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集英社新書WEBコラム

 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第43回・四国遍路

01 シンポジウム

 つい先週、「四国八十八ヶ所歩き遍路とは何か?」というシンポジウムに行ってきた。愛媛県の松山大学創立30周年記念シンポジウムということで、招かれたのは天声人語でおなじみの元朝日新聞論説委員の辰濃和男氏(岩波文庫『四国遍路』著者)、京都大学の大澤真幸氏、そして、ぼくという顔ぶれ。なんと12時30分開場で、シンポジウムだけで4時間半、懇談会が終るのが21時というとんでもなく長い日程が組まれている。

国崎教授と筆者(Mさん撮影)

 そんな日程を組んだのは松山大学教授の国崎敬一氏。大学時代の友人だ。そう書くとなんだかそっけないが、当時、大学に入るやいなや全学無期限ストライキ突入という異常事態だったため、毎日のように顔をあわせて気心の知れた仲である。彼は福岡県の大牟田から上京したばかり。当時は坊主頭が印象的だったが、語り口に妙なユーモアがあってみんなに好かれていた。

 われわれが討議したのは「四国遍路の特徴とは何か」というテーマ。歴史的には「お伊勢まいり」「熊野詣」「おかげまいり」など、日本にもさまざまな形の聖地巡礼があるし、また、芭蕉の「奥の細道」のような、さまざまな形の遍歴、遊行、ワンダリングなどが行われてきた。いまや巡礼の定義として宗教的動機を挙げるだけではもはや不十分なのではないか。現在の四国遍路ブームの背景にも、ウォーキング、健康ブーム、「自分探し」など、必ずしも宗教的ではない動機づけが見られるが、それも世界的なひとつの傾向で、「参籠」(聖地に籠って夢見ることによってお告げを得る)から「巡礼」(ぐるぐる巡り歩いて礼拝する)をへて「自分の生きる理由発見の旅」(歩くことを通して新しい世界を発見する)へと世俗化の動きは今後ますます強くなっていくと思われる。

 しかし、シンポジウムでぼくがとりわけこだわったのは、お遍路さんに対する「接待」という風習(巡礼者に対して地元の人々が宿を貸したり食べ物やお金を渡したりして手厚くもてなすこと)で、それがこの世知辛い時代にいまだ広く行われていることに興味を抱いてきた。以前このコラムで書いた「歓待」とも結びつくわけだが、その内容についてはまた別に書く機会があるだろう(この催しは単行本になる予定)。

 シンポジウムが長すぎると文句を言ったものの、松山の人たちはのんびりしていて気が長いのか、なんとなくすべてが予定通りに進行していった。懇親会はおいしいふぐ鍋で、お酒も相当飲んだはずなのに、21時ではまだなんだか飲み足りない気分。長野からわざわざシンポジウムに参加したというMさん(24歳女性)を誘って、国崎(以下敬称略)と3人で飲みにいこうとするが、彼がどうしても家に泊まるようにというので、結局飲むのは諦めて彼の家に行くことになった。

 しかし、ぼくはいまや四国の女性しか愛せないというくらいの四国ファン(?)なのだが、国崎の奥さんは、あの坊主頭の国崎にどうしてこんな美しい女性がと抗議したくなるほどの奥さんでびっくり(これはお世辞ではない)。つい夜遅くまで話し込んでしまったのだが、翌朝起きて、2人の娘さんに会ってこれまたびっくり。20歳と16歳ということだが、どちらもかわいくて、本当に彼に似ないでよかったと他人事ながらホッとしたのだった(彼からは「ぼくにそっくり」と聞いていたので全然会う気がしなかった)。

02 松山から内子へ

 翌日は彼が松山を案内してくれることになっていた。ぼくには何の予備知識もない。ただ知っているのは道後温泉という日本最古の温泉が近くにあるということだけ。彼の運転で、昨日一緒に飲みに行けなかったMさんをピックアップして、いよいよ3人の珍道中の始まりとなった。彼の車は小回りのききそうなトヨタの小型車で、これなら狭い路地でもOKと思っていたら、左側面にかなりひどくこすれた跡。国崎に「左側は見ないように」と言われたが、そう言われるともっと見たくなる。なんでも長女のさやかちゃんがガレージから出すときにこすったとのことだった。彼女は「不可抗力だった」と言うが、ガレージはそれほど狭くない。ただ、少し前にも奥さんもひどくこすり、さらに慌ててバックして2度こすってしまったため、すぐに買い替えたばかりだったとのこと。まあ修理代30万といわれれば、ぼくでも買い替えるかもしれないが、けっして車が悪いわけではない。

