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18歳からの非戦論 若松英輔

序章 非戦のバトン 

 二〇一五年に法律が改正されて、君たちは初めて参政権を得た。このことはいったい何を意味するのだろう。何であれ、権利が与えられるのはよいことなのだから、それ以上考える必要はないという雰囲気があるようにも感じられるけれど、本当にそうなのだろうか。権利が与えられるということは、君たちが国によって投票に十分な認識をもっている、とみなされたことは間違いない。だが、君たち自身はどう感じ、どのように考えているのだろう。
 一八歳からの参政権を認めている国は少なくない。アメリカやEUの各国はもちろん、世界のおよそ九割の国が一八歳からの投票権を認めている。オーストラリアのように一六歳からの投票を認める国もある。だが、多くの国々にならうこと、国際的な標準に合わせることが私たちにとって最善の選択なのか。そのことが参政権の年齢を変える決断の根拠となってよいのだろうか。
 平和を説く国は多い。むしろ平和を説かない国はない、といった方がよいもしれない。しかし、世界の動向に大きな影響力をもちつつ、平和を提唱する国々は皆、膨大な予算を軍備費に注ぎ込んでいる。先進国と呼ばれる国で、日本のように軍隊を持たず、かつ憲法によって非戦を定めている国は存在しない。これまで非戦を貫く態度において日本は、どの国とも異なる立場でそれを貫いてきたけれど、このことも他の国々と同じようになっていくべきなのだろうか。
 今、日本は、憲法を書き替えようという動きの真っ只中にいる。改正を唱える人々のなかには、これまで守って来た非戦的態度に関する項目も書き替えるべきだと主張する動きもある。日本は、軍備において世界有数の国と同列になり、国際的な義務を果さなくてはならないという人々もいる。
 「憲法」「平和」「非戦」「国際的」など、とても重要な意味をはらんだ言葉が今日の日本では当たり前のように用いられている。だが、君たちはこうした一つ一つの言葉を改めて考えてみたことがあるだろうか。
 ぼくが同年代のときとは君たちの状況は違うのかもしれない。君たちと同じ年のころぼくは与えられた情報を覚えるのに懸命で、自分で考えてみることなど、ほとんどやっていなかった。そればかりか、頭の中は他者の意見でいっぱいで、どの考えに同調するかを決めることが、「考える」ことだと信じて疑わなかった。
 でも、今は「考える」という営みをめぐる態度も少し変わってきた。考えるとは、他者の考えと自らの実感とのあいだに起こる響き合いのように感じられる。
 また、真剣に「考え」ようとするとき人は、ひと度ひとりになる勇気を持たなくてはならないようにも思われる。なぜなら、「考える」とき、ぼくらが耳を傾けなくてはならないのはまず、自分自身の内なる声だからだ。
 ひとりになる、というのは他の人を無視して孤立する、ということではなく、むしろ、他者のなかで自分という固有の存在を確かめてみることになる。また、そうした場所で「考える」とは、他者の意見に寄り添う前に自分の人生からの問いかけを深く感じてみることへと変化していった。さらに「考える」とは、明確な答えを発見する営為ではなく、生きる手応えを確かめる営みになった。

 この連載では、「非戦」を語った近現代の思想家や文学者だけでなく、古代の哲学者、あるいは王などの言葉に導かれながら、その今日的な意味と可能性を考えてみたい。混迷する現代への糸口を、過去の経験と先人の言葉のなかに探してみたい。非戦という永久平和への道を、埋もれてしまった場所から掘り返し、どんな今日的意味があるのかを考えるところから始めてみたいと思う。

岡倉天心

 君たちは、岡倉天心(一八六三~一九一三)という人物を知っているだろうか。彼は今日の東京芸術大学の創設に携わるなど近代日本芸術の確立に甚大な働きを残したことで知られるが、同時に本当の意味での平和を説く思想家でもあった。
 生前、彼は三冊の著作を残していて、それらはすべて英語で書かれている。そのなかで最もよく読まれているのが『茶の本』(原題:The Book of Tea)(一九〇六)だ。
 この本が刊行される少し前、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて日本は一度ならず戦争を行った。日清戦争、日露戦争に勝利した当時の日本政府は、力によって他者を支配できると思った。近代化と西欧化の差異を考えることなく、経済、軍備においても欧米並みになるのを国家の目標した日本は、海外のある人たちからは好戦的な者たちであるとみなされた。
 そうした状況のなかで天心は、茶道という伝統にふれつつ、流布している風説とはまったく異なる日本の、あるいは東洋の文化に深く根付いている平和の思想を、日本国内にではなく、欧米の人々にむかって伝えようとしたのだった。日本は、戦うことによってではなく、美と調和を通じて世界に貢献し得る存在であると天心は静かに、しかし、力強く語った。この本の最初の章で彼は、こう書いている。

 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(村岡博訳・以下同)

