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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第45回・引越貧乏

01 ついに東京へ

 9月末、ついに大阪から東京への引越しを敢行した。簡単に書いてはいるけれど、なかなか大変だった。なにしろ25ある本棚のうち13捨てないと新しいマンションに入りきれないことがわかっており、本棚のほうはそれはそれであっさり諦められたのだが、本棚からあふれ出した本をどう始末するかが問題なのだった。なにしろこれからは本棚が12になるわけだから、当然大量の本が行き場を失うことになる。それで、まず300冊ほどを近くの古書店に売り払った。たしか4万ほどになった。それから、大好きな雑誌のバックナンバーを捨てた。さまざまな事情で売るわけにはいかないが持っていたくない本も捨てた。それでも部屋を見渡して本が減ったという印象は全然ない。

 とりあえず、なるべく荷物を少なく見せるようにしてから、引越し屋を呼んで見積もりを出してもらうことにした。いろいろ考えたあげく、最大手のA引越センター、H引越しセンター、Aさんマークの引越社、D引越しセンター、Y運輸の5社に電話した。とりあえず、9月7日夜にもっともマイナーなD引越しセンター、9月8日朝からH引越しセンター、A引越センター、Aさんマーク、Y運輸という順で交渉することになった。さて、大阪から東京まで、しかも、途中でフロアスタンドをひとつ積み込まなければならない(つまり2ヶ所積み)という条件で、いったいいくらかかるのだろうか?

 ぼくの予測では、なにしろ本の量が尋常ではないので、40万くらい、うまくいけば30万台と見込んでいた。名前を聞いたこともないD引越しセンターはまあ前哨戦のつもり。本命はA引越センターだが、あまり安くないだろうと予測されるので、比較の意味でややマイナーなH引越しセンターを先にしたのである。

 さて、9月7日の夜、意気込んでD引越しセンターを待っていたのだが、待てど暮らせど、だれも姿を現わさない。あれほどきちんと18時から20時の間と確認したはずだったのに、なんとすっぽかされてしまったのである。なんだかイヤな感じの中年の男の声だったけれど、まさかすっぽかされるとはなんという幸先の悪さ。あまりのことに、こちらから電話もしなかったが、ついに向こうからもかかってこなかった。

 さて、その翌日、朝9時の一番バッターはH引越しセンター。そこはA引越センターの分家みたいなもので、以前に頼んだこともあったのだが、あまり周囲の評判はパッとしなかった。それでも、きちんと時間通りに来てくれただけでうれしかった。ぼくは笑顔で査定担当者を迎えたのだが、しかし、その担当者はネズミのような心臓を持ったものすごく慎重な男だった。あまりに大仰に算定するので、こちらもたちまち不安になった。「そうですね、この本の量ですと10トントラックが必要でしょうね。重量制限もあることですし。さらに、狭い道に入らなければならないとなると別に2トントラックも必要になるかもしれません」。えっ、10トントラック? まさかと思った。それではあまりにも大げさすぎる。どんどん加算していって、彼の出した数字がなんと43万! しかも、値引きもない。うーむ、まあ、そんなものかとも思ったが、もっとも安いと見込んだH引越しセンターがそれでは、他社の出す数字がおそろしい。一気に目の前が暗くなった。

 11時にA引越センターがやってきた。こちらは2人で、ベテランと新人の組み合わせ。このベテランはすばらしく頭の回転がよく、仕事もできるという印象で、てきぱきと査定をはじめた。そして、結論。「4トントラック2台は必要ないでしょう。4トンと2トンで、まあ、45万といったところでしょうか」。さらに、「いますぐOKを出してもらえるなら、もっと値引きするよう本社と交渉しますが」というお決まりの言葉。その後いろいろとやり取りがあって、結局彼の出した結論は36万。うーむ、H引越しセンターが43万で、もっとも信頼できる大手のA引越センターが36万となれば、これはもう決まったも同然か。あと2社残っているとはいっても、もし似たような数字が出るならA引越センターに決めようと思っていた。それで、「わかりました、おまかせします」とその場で返事してしまったのだった。ところが、そこから波乱万丈の展開になるとはだれが想像できただろう。

 ぼくはもうすっかり気が楽になって、銀行、電話、電気・ガス、CS放送などへの連絡や片付けの算段をはじめ、残りの2社に断りの電話をしようと受話器を握ったのだが、ふと魔が差して「せっかくのチャンスだから残りの2社の見積もりも聞いてみようかな」と思ったのだった。