道後温泉(Mさん撮影)

 松山城から、まずは道後温泉に向かうが、国崎は運転しながらもしゃべりっぱなし(自称「トーキング・ドライバー」)。彼はたしかに本当にいろいろなことに詳しいのだが、ついしゃべりに熱中してしまうクセがある。最初に到着した道後温泉は、さすがに宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の旅館のモデルになったというだけあって、みごとに堂々とした建て構え。帰りにひと風呂浴びることにして、車は一路内子に向かう。

 相変わらず、彼は豆知識を披露して、ぼくをうならせ、Mさんを笑わせるが、いつまでたっても乗るはずの高速のインターチェンジが現われない。「市街を抜けてからすぐ高速に乗って30分で内子に着く」と聞いていたので、ぼくは彼の話を遮って、ついに「高速はまだ?」と聞いてみた。
「しまった! 話に夢中になって違う道を来てしまった」
「どこかで入れるの」
「いや、もとに戻ろう」
「えっ、いま来た道を全部戻るの?」
「うん、Uターンは得意だから、それっ!」
 ぼくらはそのまま松山市内に戻ることにした。さっき見たばかりの光景が次々と姿を現す。彼はたしか松山に30年近く住んでいるはずなのにと思ったが、案内してもらう身なので口には出さなかった。
「あっ、ラフォーレがある」とぼく。
「うん」
「へえ、ラフォーレ松山かあ」
「いや、ラフォーレ原宿松山と言うんだよ」
「なんで原宿がつくの?」
「うん、おしゃれだろ」
 あれこれ話すうちに、やっと高速入口の標識発見。しかし、まだ油断はできない。
「逆に行ったりしたら大変だからな」と彼。
「わっはっは」とぼく。
 しかし、高速に乗ってからも、ただのパーキングエリアに突っ込んで慌てて出てきたりいろいろあって、しばらく彼にはしゃべるのをやめてもらった。ついに内子到着。
「これまで何度も外人を案内してきたけど、彼らはこういうところを喜ぶんだよね」
と言いつつ、道に迷う。内子はきわめて狭い町なのに、2度も道を尋ねて、ようやく駐車場にたどりつく。
「いやあ、いつもと違うコースだとわかりにくいな」
 しかし、国崎の名誉のために書いておくが、そこからが彼の真骨頂で、彼の内子についての解説はすばらしかった。ここはハゼノキから木蝋をつくることによって栄えた町で、上芳我(かみはが)邸、内子座など江戸時代以来の家並みが保存されている。各家に縁側のような台がせり出しているのが興味深く、かつては家の内と外を明確に区切らないで、その中間となる縁側にはだれでもがちょっと腰掛けることができたというのである。

 店先に松かさ(松ぼっくり)が100円で売られていた。こんなものを買う人がいるのだろうか。
「松かさなんて知らないんじゃない?」と彼がMさんに言う。
「ええっ、知ってますよ」
「まだ生まれてなかったんじゃないの、まつ・かあ・さー(マッカーサー)なんてね、
わっはっは」

 彼のお奨めのそば屋でおいしいそばを食べ、3人の珍道中は佳境を迎える。30年ぶりで会った大学時代の友人同士に、昨日まで全然知らなかった女の子。なんだか外国映画のような設定でドラマチックではないか。国崎はMさんのHPを読んだらしいのだが、彼女には、幼い時に親に捨てられたんじゃないかと疑念を抱かされる事件があったとのこと。心に痛みをもつ人間の多くが親に見捨てられた過去をもつと聞いたことがある。まあ、誰しも多かれ少なかれそういう経験はあると思うのだが、それも程度の問題だろう。いずれにしても、その時には、ぼくらはもうなんとなく離れがたい気持ちになっていた。

