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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第42回・マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか。

01 マルコ・ポーロ『東方見聞録』

 9月に入ったと思ったら、あっという間に秋分の日も過ぎてしまった。まだ台風など来ているが、なんだかこの調子だと、今年も何もしないうちに終わってしまいそうだ。
この夏は、ご存知のとおり、あまりの猛暑でまったく仕事がはかどらず、ひたすら遊んでいるしかなかった。ムリしたら身体を壊してしまう(まあ、これまで一度も身体を壊したことはないけれど)。もしかして、秋も同じことにならないかどうか、われながらちょっと不安になっている。つまり、あっという間に今年も終わりそうなのだ。

 そんなわけで、とんでもない量の仕事を抱えつつ、なんとなくスポーツニュースを見たり、競馬をやったりして毎日を過ごしている。つまり、仕事もある一定量を超えると一種のマヒ状態に陥るということである。やらなければならないことがあると、とりわけ今やらなくてもいいようなことばかりやりたくなる。さっきもフランシス・ウッド『マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか』(草思社)を読み終えたばかり。しばらく前に話題になった本で、「700年のあいだ世界中がダマされていた!?」という帯のコピーもなかなかセンセーショナルで、以前からずっと読みたくて仕方がなかった一冊だった。

 ご存知のとおり、ヴェネチアの商人の息子マルコ・ポーロは、1298年にあの有名な『東方見聞録』を書いたことで世界中によく知られている。しかし、『東方見聞録』には万里の長城をはじめ中国について書くのに絶好の話題〜茶、纏足など〜がほとんど欠落している。また、当時の中国の記録にも彼の足跡は何ひとつ記されていないという。たとえば、彼はペルシャのアルグン王のもとにモンゴルの王女を送り届けるという重大な任務を果たしたにもかかわらず、それについて書かれたどの公式記録にも「イタリア人が王女のお供をした」というような記述はいっさい出てこないのである。

 歴史上、多くの人々がマルコ・ポーロの『東方見聞録』に影響されて、エキゾチックな東洋への憧れを抱いたことは言うまでもない。あのコロンブス自身も、 1440年に出版された『東方見聞録』の稿本に366カ所にもわたる書き込みを残している。もちろん大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマやマゼランらへの影響も少なくなかったであろう。それなのに、仔細に検討すると、肝心のマルコ・ポーロには中国まで出かけていった形跡はまったく見られないというのである。

 いったいそれをどう説明したらよいのだろうか。

02 本当はどうだったのか?

 すでによく知られたことだが、『東方見聞録』は実際にマルコ・ポーロが書いたものではない。彼はジェノヴァとの戦いで捕虜となり、牢獄の中で同じ牢にいたピサのルスティケロに東方への旅の記録を口述筆記させたのである。そのオリジナルの手稿は残されていないが、そのかわり143の膨大な手稿、刊本が残されている。それほど多く読み継がれているということなのだが、後になって東方への知識が増すごとに、さまざまな追加が行われたということでもある(そもそも初期の版は40〜60頁のきわめて短いものだったらしい)。

 その中心部分は、「移動しながら書いた中東の年代記という体裁をとっており、その地の産物、住民、信仰について描写されている。しかし、ある都市からつぎの都市へのポーロ一行の移動については何も書かれていない。だから、旅の記録というより一般的な地誌といったほうがずっと近い」(フランシス・ウッド)という。そもそもマルコ・ポーロ一行について書かれた箇所を見つけるほうが難しいくらいなのである。

 ぼくはイタロ・カルヴィーノが好きで、彼の小説を愛読しているのだが、なかでも『見えない都市』がお気に入りの一冊だ。この小説の表題は、実際には、イタロ・カルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』であり、この小説の中で、マルコ・ポーロは悲しみに沈んだフビライ・ハーンにさまざまな空想の町、幻の町、不可能な町について語って聞かせている。フビライは、他の連中が単なる商取引とか特産品について語るのに退屈しきっており、夜ごとマルコ・ポーロの想像力にその身を委ねるのだった。

 ぼくは『聖地の想像力』(集英社新書)を書いている時、さまざまにイメージを拡げるため、幾度も繰り返しこの本を参照したものである。

 そんなこともあって、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』を読んでから、再度『東方見聞録』を読み直してみたのだが、真珠や絹などの贅沢品やその製造工程についての記述などが意外と多いのに困惑させられた。フランシス・ウッドも「残念ながら、実際に『東方見聞録』を読んだ人は、マルコ・ポーロの東方に関する描写のほとんどが何トンもの塩や距離のことだということに気がつくだろう……この本は作家の創造的な世界観というより、ある商人が見た世界といった趣が強いのである」と指摘している。