02 最終査定

 午後1時に約束どおりAさんマークがやってきた。やや小太りの人のよさそうな30代の男で、ちょっと好感を持ったのは事実である。彼も同じように各部屋(といっても2LDKなのだが)を見て回って、荷物の量を算定してから、「まあ、4トントラック1台でギリギリいけそうですが、2トントラックをつけて、そうですね、30万前後というところでしょうね」と告げる。「まあ、そんなところでしょうね」とぼくも深くうなずく。予想通りの展開だ。まず彼の出した数字は32万だった。しかし、もういくらだと言われてもすでに他社と約束してしまっているんだから関係ないと思っていた。

 ところが、そこから思いがけない展開となった。
「しかし、他社さんとも交渉中ですよね、9月の月曜ということで車も余っていることですし、ここはひとつ勝負をかけさせてもらいましょうか」と考え込む。
あれっ困ったことになってきたぞと思いつつも、こちらも興味津々で彼の回答を待つ。「29万、いや、26万...」とつぶやく彼。「ぎょっ、それは...」と内心動揺するぼく。
本社に電話する彼。それを黙って待つぼく。

沈黙を破って、彼が出した最終査定はなんと21万だった。

さすがにびっくりだった。43万はともかく、36万とも比較にならない。しかも、Aさんマークはこのところぼくの周囲でも評判がいい。ぐっと返答に詰まったぼくは、仕方なしに「実は他社と約束してしまった」と事情を説明したのだった。
「こういう場合、どうやって断ればいいんでしょうね」とぼく。
「うーん、引越しがなくなったと言えばいいんじゃないでしょうか」
「えっ、引越しがなくなった!」
「まあ、よくあることですよ」
「ぼくの替わりにそう言ってくれますか?」
「いや、それは...」

ぼくがもっとも重要視しているのは人間同士の信頼関係で、仁義こそ守らなければならない唯一のものだった。しかし、いまはそんなことを言っている場合ではない。幸いなことに、A引越センターとは口約束だけ。ここは大変申し訳ないけれど、その場で断りの電話を入れるしかないという結論になった。ぼくは部屋を出て、外から向こうに電話を入れ、「事情があって今回は見送らせてほしい」と伝えた。電話に出た女性は、事務的に「はい、わかりました。担当からまた電話させますので」と返答しただけだった。そして、それっきり電話はかかってこなかった(当日、引越し屋が2社来られてもイヤなので、後にもう一度確認の電話を入れると、「はい、キャンセルになっています」という返事)。引越し屋ひとつ決めるだけでこれだけ消耗するのだから、これからいかなる苦難が待ち受けていることか、もうこれ以上引越しはこりごりなのだった。

03 『引越貧乏』

心から尊敬する阿佐田哲也こと色川武大が最後に書いた本のタイトルが『引越貧乏』(1989年)。これがなんとも言えない名作で、どの言葉にも、世間から落伍した人間に対するやさしさがいっぱいに詰まっている。
 
 「才能で世間に出、それで自立している人は、まず自分の才能が世間とフィットしている偶然を喜ぶべきで、世間が何の関心も示さない部分、或いは、金銭を払うほどのことはない部分に、天賦の才がある人が居る。その人は、なまじその才のために、世間との交際にバランスがとれなくなったりする」

 そして、彼は「省みれば私などもそうで、自分が一番ぴったりはまると思える場所は、一文にもならないところだ」と書く。そんな彼に20年来の女房殿が「うちはどうしてこんなにお金がないの」と噛みつく。彼は53歳。ご存知のとおりの遊び人で、とてもお金など貯まるわけがない。最近では、ただの遊び人というだけではなく、狂人であるとも決めつけられている。

  「遊び人が、発狂もしているんだから、そういう人に二十年もつき添っているんだもの」
  彼女は来客の誰彼に、キングコングの腕に掴まれた美女のごとき表情でいう。
  女はまたそういう表情が好きなのだ。来客もまた否定と疑いの交錯した眼で私を見る。
  「それで、お金もないし、不動産も株券も何もないんだもの。税務署の人がこの前呆れていたわ。見事になんにもありませんねって」
  「俺は自分の身体に、財産を貯金してあるんだ」
  「身体じゃ使い物にならないわね。もうすぐ財産が半身不随になるんでしょ」
  「俺たちの稼業はそうしたものだよ。特に俺はそういうタイプだな。金より物より、身体に刻みこんだことが頼りだ」
  「でも、皆さん立派な家を建ててるわ」
  彼女は著名な作家やタレントの知人の名をあげた。
  「それはその人たちの甲斐性だよ。比較したってしようがない。でも、君だって、俺の身体の財産のおかげで、今日まで支障なく暮らしてきたじゃないか」
  「暮らしてきたのは令ちゃんでしょ。みィんな使っちゃって、外でいい顔ばかりして。あたしは奴隷で一銭も使ってないわ」