03 松山空港

 ぼくの飛行機が17時40分松山空港発で、内子を出たのが15時。まだ十分時間はあると思っていたが、帰りにも3度ほどUターンを繰り返したのだから油断は禁物だ。「これで飛行機に乗り遅れでもしたらお笑いだよね」とぼく。
「でもオチがつきますね」とMさんは笑う。
「だいじょうぶ、ぼくが車で空港まで送るから」と彼。いや、それがむしろちょっと心配なんだけれど、やはり口には出さなかった。
 内子から松山市内までほぼ25分。あれっ、こんなに近かったのという感じだった。
なんだか往きは2時間くらいかかったような気がする。時間は十分あるので、石手寺を参拝して、さらに道後温泉でおいしい地ビールを飲む。ちょうど2杯おかわりしたところで、国崎が急に時計を見て「あっ、やばい、まにあわないかも!」と言い出した。
 時計は17時10分。離陸までまだ30分ある。
「ここから空港までどのくらいなの?」
「20分かな。でもこの時間だと市街を抜けるのに手間取るかもしれないし」
「空港には何時に着けばいいのかな」
「20分前」
「げげっ」
「いや、10分前に着けば乗せてくれるとは思うけど」
 とにかくあたふたと店を出て、彼の車に飛び乗る。MさんはこれからJRで他のお寺を回るとのことだった。「彼女を先に送ってあげたら」とまだ事態を把握していないぼく。そうこうするうちに17時15分。離陸まで25分なのに、ぼくらはまだ松山市内を走っている。
「これはもう三越前でタクシーに乗ったほうがいい」と彼。
「そうか、じゃあ、元気でな」
 タクシーに乗ったのが17時20分。「運転手さん、10分で空港まで行ってくれる?」と叫ぶと、いかつい運転手は「それはちょっと難しいけど」と言いつつ、裏道を選んで(一方通行をちょっと逆走してくれたりしながら)車をビュンビュン飛ばす。その甲斐があって、なんとANAのロビーに着いたのが奇跡的に10分前! カウンターに駆け寄り、「17時40分発大阪伊丹行きなんですが」と息を切らせて(ビールの匂いぷんぷんさせて)言うと、なんと「申し訳ありません、満席で15分前に空席待ちのお客さんが入られたので」という返事。
「えっ、まだ10分前なのにダメ?」
「ええ」
「つぎの最終便は?」
「そちらも満席でございます」
「そちらもダメ?」
「大変申し訳ありませんが、もうチケットの払い戻しもできません」ときっぱり。
「げげっ、10分前なのに。なんとか方法は?」
「ちょっとお待ち下さい」
 彼女はいろいろ聞いてくれたみたいだったが、やはりつぎの最終便のキャンセル待ちしかないとのこと。
「キャンセルありますかね(ぼくみたいなやついますかね)?」
「それはちょっと…」
 ここで、国崎に「乗り遅れた、ダメかも、最終便のキャンセル待ち」とメールを打つ。すぐに彼から「またうちに戻ってきたらいい」という返事。さすがにそうはいかない。いろいろ事情もあるだろうし。

 ぼくの空席待ちの番号はBの5番。
「そうか、5番目ですか」
「いえ、この数字は5番目というわけではありません。その前にAの方がいるので」
 途中で別便の空席待ちのアナウンス。
「東京行き最終便の空席待ちの方、Aの4番、Bの4番までの方、カウンターまでお越し下さい」
 そ、そうか、東京便でもよかったんだ。しかし、ぼくの番号はBの5番、果たしてこれで乗れるんだろうか。やはり「Bの4番までの方」と言われたら運が悪いよなとか思いつつ1時間待つことにする。その日の出来事が走馬灯のように頭に浮かぶ。人間が死ぬときってこんな感じなのかなあと思いつつ、ぼくはそのまま運命のアナウンスを待ったのだった。

04 「主人」と「客」

ところで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に次のような一節がある。

「だけど、『ご満悦』って言うのは、『こてんぱんに言い負かされる』の意味じゃないわ」とアリスは反論した。
「私が言葉を使うときには」とハンプティ・ダンプティはちょっと軽蔑するような調子で言う。「その言葉は、私がそれを選んで言い表そうとしたまさにそのことを意味するのさ―それ以上でもそれ以下でもない」「問題は」とアリスが言った。「そんなに多くのいろんな意味を、あなたが言葉にもたせられるかどうかね」
「問題は」とハンプティ・ダンプティが言った。「どっちが主人か―それだけだ」

 寺山修司の『奴婢訓』ではないが、このところ人間同士のあらゆる関係が「主人」と「客」に還元されてしまうような気がしてならない。「接待」の核心にあるのもまさにそのことで、それは男/女とか老/若とかおとな/子どもとかS/Mとかいう分類なんかよりも一層根源的なものではないかと考えている。クロソウスキー(『歓待の掟』)から始まった旅は、パゾリーニ(『テオレマ』)、シェレール(『歓待のユートピア』)、デリダ(『歓待について』)をへて、しばらくは終わることがなさそうだ。

 

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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