 しかも、それほどフビライと親しかったというのに、中国のその時代の膨大な文書にマルコ・ポーロの名はいっさい出てこないのである。どう見たって不自然なことが多すぎる。17歳のマルコ・ポーロ少年が中国にわたり、フビライ・ハーンのお気に入りとなり、以後17年のあいだフビライに仕え、揚州の知事にまでなったというロマンティックな物語は、果たしてすべてウソなのだろうか。

03 想像力が現実を凌駕する

 われわれにとってもっとも信頼できるものが、ものすごくあやふやで非現実的なものに依拠しているというような例は、実はこの例に限らず枚挙に暇がない。

 もっとも典型的なのが、宗教であり、暦であり、方位であり、そして、記憶である。それらの根拠を調べていくと、いずれも不確かさへと繋がってしまう。たとえば、今年の10月25日は、厳密にいうと、昨年の10月25日とはいかなる関係もない。ある人々にとっての「東」は、別の人々にとっては必ずしも「東」を意味しない。そうしたことを考慮に入れるとしたら、まったく架空のストーリーの上に大伽藍が建立されようと、それほど驚くには当たらないともいえるだろう。

 つい最近ベストセラーになったダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』にしても、これまでだれもが知っていると思っていたレオナルド・ダ・ヴィンチが、実はシオン修道会という特別な団体に属しており、彼の描いた『最後の晩餐』や『モナリザ』などにさまざまな謎が隠されているという視点から、まったく別のダ・ヴィンチ像が導き出されている。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』には以前から多くの謎が隠されていると言われてきたが、今回、イエスの右(向かって左)の人物が、ヨハネではなく、謎の女性であることがみごとに明らかにされる。えっ、十二使徒の中に女性がいたんだっけ? では、彼女はいったいだれなのか?

 さらに、ワーグナー、モーツアルト、ベートーベンらがフリーメイソン(秘密結社)のメンバーだということを知らされるわけだが、そうなると彼らの音楽もまた別の意味を持つようになるのではなかろうか。

 おそらくマルコ・ポーロの『東方見聞録』にも、多くの秘密が隠されているにちがいない。しかし、いまとなってはその謎を解くことはそれほど容易なことではない。

 まず、マルコ・ポーロの父と叔父が近東からカラコルムまで旅したことは間違いないだろう。おそらくそれが『東方見聞録』を書くきっかけとなったのだろう。彼は、父や叔父の話や交易上で得たさまざまな情報をもとに架空の旅行記を作り上げていく。それは極東の地ジパングにまで及ぶ。しかし、マルコ・ポーロ自身、ウッドも指摘するように、一家の交易の拠点であったクリミア半島とコンスタンチノープルより東へは行っていないと見たほうがよさそうである。あとはすべて頭の中で作り上げられていったのではなかったか。

 それにしても、なぜ多くの報告や記録の中で、よりによって『東方見聞録』だけが国境を越え広く読まれるようになったのだろうか。当時のローマ教会にとって、東方の宗教事情を知ることは緊急の課題であったのか、おどろくほど多くの布教記録が残されている。それらの中でマルコ・ポーロの『東方見聞録』だけが際立って重要な役割を果たすようになったのはいったいなぜなのか。

 ここで考えられることはただひとつ。われわれはけっして事実のみを求めるのではないということであろう。マルコ・ポーロは、経験的な事実と不可思議な物語を織り交ぜて『東方見聞録』を著し、それによって多くの冒険家を東方へといざなった。もし当時、だれかが実際に中国や東南アジアの島々を旅したとしても、マルコ・ポーロ以上の影響力を持てたかどうか、いささか疑問である。事実を書き連ねただけでは仕方がない。それより想像力が現実を豊かにし、さらなる新しい現実の生成をうながすというプロセスこそが、人々の熱狂を誘うのである。

 そんなことを考えながら、ぼくはまた改めて『東方見聞録』を読み始めているのだった。

04 静かに、じっとしながら

 このところ毎晩寒くて、ベッドに横になって本を読む。来週にはもう「菊花賞」がある。かつては競馬がカレンダー代わりだったのに、最近ではいつどんなレースがあるのかもつい忘れがちになっている。毎日が淡々と流れていく。それはそれでいいのかもしれないが、無意識の中ではもっと激しいものをつねに求めており、それが表面に浮かび上がるのを待ち望んでいる。

「危険にあうと死んだふりをするフクロウネズミみたいに、ベッドの上の私は、夢と現実(うつつ)のあわいにいる。押し寄せてくる想念や熱気をせき止めようと、私が身のまわりに築きあげた静穏の砦は、羽ぶとんに似ている。羽ぶとんの上で眠る。想念たちが私の肌にはりついてくる。執拗に。いいわ、じゃあ、考えてみる。ゆっくりとね」(アナイス・ニン)。

 

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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