろん5万円も払ったのだから多少は感謝してほしいという気はある。だが、学生にしてみれば4千円払うところが2千円になっただけだ。そんな大きな違いには思えないのかもしれない。いや、そんなことでもない。単純に、好意には感謝で返してほしいと思う自分と、さりげなさこそ美徳と思う自分がいる。どちらかというと自分では後者のほうがかっこいいと思っている。それなのに、感謝の言葉さえもないとなると、むくむくと「だれにも感謝されない5万円を無念に思う自分」が頭をもたげてくる。あさましい。いったい「さりげなさの美徳」はどこへ行ってしまったのか。なんというふがいなさ。つまり、結局のところ、それがモヤモヤの原因なのだった。

 いやはや5万円も払って、なぜこんなはめ(自己否定?)になるのか。

02 仇討ちと無償

 なんでそんなことを書いたかというと理由がある。ぼくらの心の中でもっとも日本人的な発想と思われるのは、これまで「仇討ち」に代表される「自分が恩になった人の敵(かたき)を討つ」という感覚であろう。いつまでも「忠臣蔵」が人気あるのもそれゆえである。それは、悪事の限りを尽くす連中に対して第三者に救いを求めるという「水戸黄門」的な発想よりも、もっとわれわれの文化に固有のものに近いといえるだろう。

 しかし、このごろ思うのだが、それよりもっとわれわれの心の深いところに根づいている感覚に「無償」ということがあるのではないか。「ぜんぜん自分のためにもならないのに、だれかのために命をかける」というテーマ。ぼくが山本周五郎を読むと必ず泣けるのは、彼が一貫してこの「無償」というテーマを扱ってきたからだと思われる(もし興味のある方は、山本周五郎テーマ・コレクション「無償」新潮社、1994年を参照のこと)。人に感謝されるよりも、心がスカッとするよりも、そちらのほうがわれわれの心の核心部分に関わっていると思うのは、果たしてぼくだけだろうか。

 しかし、この「無償」というかけがえのない美徳はいまや死語となりつつある。「自分がやったことに対して正当な見返りを求める」という西欧的な発想がどんどんわれわれの社会を支配しつつあるからだ。もう少し経ったら、「無償」はバカの代名詞にさえなってしまうことだろう。「仇討ち」も大切だが、「無償」の心はもっと大切だ(ああ、それなのに5万円で感謝を要求する自分がいる!)。

「仇討ち」については、どちらかというとわりと人間性の普遍的なところとつながっていて、こちらの例は世界中で広く見られるものである。しかし、それでもさっき「自分が恩になった人の敵(かたき)を討つ」と書いたが、西欧のそれはまたちょっと違う。もっとずっと個人的な事情によることが多い。そのいい例が19世紀にアレクサンドル・デュマが書いた傑作『岩窟王』である。

 もちろん人はだれでも呪い殺したいと思うような相手の一人や二人はいるものだ。それはそれで仕方がない。万人を愛したいと思う気持ちとだれかを呪い殺したいという気持ちは、われわれの中でぜんぜん矛盾しないのだ。そこが人間の心のおもしろいところ。しかし、すべての人を愛するほうもそう簡単にはいかないが、だれかを憎んでばかりいるのも不毛な人生だ。第一身体によくない。ぼくはだいたいどんなに悪い
ことが起こってもすぐに忘れるようにしているので、こいつをなんとかしたいと思っても、たちまちのうちに、そんなことを思ったということさえ忘れるようにしている。これこそ生活の智恵だろうか。

 しかし、まあ、だれもの心の奥底にそういった感情が潜んでいるからだろうが、西欧でも復讐劇(仇討ち)ほど人気のあるテーマはない。なかでも、子どもの頃に読んだアレクサンドル・デュマの『岩窟王』は痛快きわまりない物語だった。正確なタイトルは『モンテクリスト伯』だが、ぼくらの世代には『岩窟王』のほうが通りがよい。主人公エドモン・ダンテスは、ナポレオンの時代に友人たちの手によって牢獄にぶち込まれるが、長い雌伏の期間(14年間!)を経て、脱獄し、一人ひとりに復讐を遂げていくことになる。血沸き肉躍る展開で、ぼくの世代の連中はみんな(マンガも含めて)『岩窟王』を愛読したのだった。

 だれかに不当な扱いを受けて傷ついた経験のない人はいない。それゆえこうした物語が語り継がれてきたのだろうが、それでも、われわれの文化に固有の「仇討ち」と西欧的な「復讐劇」との間にちょっとした違和感が存在しているのもまた事実である。西欧の「復讐劇」はあくまでも個人的な理由によることが多いのだが、日本の場合は自分をとりまく社会的な絆が強調され、けっして自分のために「仇討ち」がなされる
ことはないと言えよう。そういう意味では、ぼくからすると、どちらかというと、日本の「仇討ち」のほうが「無償」に近い感じを受けるのだがどうだろうか。

03 獅子窟寺

 以前から獅子窟岩(ししくついわ)とか獅子窟寺(ししくつじ)とかいう名はしばしば耳にしたことがあった。なんでも、大阪のひらかたパークという菊人形で有名な遊園地のすぐ裏山ぞいを登っていったところに、とんでもない巨石群が眠っているという話だった。聞いたところでは、東京でいうと豊島園のすぐ裏のがけを登ると縄文遺跡群を発見できるとでもいった印象である。いや、人の話なのでどこまで信用できるかはわからない。しかし、先月、かつての女子学生がそこを訪れてびっくり仰天して「すごかった!」というメールをよこしたので、俄然行く気になったのだった。

