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 画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが、彼らは、もはや破産寸前といわれた時期でも、深夜までカフェで語り合ったり、踊ったり、小さな賭けをしたりで、なんとも楽しそうだった。その違いはいったいどこにあるのだろうか。

第1回・私はなぜ大負けするようになったか

 ロジェ・カイヨワによると、立派な賭博者とは、不運を嘆く権利が自分にないこと、不幸を悲しむ権利が自分にはないことを心得ている人間である。なるほど、これ以上の定義はなかなか見つからないかもしれない。
 われわれのまわりには日々いろいろなことが起こるが、自分でも知らないうちにさまざまな賭けを行っているのである。人を好きになるのだって賭けだし、仕事のちょっとした手順だって賭けには違いない。そうなると、当然、われわれの周囲には小さな勝ち負けが積み重なっていくわけだが、それらに対して意識的でいることは案外重要なことかもしれない。もしかしたら、それによって、チャートに線を引くようにして、現在の自分の状況を数値化して示すこともできるのではなかろうか。

 久々に競馬場に出かけてみた。今年の桜は早かったので、すでに桜花賞からしていつもとは違った雰囲気だった。競馬場にいる人々にも以前のような妙にはしゃいだ空気はなくなっていた。一攫千金というのはまだ余裕があるときの言葉なのかもしれない。しかも、結果はご存知のとおり350倍というとんでもない大穴で、これではほとんどの人は帰りにちょっとしたご馳走を食べて楽しむというわけにはいかなかっただろう。アローキャリー? 道営競馬7戦2勝、トライアル8着の馬がどうして勝つの?
 翌週の皐月賞もまたクラシック史上最高の530倍という大穴。ノーリーズン? まだ800 万条件で、やっと抽選で出走できた馬ではないか。武豊でさえも「競馬はわからないものですね」とため息をついたくらい。どんな買い方をしても勝てなかった。この日はtotoでも1億円が9名出たのに、そちらも9勝4敗でペケ(13試合的中で1等、12試合で 2等、11試合で3等)。どうにもならないとはいうものの、これは決してぼくだけのことではないだろう。気分を新たに、翌週のtotoへ、週末のマージャンへ、そして、5月のダービーへ(と懲りずに続く)。

 ところで、負け惜しみではなく、競馬では「いかに負けるか」ということがとりわけ重要である。ほとんどの人々がギャンブルでは負けるわけだが、負けについて知っているようで、意外とわかっていないことが多い。たとえば、控除率25%というと、普通の人は75%は戻ってくると考えるが、実はギャンブルではそうはいかない。カジノの繁栄を考えて欲しい。たとえば、わずかに控除率が2.5%だとしても、カジノ側に何億ドルといった収入が保証されているのはなぜか? 答えはたったひとつ。カジノに入った人が容易にやめないからである。
 繰り返し賭け続けると、いくら控除率が低くとも、負け金は膨大な数字になっていく。しかも、勝ちには限界はないが、負けには限界がある。もし100万円持ってカジノに行ったとしよう。そして、もし100万勝ったとしても、そこでやめる理由は何もない。もっと勝てると思ってすっからかんになるまでやる人もいるだろう。しかし、 100万負けたら、それで終わり。どうあがいてもそれ以上賭けることはできないのだ。どこでやめるべきかを見極めるのは信じられないほど難しい。
 すなわち、たとえば長く競馬をやっていると、数字上は回収率75%に収束するかのように思えるが、実際はもっと悪いということである。しかも、人間は感情を持った生き物だ。それが結果に悪影響を及ぼさないわけがあるだろうか。後から考えても「どうしてこんな馬券を買ってしまったのか」と思うことは少なくない。いったい勝負の妨げになっているのは何か。以下、それを冷静に検証してみよう。ここでお断りしておくが、ぼくはいまから30年前には某週刊誌に「競馬の天才現わる!」と騒がれた人間だということである。どういう道筋で今日にまで至ったのか、反省を込めて振り返ってみたい。

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 まずは、この30年間の競馬戦術に関して箇条書きにしてみよう