 そんな会話の後、妻は彼に生命保険に入れと強要する。しかし、彼にはナルコレプシーという持病があるということで、保険会社から拒否されてしまう。それから、妻が思いついたのが家を買うことだった。紆余曲折あったあげく、ついには20坪の建売住宅を買うことになる。もちろん彼はそこになぞ住むつもりは毛頭無い。2人は別々に暮らすことになるのだが、さらには妻が「セカンドハウスもほしい」と言い出すのだった。

 色川武大の『引越貧乏』の魅力はなんといっても夫婦の対話のおもしろさなのだが、その中に次のような箇所がある。なぜお金がたまらないのか友人の作家である大塚天人に聞かれる部分である。

  「でも、左右田さん(主人公)の稼ぎがわるいわけはないがな。ロングセラーだってあるんだし」
  「引越しばかりしているのよ。引越し代が溜まったかな、と思う頃にはじっとしてないの。ねえ、大塚さん、聴いてよ。あたしの一生は、引越しのための荷物を作って、それでその荷物を解いて、そんなことばかりしてお婆ちゃんになっちゃったのよ。この人はホテルに泊まっちゃって、何にも しないんですからね」
  「だって、その間も仕事をしなくちゃならないから」
  「引越しが趣味??」
  「趣味というわけじゃないがね」
  「ええと、あたしと一緒になってからだって?」
  愚妻は指を折って数えはじめた。
  「八ヶ所よ。十八年ほどで八ヶ所。その前の若い頃は住所不定でしょう」

 ここがぼくの心にビビッときた。まったく他人事ではなかったからである。これまで幾度引越してきたのか、もはや数えることもできないくらい。ぼくもほとんどこの主人公と寸分違わぬ運命を歩んできたのだった。そうなると、これからいったいどうなってしまうのか...

04 大阪を離れて

 まず、30歳のときに大阪の大学に赴任するということで初めて東京を離れた。それまでにも何度か引越ししているので、わりと気軽に荷造りして、そのまま、京都の西、等持院の近くのマンションに5年ほど住むことになった。この時期が意外としんどかった。よく言われることだが、だれもが京都に憧れるが、そこは住むにはけっしていいとは言えなかった。しかも大阪まで通うにも遠すぎる。

 それで、次はいきなり大学前のワンルームマンションに移り住んだ。それから、同じ吹田の江坂に引っ越すのだが、さらに、豊中の御堂筋線沿線の桃山台、そして、箕面の山の斜面(すばらしくゴージャスだった)に住んでから、ニューヨークに客員教授として赴任する。1990年のことである。本の置き場がないので、マンションは借りたまま、成り行きでニューヨークにも2つアパートを借りてしまった。当然、貯金は底をついた。

 帰国してから、今度は阪急北千里線の豊津に移り住む。そこは最初から好ましいマンションではなく、部屋に入るたびに何かが目にしみて痛かった。1995年の阪神淡路大震災をきっかけにまたもや江坂に引越すことになるわけだが、よくぞそれまで我慢したものである。そういうわけで、今年江坂から恵比寿に引越すことで、ついに25年間の関西での生活に幕が下ろされることになったのだった。ここまで数えた限りでもけっこう引越しているが、その他にもいくつかあって、これでは永遠にお金がたまらないはずである。

 しかし、大阪は心の底から好きだった。阪神淡路大震災がなければ神戸にも引越しするはずだったし、南堀江や天王寺のほうにも住んでみたかった。もはやすべては夢となってしまったが、それでも大阪への愛情はけっして消えることはないだろう(東京人でこれほど大阪を愛した人間はそれほど多くないのでは?)。

 まだ東京に戻って2週間ほどである。さて、いったいこれからどうなるのか。またもや東京でも引越し騒動が繰り返されるのか。それとも、ついにどこか落ち着ける場所が見つかることになるのかどうか。せっかく東京に戻ってきたというのに、自分の将来を考えるとしばしば暗澹たる気持ちになるのだった。

 ちなみに、色川武大は『引越貧乏』を書き上げたほぼ3ヵ月後に急逝している。いまのぼくと2歳違いの年令だった。

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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