 これはもう自分の目で確かめるしかないと思った。それで、われわれは今回総勢5名の獅子窟探検隊を組織して、ついに現地に出撃することに相成ったわけである。しかし、なんとも手際の悪いことで、ひとりは連絡の手違いで前日に集合場所に来て大雨のなかで待ちぼうけをくわされることになったし、当日には肝心の案内役(メールをくれた女の子)が風邪で寝込んで来られなくなってしまったのだった。結局、ぼく以外に
男2女1という布陣となった。

 これではまともな調査もできないだろうと思って出かけたのだが、予想以上の収穫もあって、これだから調査はおもしろいのである。江坂を11時に出発した車はOくんの運転によってすいすいと東大阪を通って交野(かたの)市までやってくる。途中何度か道に迷ったりしたものの、なんとか1時には獅子窟寺の下の私市(きさいち)という京阪電車の駅までたどり着いた。ランチの時間はとれなかったが、まあ想定の範囲内か。

 しかし、そこからが難関だった。標識も出ていない住宅街をぬけて、やっと獅子窟寺に上る参道かと思いきや、「この先行止まり」の立て札。あとで、それが自動車用の看板とわかったが、そこからかなりの急坂を1時間弱登っていかなくてはならないのだった。これがなかなかの難行だった。大雨が降った前日だったら、おそらく諦めていたことだろう。しかし、ようやくたどり着くと、そこは大阪郊外とは思えない絶景の地だった。その寺は「奈良時代に聖武天皇の勅願によって行基が建てた」と伝えられ、「平安時代にも、弘法大師がそこの獅子窟で修行された」と伝えられる由緒正しい寺なのだった。国宝の薬師如来も見せていただいたが、こちらもすばらしい出来栄えで、ついうっとりと見入ってしまったほどである。

 しかし、なによりもすばらしかったのがこの山全体に広がる巨石群である。その名をとった獅子窟岩をはじめとして、奥の院までさらに30分ほど登ると、みろく岩、八丈岩、鏡岩、龍岩窟と目を見張らんばかりの巨石群が次々と姿を現わす。一目見れば、これはまったく尋常な場所ではないとすぐにわかる。その場の空気まで変わるからだ。大阪の市街地からそんなに離れていないこんな場所になんという霊場(聖地)がひそんでいたことか。ほとんど訪れる人もないということだから、まったくもったいないことである。

 その帰りに立ち寄った磐船神社もまたみごとだった。こちらは天孫降臨に先立って天磐船(あめのいわふね)から降り立った饒速日尊(にぎはやひのみこと)を祭っており、大きく組み上がった巨石の隙間を降りていくと、なかなかの難所ではあるものの、みごとな行場が次々と姿を現わすとのことだった(11月半ばくらいまで立入禁止)。ビジュアル的にはこちらのほうもなかなか捨てがたい。すぐ近くを天の川が流れており、弘法大師がこちらに来られた折、七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて落ちたという言い伝えも残されている。それを八丁三所というわけだが、このあたりには天の川をはじめとして、やたらに星に由来する地名が分布している。星田妙見宮、星之宮、星御前など、それらは聖地と隕石(または火山活動)との関連性を問題にするぼくにとって見逃すことのできない場所ばかりなのだった。

 われわれ4名は、「石酔い」というか、みごとな巨石群を心ゆくまで堪能すると同時に、朝から何も食べていないのに気づき、すぐさま大阪に戻って祝杯を挙げようということになった。

04 岩窟王

 さて、調査を終えて、やっと大阪の豊中の駅ビルまでたどり着いたのが、夜の7時ちょっと前くらい。これからも熊野のごとびき岩や大分の国東半島などに出撃するにあたって、わがチームにネーミングが必要だということになった。メールではとりあえず「石の会」となっていたが、それではあまりにも響きがよくない。みすぼらしい。

 いまのところメンバーは4名。一応ぼくがリーダーで、今回運転してくれたOくんが連絡係を引き受けてくれることになった。Kくんはインドやネパールなどにも出かけており行動力抜群なのでナンデモ屋を担当し、紅一点だったタマちゃんはみんなをなごます役ということになった。うん、これで十分楽しそうなグループで、もう4、5名加わってくれたら文句なしだ。それにはかっこいいネーミングが必要である。

「聖地研究会はどう?」とぼく。
「ちょっといかがわしいですよ」とOくん。
「(ぎくっ)そう? じゃあ、聖地岩石調査隊は?」
「いやあ、もうひとつかな」
「(ややいじけて)じゃあ、もっといいのあるかな」
「カタカナは?」とタマちゃん。
「いや、カタカナは軽薄でよくないかも」
「先生、岩窟王というのはどうですかね」といきなりKくん。
「おっと、いいねえ、岩窟王かあ…」
「でも、あれって、島に閉じ込められた男が長年かかって岩を掘って脱獄する話ですよね。ちょっと暗くないですか」とOくん。
「うーん」
「でも、なんとなく響きがいいなあ、それにしよう、岩窟王で決まり」とぼく。

 というわけで、なんとなくとってつけた三題噺のような原稿になってしまったが、いよいよわれわれの日本探検のフィールドワークはこうして開始されることになったのだった。
「岩窟王、おー」
「(みんなで)おー!」

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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