 1)70年代。最初は誰でもそうだが、堅実に攻める。本命を重視して、穴を押さえるという教科書どおりの攻め口で、大敗しないように心がける。しかし、次第に「どう考えても負けるはずがない」と思われる馬がいともたやすく負けるのに不信を抱くようになる。それでも、とにかく強い馬を探すことに日夜没頭してしまう。まだまだ初心者だった。

 2)80年代。いわゆる中穴狙いに転向する。当時は枠連しかなかったが、ちょうど 1000〜2000円台の配当を狙うようになる。これが意外と難しい。友人たちにはとんでもない穴馬を推奨するくせに、もしそれが来なくともしっかり本命線も押さえていて、レース後「おやっ、あったよ」と当たり馬券を出して、みんなに嫌われる。

 3)90年代前半。避けては通れない上級者への道。わけもわからないレースに大きく賭けたりするようになるが、とにかく賭け金のメリハリをはっきりつけるのがコツと知る。かつては「勝ってチャラ」ということもしばしばあったが、もはや勝つか負けるかしかない。狙い目を絞るのが基本戦略で、勝ったら大きい。結局、この頃がもっとも好成績だったかもしれない。

 4)90年代後半。しかし、賭けというのはどの種目でもそうなのだが、負けだすと精神がぐらぐら揺らいでくる。錯乱してくると、自分でも何をやっているのかわからなくなる。勝てば事態はたちまち好転するが、負けが続くとなぜ自分が競馬をやっているのか疑問に思えてくる。さらにとんでもない間違いも多くなる。反省の日々。

 5)2000年〜。さらに、その時期を抜けると、今度はかつての栄光を追って、極端に激しい勝負を求めるようになる。ちまちました勝負を軽蔑し、「勝ったら1000万、勝ったら1000万」とつぶやきながら、さまよい歩く。しかし、ここまでくると、まず馬券が当たることはない。これから先何が待ち受けているのか、自分でも想像がつかない。
 さて、こうしてこれまでの経過だけをかいつまんで書くと、いかなる泥沼や深い氷河を越えてきたのか、その肝心なところがおわかりいただけないだろう。1)2)3)までは誰もが一度は通る道である。しかし、4)5)は特別に選ばれた人(?)だけが導かれる境地なのではなかろうか。ここまで来るのに30年以上の月日が流れている。しばし90年代の勝負を振り返ってみよう。

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 ぼくにはハズレ馬券を収集する趣味はない。しかし、競馬のファイルを漁ってみたら、大量のハズレ馬券が滑り出てきた。誤解する人もいるようだが、大学教授というのはそれほど金持ちであるはずがない。いくらでもお金がある人ならば100万や200万賭けても全然腹も痛まぬが、ぼくらが1ヶ月に遊びに賭けられる資金はだいたい5万、多くても10万までだろう。
 しかし、もはや90年代に入るとそれどころではなくなってくる。92年の有馬記念、93 年の桜花賞を取り上げてみよう。

 92年有馬記念(図1-1,1-2)

図1-1

 まず、92年の有馬記念。ここには大好きなフジヤマケンザンが出走しており、最強馬トウカイテイオーからレガシーワールド、フジヤマケンザンで勝負と思っていたが、どうやら直前になってこのレースは固く収まるような気がしてきたらしい。私心を捨てて、2点に絞るも、結果は大波乱。メジロパーマーが逃げ粘って、馬連 3-6は31,550円だった。もしそちらを5万買っていたら1500万円だった(しかし、もしというのも恥ずかしいくらいのハズレ)。

 93年桜花賞(図2-1,2-2)

図2-1

 次に、93年の桜花賞。ぼくの場合、意外と枠連で勝負することが多いのだが、ご多分に漏れずここも枠連の3点買い。ベガ本命は動かない。問題は相手だけ。考えればきりがないが、ここにはぼくが好きだったドミナスローズの娘ドミナスクリスタルが出ており、しかも、同枠にホクトベガ。となれば、枠連4-8で決まり。だが、それでは配当的妙味がない。ちょっとひねって35倍の7-8を本線に変える。それだと35倍なので、配当は100万を優に超える。しかし、結果は1枠のユキノビジンが2着に突っ込んで、順当に本命線で収まる。おもしろくもなんともない。