 満州は、現在の中国の東北部の地名で、日露戦争の勝利によって、この土地の支配はロシアから日本の手に渡った。この戦争で勝利するまで日本は世界から野蛮な国だと言われてきた。しかし、戦争を始め、人間の生命を奪う軍事力を行使するようになってからは、かえって「文明国」と呼ばれるようになった、というのである。
 もう一度よく考えてみよう。私たちにとっては欧米をはじめとした国々と同様の道を行くのが本当に望ましいことなのだろうか。今日、国際的であることがとても重要な態度であるのはいうまでもない。だが、平和を守ろうとする以上に国際的に有益な試みがあるだろうか。
 先に見たのと同じ本で天心は、次のようにも語っている。

 もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

 この本は、天心の存命中から多くの人々に読まれ、その経験によって日本への偏見を改めた人も少なくなかった。しかし、日本は、天心の期待とはまったく異なる道へと邁進した。その動きは止まらず第二次世界大戦の終結まで続いた。
 平和を望んでいる、と誰もがいう。しかし、平和とは、そもそもどのような状態を指すのだろう。それが何であるかを真剣に考えたことがない者が、平和を実現するのは難しいのではないだろうか。また、先に「非戦」という言葉を用いたけれど、平和と非戦はどう同じで、どう異なるのだろう。
 今日、一般的に言われる「平和」が、一時的にでも戦争が止んでいる状況を指すのだとしたら、それは非戦が理想とするものと同じではない。
 非戦は、単に争いが起こっていないだけでなく、戦いを無化しようとすること、戦いによる問題解決の放棄にほかならないから、非戦をあえて平和という言葉を結びつけるなら一時的な平和ではなく、恒久平和、永遠平和と呼ぶべきものでなくてはならないように思われる。

イマヌエル・カント

 『永久平和のために』と題する平和論の古典がある。作者であるカント(一七二四~一八〇四)は、ドイツ人の哲学者で、近代思想史においてもっとも大きな影響力を持った思索者のひとりだ。彼はこの本で、世に言う「平和」と彼が提唱する「永遠平和」の差異にふれ、こう述べている。

 公法の状態を実現することが義務であり、これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現にむけてたえず進んでいくだけとしてもである。だから永久平和は、これまで誤って平和条約と呼ばれてきたものにつづくものではないし、(これは実は戦争の休止にすぎない)、たんなる空虚な理念でもなく実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいてゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。(中山元訳)

 今日の世界の状態をカントは、「平和」ではなく、単に戦争が休止している状態、停戦に過ぎないと考えている。
 また、停戦状態を「平和」であると認識する者は、永久平和を希求することがなくなる、とも感じている。平和を表層的にとらえる者にとっては、目の前の争いが止めばそれでよく、なぜ戦争が起こるのかその根本の要因を深く考えてみることもなく、どうしたら問題を戦いによって解決する道を手放せるかを真剣に考えるのを止めてしまう、とカントは考えている。
 そして、この一文でとても重要なのは、真実の平和は一朝一夕では実現されない、とカントが明言していることだ。平和を望む者は、その実現にむかって日々不断の努力を続けていかなくてはならない。そうした持続的な営みのなかにだけ、永遠平和への萌芽は芽生えるとカントは信じた。

 一見すると、非戦論など画に書いた餅のようにも思われるかもしれない。確かに永久平和を唱える者たちの言葉を踏みにじるように人類は、今も戦争を続けている。過去の先人の言葉も実現からは遠い机上の論理の繰り返しのように映ってしまうこともある。永遠平和は、近代から現代に続いているもっとも大きな人類の希求であると共に、その願いは、無数の人間たちによって烈しく打ち砕かれてきた理想でもある。
 でも、本当に過去の試みは無意味だったのだろうか。そう言い切ってよいのだろうか。
 たしかに人類は戦争を繰り返してきた。しかし、終わらない戦争もまた、ないことをぼくたちは忘れてはならないのではないだろうか。
 問題は、先人だけでなく、それを継承した私たちにもあるのではないだろうか。悲願ともいうべきものの継承を、今日の私たちが怠っただけなのかもしれない。
 そう思って歴史と向き合ってみると、先に引いた天心やカントの言葉と出会うことができた。それらは過去に発せられたものなのに、むしろ、現代の問題を言い当てている言葉のように、ぼくには感じられる。
 非戦のバトンをうまく受け取れなかったのは現代に生きるぼくらかもしれない。君はどう思う。もうそうなら、歴史のなかに落ちたバトンを拾いに行くのもぼくらに託された役割なのではないだろうか。

(2016年07月4日掲載)

若松英輔(わかまつ・えいすけ)

批評家・随筆家。1968 年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて、第14回三田文学新人賞受賞。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて、第2回西脇順三郎学術賞を受賞。著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)、『イエス伝』(中央公論新社)『魂にふれる 大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『涙のしずくに洗われて咲きいづるもの』(河出書房新社)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)など多数。

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