 90年代はこんなのばかり。ビシッと本線を狙えば穴となり、ちょっとひねれば順当に終わる。こう書くと、まるでカンの悪いやつだと思われるだろう。しかし、まあ、そんなに大負けばかりしたわけではない。実は勝ったレースもたくさんある。サンケイスポーツの1面トップを飾った92年のタケノベルベットのエリザベス女王杯。なんと馬連700倍! 同年の北海道文化放送競馬中継での600倍! また、関西テレビ競馬中継でのマイルCSのメイショウテゾロの1000倍! すべて仕事中というのが自慢すべき点である(実際、予想を公開して超大穴を当てるのは至難の業なのである)。

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 しかし、90年代後半に入ってくると、なんだか自分でもよくわからない馬券を買うようになる。ただ勝ったり負けたりしているのがつまらなくなる。「記憶に残らない勝負は時間のムダ」。となると、どうしても賭け金が大きくなるか狙いが絞られるかのどちらかになる。すでに危険信号だ。しかも、以前に勝った記憶が(勝った記憶だけが)頭から離れない。「もっと賭ければもっと勝ったのに」という強欲な思いがこみあげてくる。96年の宝塚記念、99年のジャパンカップ、2000年のダービーを見てみよう。

 96年宝塚記念(図3-1,3-2)

図3-1

 まずは、96年の宝塚記念。まだフジヤマケンザンにこだわっており、名牝ダンスパートナーとの一点勝負は馬連36倍。当たれば100万を超えるが、こういうのが当たるのはまさに交通事故みたいなもの。当然のことながら、結果は順当に馬連 4-9,890円。

 99年ジャパンカップ(図4-1,4-2)

図4-1

 99年のジャパンカップ。人気の下がったスペシャルウィークを狙ったのは正解だったし、相手に外国馬の人気薄を見つけるというアイデアはすばらしかったが、結果的に相手を間違えてしまった。13-15は32倍だったので200万弱の配当で十分と思ってしまったのだった。結果は7-13,23190円。もしこちらを買っていれば、1400万ゲットできたのに! 悔しい。

 2000年ダービー(図5-1,5-2)

図5-1

 しかし、2000年のダービーとなると、もはや言い訳もできない。デビューから追いかけていたクリノキングオーにすべての望みをかけて5-8の一点勝負。これがなんと 1051倍だったので、もし当たれば1000万獲得だった(しかし、絵に描いたような本命勝負で結果は2-4,600円)。

 まあ、そんなわけで、この5,6年はとてもプロとは思えないような成績になってしまった(だれがプロ???)。しかし、自分でもある程度そうなることを自覚していたような気もする。J・オグルビーは次のように書いている。「もし完全に管理された社会の鉄の檻を破りたいと思ったら、ばかなことをするくらいの自由な想像力をもっていなければいけない。ゲームをしたら負けることだってあるのだ。しかし、この勝ち負けなど、人間の精神を眺めれば、一瞬のあかりの点滅にすぎない」(Many Dimensional Man : decentralizing self, society, and the sacred, James Ogilvy, Oxford University Press Inc., 1977)。勝つことはもちろん大切なことだ。しかし、負けることもそれに劣らず大切なことなのだ。まずはそこから始まらないことにはわれわれはどこへも行けないのではなかろうか。ただ不運を嘆くべきではない。運について知ることこそが、われわれの生にとって数少ない重要事なのである。

 

   
図1-2.92年有馬記念出走馬 図2-2.93年桜花賞出走馬    
図3-2.96年宝塚記念出走馬 図5-2.2000年ダービー出走馬
図4-2.99年ジャパンカップ出走馬

○植島 啓司(うえしま けいじ)

1947年東京生まれ。1972年、東京大学卒。東京大学人文科学研究科大学院(宗教学専攻)博士課程修了。その後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。1980〜2002年、関西大学専任講師・助教授・教授を歴任。1990〜91年、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授。1974年より現在まで、ネパール、タイ、インドネシア・バリ島、スペインなどで宗教人類学調査を続けている。著書に『男が女になる病気』『分裂病者のダンスパーティ』『快楽は悪か』『宗教学講義』『オデッサの誘惑』『聖地の想像力』他。

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